戦国武将の家紋【氏族別家紋一覧】
家紋とは日本固有の紋章の一種であり、日本の文化の一つです。
家紋は家系や血統などを表すために用いられ、現代においては非常に多くの(2万以上とも)種類があるといわれています。
歴史に興味があると、それに付随するいろんなものに興味を持つようになってしまうのですが、例えばお城や太刀などは近くに無かったとしても、家紋ならばご先祖様より受け継いでいるものが身近にありますからね。
余計に興味を持ってしまった、という次第です。
ここではその中でも歴史上(戦国時代を中心に)の人物に由縁の家紋を、氏族別に一覧にて紹介していきます。
あ行
赤尾氏(近江浅井氏流)【四つ柏】
家紋名:四つ柏(よつかしわ)
氏族:近江浅井氏流赤尾氏(あかおし)
著名な人物:赤尾清綱
近江国伊香郡赤尾を本貫地とし、家祖は赤尾教政。近江国湖北四家の一つ。
戦国時代に近江浅井氏に仕えた海赤雨三将の一人、赤尾清綱が著名です。
浅井氏滅亡後は宮部氏、京極氏と仕え、のちに加賀藩前田家に仕えました。
明智氏【桔梗】
明智氏は清和源氏土岐氏の支流氏族。家祖は明智頼重。
戦国時代に斎藤道三が土岐氏に対して下克上し、美濃国を掌握した際は、その傘下に入ることで存続しました。
しかし道三・義龍父子による斎藤家の内紛では道三に味方し、敗れたことで滅ぼされたものの、明智光秀が生き残ったことで滅亡を免れるます。
その後本能寺の変にて主君・織田信長を討つも、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れて光秀は討死。主だったものは自害しました。
のちに傍系の明智定政が徳川家康に仕え、土岐氏に改名。明智土岐氏の祖となったとされます。
家紋は桔梗。土岐一族が用いた代表的な家紋ですね。
朝倉氏【三盛木瓜】
家紋名:三盛木瓜(みつもりもっこう)
氏族:朝倉氏(あさくらし)
著名な人物:朝倉敏景(朝倉孝景)朝倉宗滴 朝倉義景
朝倉氏とは但馬国養父郡朝倉を出身とし、朝倉高清を祖とします。後に越前国で発展して戦国大名化した、越前朝倉氏が代表的ですね。
1573年(天正元年)に朝倉義景の代にて織田信長と対立し、一乗谷にて滅亡。
庶流の朝倉在重の系統が、江戸幕府旗本として存続しました。
家紋は五代紋の一つである木瓜紋です。
朝比奈氏【左三つ巴】
家紋名:左三つ巴(ひだりみつどもえ)
氏族:朝比奈氏(あさひなし)
著名な人物:朝比奈泰朝
朝比奈氏とは駿河国志太郡朝比奈郷を本貫とし、朝比奈国俊を祖とします。戦国時代においては今川氏に仕え、掛川城主を代々継承しました。
今川氏の滅亡と共に没落。
しかし駿河朝比奈氏の系統は、朝比奈信置の代より今川氏から武田氏に鞍替えし、その後徳川家に仕えて幕臣となって存続することになります。
家紋は巴紋の一種。
足利氏【足利二つ引両】
家紋名:足利二つ引両(あしかがふたつひきりょう)
氏族:足利氏(あしかがし)
著名な人物:足利尊氏 足利義満 足利義政 足利義昭
下野国足利郡足利庄を出身とし、足利義康を祖とします。
鎌倉幕府時代には将軍家一門たる御門葉の地位にありましたが、室町時代においては室町幕府を樹立し、将軍家となりました。
1573年(元亀4年)足利義昭の代において、室町幕府は滅亡。義昭の子は全て出家したため、足利家は断絶してしまいます。
家紋は引両紋。足利将軍家の権威の象徴でした。
浅井氏【三つ盛亀甲に花菱】
家祖は浅井重政。近江国浅井郡に居を構えた古代豪族である浅井氏より、戦国時代の浅井亮政の代に、主家であった京極氏を下克上し、戦国大名化しました。
後に織田氏との対立により、1573年(天正元年)に浅井長政の代をもって滅亡します。
しかしその子である浅井三姉妹らにより、現代にも血統が存続することになります。
家紋は亀甲紋と花菱紋の組み合わせにより構成された意匠。
穴山氏【三つ花菱】
家紋名:三つ花菱(みつはなびし)
氏族:穴山氏(あなやまし)
著名な人物:穴山信友 穴山信君 穴山勝千代
家祖は南北朝時代の甲斐守護・武田信武の子である穴山義武。甲斐国南部の河内地方を領し、婚姻や養子縁組にて武田宗家と婚姻関係を結び、武田氏の重臣となった家系です。
武田氏滅亡後はその名跡を継承して武田氏を名乗りました。
家紋は花菱紋。
井伊氏【丸に橘(彦根橘)】
家紋名:丸に橘(まるにたちばな)
氏族:井伊氏(いいし)
著名な人物:井伊直虎 井伊直政 井伊直弼
遠江国引佐郡渭伊郷井伊谷を出身とし、井伊共保を祖とします。
戦国時代に今川氏に臣従するも、井伊直政の代に武功をあげて近江彦根藩の藩主となり、江戸時代を通じて5代6度の大老職を出すなど、譜代大名の中でも筆頭の家柄となりました。
家紋は十大紋の一つである橘紋。
飯尾氏【鉸具に雁金】
家紋名:鉸具に雁金(かこにかりがね)
氏族:飯尾氏(いいおし)
著名な人物:飯尾連竜
山城国を出身とし、飯尾倫忠を祖とします。もともとは室町幕府の奉行衆の家柄でしたが、飯尾長連の代に今川氏の家臣となって、駿河に下りました。
飯尾連竜の代に今川氏から離反し、曳馬城の戦いを経て今川氏真に誅殺され、駿河飯尾氏は断絶します。
家紋は鉸具紋。鉸具とは馬具の一種。
石川氏【丸に竜胆】
家紋名:丸に竜胆(まるにりんどう)
氏族:石川氏(いしかわし)
著名な人物:石川家成 石川数正
源義家(八幡太郎義家)の六男である源義時を祖とします。
戦国時代後期に石川数正などを輩出した三河石川氏は、義時の子孫が蓮如に随行して三河に流れ着き、定着したのが始まりとされています。松平氏(徳川氏)に仕えて代々家老を務めました。
一方で三河の浄土真宗の総代的立場であったともいわれています。
家紋は竜胆紋。石川竜胆とも。
今川氏【足利二つ引両・今川赤鳥】
三河国碧海郡今川荘を出身とし、今川国氏を祖とする。
足利氏一門である吉良家の分家にあたり、「御所(足利将軍家)が絶えなば吉良が継ぎ、吉良が絶えなば今川が継ぐ」とまでいわれ、「天下一苗字」の待遇を受けて今川姓は駿河今川家のみとなりました。
桶狭間の戦いを契機に衰退し、今川氏真の代で大名家としての今川家は滅亡。しかし江戸時代に入り、その子孫は高家旗本として存続します。
家紋は引両紋。同じ一族のため、足利将軍家が用いた足利二つ引両と同じ家紋です。
上杉氏【上杉笹】
家紋名:上杉笹(うえすぎざさ)
氏族:上杉氏(うえすぎし)
著名な人物:上杉氏憲(上杉禅秀)上杉憲政 上杉謙信 上杉景勝 上杉景虎
本姓は藤原北家勧修寺流支流。公家である藤原氏の氏族の一つ。
公家である藤原重房が京から鎌倉に下向して武家化し、上杉姓を賜ったことが始まりです。
戦国時代には長尾氏出身の長尾景虎(上杉謙信)が、上杉家の家督を継承します。
豊臣政権下では上杉景勝が五大老の一角となりますが、関ヶ原の戦いで西軍についたことで減封されたものの、幕末まで存続しました。
家紋は竹に雀の紋の一種。丸に九枚笹の上中央に対い雀を描く意匠。
竹に雀の紋は、家臣や家の交際相手に下賜したことから広まったとされています。一例として伊達氏などの仙台笹が著名ですね。
宇喜多氏【剣片喰(剣酢漿草)】
家紋名:剣片喰(けんかたばみ)
氏族:宇喜多氏(うきたし)
著名な人物:宇喜多能家 宇喜多直家 宇喜多秀家
宇喜多氏の出自は不詳。
一説には備前三宅氏の後裔とされ、また宇喜多氏自身は百済王族子孫や平朝臣を自称したとされています。
家祖は宇喜多信宗。
戦国時代には宇喜多直家が出て、主家の浦上家を滅ぼし、備前だけでなく、備中や播磨の一部にまで勢力を拡大しました。
関ヶ原の戦いで西軍につき、敗北して所領を没収されてしまいます。
家紋は剣片喰(剣酢漿草)。他に雨竜や亀など。五七の桐や五三の桐も用いています。
大友氏【抱き杏葉】
家紋名:抱き杏葉(だきぎょうよう)
氏族:大友氏(おおともし)
著名な人物:大友義鎮 大友義統
大友氏の家祖は大友能直。相模国愛甲郡古庄の郷司の近藤能成(古庄能成とも)の子として生まれました。
父・能成は藤原秀郷の系統、もしくは藤原利仁の系統であるなど、出自には諸説あり、また頼朝公落胤伝説といったものまであります。
鎌倉時代から戦国時代にかけて九州の豊後国を本拠とした一族で、戦国時代には戦国大名化し、最盛期には豊後・筑後に加え豊前・肥前・肥後・筑前の6ヶ国と日向・伊予の各半国を領有しました。
家紋は杏葉紋の一種。
杏葉とは馬具の面繋、胸繋、尻繋につける装飾具のことで、杏または銀杏の葉に形が似ていることからその名がつけられました。
織田氏【織田瓜】
織田一族の発祥地は越前国織田荘にある劔神社。本姓は藤原氏。
三管領の斯波武衛家の守護代であり、室町時代には尾張国の守護代を務めました。
戦国時代に入ると織田信長が出て、勢力を拡大。天下統一目前で本能寺の変にて斃れます。
のちに織田秀信の死をもって織田家嫡流は断絶するも、庶流は存続しました。
家紋は織田瓜、織田木瓜とも。他に平家の代表紋ともいわれている揚羽蝶も用いたといわれています。
小幡氏(甲州小幡氏)【五枚根笹】
家紋名:五枚根笹(ごまいねざさ)
氏族:甲州小幡氏(こうしゅうおばたし)
著名な人物:小畠虎盛 小幡昌盛 小幡景憲
遠江国の国人・勝間田氏の出身。家祖は不明。
小畠日浄の代に遠江から甲斐に入り武田氏に仕えました。
小幡昌盛の時に、小畠姓から小幡姓に改名しています。
昌盛の三男・小幡景憲は甲州流軍学の創始者として名高いです。
家紋は五枚根笹。竹笹紋の一種。
飯富氏【月星】
家紋名:月星(つきぼし)
氏族:飯富氏(おぶし)
著名な人物:飯富虎昌 飯富昌景(山県昌景)
上総国望陀郡飯富庄を本官とし、源義家の孫にあたる飯富源太忠宗(源忠宗)を初代とします。甲斐国、安芸国、若狭国にて繁栄。
甲斐国の飯富氏は義信事件で切腹した飯富虎昌を最後に、その後みられなくなります。
家紋は月星紋。千葉氏の紋としても知られ、妙見菩薩信仰から形成された紋章とされています。
か行
高坂(香坂)氏【九曜】
家紋名:九曜(くよう)
氏族:高坂(香坂)氏(こうさかし)
著名な人物:高坂昌信
東信濃佐久郡香坂を出身とし、滋野三家の一つ禰津氏の禰津宗直の五男貞行を祖とします。
武田氏の家臣時代に香坂宗重が上杉氏との密通の嫌疑で誅殺され、嫡流は途絶えましたが、宗重の娘を娶った関係で春日虎綱(高坂昌信)が名跡を継承。
ただし昌信ものちに春日姓に複姓しているものの、高坂弾正の名で現在では知られています。
家紋は九曜紋。いわゆる星紋の一種。九曜とはインド占星術の扱う9つの天体とそれらを神格化したもので、のちに日本にも伝わりました。
後藤氏【下がり藤】
家紋名:下がり藤(さがりふじ)
氏族:後藤氏(ごとうし)
著名な人物:後藤基次
後藤氏はさまざまな系統がありますが、利仁流(藤原利仁を祖とする)から派生した、美濃前田氏、肥前後藤氏、播磨後藤氏などが著名です。
大阪の陣にて活躍し、討死した後藤基次は播磨後藤氏の出となります。
家紋は下り藤。元は藤原氏に行き着くため、藤紋を用いていたと考えられています。
さ行
斎藤氏【撫子・二頭波頭立波】
家紋名:撫子(なでしこ)
家紋名:二頭波頭立波(にとうなみがしらたつなみ)
氏族:美濃斎藤氏(みのさいとうし)
著名な人物:斎藤妙椿 斎藤道三
美濃斎藤氏は、越前斎藤氏の庶流・河合系斎藤の赤塚氏が美濃目代として越前から移り住んだことに始まったと考えられています。
家祖は斎藤祐具。
斎藤妙椿の代に主家を上回る勢力となったが、後を継いだ斎藤妙純が近江への出兵の際に戦死すると、後継者争いにより斎藤氏の勢力は衰えました。
これにより台頭したのが庶流の長井氏であり、長井規秀が斎藤氏の名跡を継いで後の斎藤道三となる。
家紋は撫子。道三のみが一代紋として二頭波頭立波を使用した。
酒井氏【片喰】
家紋名:片喰(かたばみ)
氏族:酒井氏(さかいし)
著名な人物:酒井正親 酒井忠次
酒井氏は三河国碧海郡酒井郷、もしくは同国幡豆郡坂井郷の在地領主であったと考えられています。
家祖は酒井広親。
清和源氏新田氏流を自称しているものの、創作の可能性が高いそうです。
のちに松平郷にて松平氏に仕え、譜代家臣となります。
家紋は片喰紋。「丸に片喰」や「丸に剣片喰」といった亜種も、一族の間で使用されました。
真田氏【真田六文銭】
家紋名:真田六文銭(さなだろくもんせん)
氏族:真田氏(さなだし)
著名な人物:真田幸隆 真田昌幸 真田信之 真田信繁
信濃国小県郡真田郷を出身とし、真田頼昌を祖とします。
武田氏の家臣時代を経て、武田氏が滅亡すると真田昌幸の代に大名化するも、関ヶ原の戦いに敗れて昌幸は流刑となりました。
しかし嫡男信之は徳川方についたことで、上田藩から松代藩へとその血統は続くことになります。
家紋は銭紋。これは定紋ではなく戦時の旗紋ではあったものの、江戸時代の講談等の影響でこちらの方が有名となっている。
柴田氏【丸に二つ雁金】
家紋名:丸に二つ雁金(まるにふたつかりがね)
氏族:柴田氏(しばたし)
著名な人物:柴田勝家
始祖は柴田修理大夫義勝。
越後国柴田の出身で、この柴田の地名を家号としたとされています。
その後の系譜は明らかにはなっていないものの、戦国時代には柴田勝家が出て、織田家の重臣となりました。
本能寺の変後、羽柴秀吉と対立し、賤ケ岳の戦いにおいて敗れ、居城の北ノ庄城で自害。柴田氏は滅ぶことになります。
柴田勝家の時代に使用されていた家紋は不明であるものの、のちの江戸時代の『寛政重修諸家譜』によると、定紋は丸に二つ雁金とされています。
島津氏【丸に十文字】
家紋名:丸に十文字(まるにじゅうもんじ)
氏族:島津氏(しまづし)
著名な人物:島津貴久 島津義久 島津義弘 島津歳久 島津家久 島津豊久
家祖は島津忠久。出自は諸説ありますが、源頼朝の落胤ともされており、そのため厚遇されたといわれています。
近衛家の領する島津荘の下司職に任じられ、その後、源頼朝から正式に同地の惣地頭に任じられ島津姓を称しました。
忠久は頼朝より薩摩国、大隅国、日向国、さらには越前国守護を任じられ、鎌倉幕府有力御家人の中でも異例の4ヶ国を有する守護職を得るに至ります。
その後戦国大名化し、全盛期には九州のほぼ全土を制圧。
幕末には雄藩の一つとなって、明治維新の原動力となりました。
家紋は丸に十の字、島津十文字、轡十字など、いずれも十文字紋。
た行
武田氏【武田菱】
清和源氏の一流であり、河内源氏の一門である源義光を祖とする、甲斐源氏の宗家。甲斐国の他に、若狭国や安芸国などにも分派しています。
戦国時代に戦国大名化し、武田信玄の代に最盛期を迎え、次代の武田勝頼の代にて滅亡しました。
家紋は菱紋。よく似た構図の四つ割り菱よりも、菱同士の感覚が狭くとられているものを、武田菱として区別している。
伊達氏【仙台笹】
家紋名:仙台笹(せんだいざさ)
氏族:伊達氏(だてし)
著名な人物:伊達稙宗 伊達晴宗 伊達政宗 伊達成実
鎌倉時代から江戸時代にかけて、東北地方南部を本拠とした一族。
家祖は伊達朝宗。出自は魚名流藤原山蔭の子孫と称しており、常陸入道念西が鎌倉時代に源頼朝より伊達郡の地を与えられ、伊達朝宗を名乗ったのが始まりとされています。
しかし藤原北家が出自であるということについては、あくまで自称に過ぎないことを留意する必要があるそうです。
家紋は竹に雀の紋。上杉定実が伊達実元に送った上杉笹から派生した家紋である。
長宗我部氏【七つ酢漿草】
家紋名:七つ酢漿草(ななつかたばみ)
氏族:長宗我部氏(ちょうそかべし)
著名な人物:長宗我部国親 長宗我部元親 長宗我部信親 長宗我部盛親
本姓は秦氏。秦氏は中国秦王朝の始皇帝の流れを称する古代氏族です。
飛鳥時代の秦河勝の後裔が長宗我部氏であるといわれています。
土佐国長岡郡に拠った国人の一族であり、土佐国の七豪族の一つ。
戦国時代に長宗我部元親が勢力を拡大して戦国大名化し、土佐を統一し、その後四国統一を果たしました。
家紋は三つ石。石畳紋の一種。桓武平氏土屋氏の代表紋。他に九曜紋を用いたともされています。
土屋氏【三つ石】
家紋名:三つ石(みついし)
氏族:土屋氏(つちやし)
著名な人物:土屋昌恒
本姓は平氏。家系は桓武平氏の一つ高望王の系譜で平良文を祖とし、その子孫である土屋宗遠を土屋氏の家祖とします。
土屋宗遠が相模国中村荘において土屋郷司についたことが由来となっているそうです。
室町時代初期の土屋景遠の代において本領を追われ、甲斐武田家臣となりました。
家紋は三つ石。石畳紋の一種。桓武平氏土屋氏の代表紋。他に九曜紋を用いたともされている。
筒井氏【梅鉢】
家紋名:梅鉢(うめばち)
氏族:筒井氏(つついし)
著名な人物:筒井順慶 筒井定次 筒井順国 筒井定慶
筒井氏は大神神社の神官・大神氏の一族とされています。
家祖は不詳。
戦国時代の筒井順興の代に勢力を拡大。大和国における戦国大名としての地位を築きます。
次の筒井順昭の代に大和を統一。しかし次代の筒井順慶はわずか二歳で家督を継ぎ、『元の木阿弥』の故事成語の由来となりました。
秀吉政権下では減封され、江戸時代では伊賀上野藩を安堵されるものの後に改易。
当主であった筒井定次やその子の順定は自害を命じられ、また従弟の筒井定慶も大坂夏の陣で戦死したことにより、大名家としての筒井家は滅亡しました。
家紋は梅紋の一種。中でも筒井氏の仕様した梅鉢は、中心から放射線状に配置した花弁が太鼓の撥に似ていることに由来しています。
徳川氏【徳川葵】
家紋名:徳川葵(とくがわあおい)
氏族:徳川氏(とくがわし)
著名な人物:徳川家康 徳川家光 徳川吉宗 徳川慶喜
家祖は徳川家康。家康は元々松平姓を名乗っていましたが、新田氏系得河氏・得川氏の末裔を称したことに始まり、江戸幕府が開かれると将軍家と親族の家名として定着しました。
一方で得川氏と家康の家系の同一性は実証されていません。
家紋は葵紋の一種で、三つ葉葵。徳川氏の用いたものは丸に三つ葉葵で、徳川葵とも呼ばれています。
鳥居氏【鳥居笹】
家紋名:鳥居笹(とりいささ)
氏族:鳥居氏(とりいし)
著名な人物:鳥居元忠
出自は紀伊国熊野権現の神職。熊野新宮第19代別当行範が家祖とされています。
承久の乱以降に三河国矢作庄に移住し、室町時代には松平氏に仕えました。
のちに伏見城の戦いで戦死した鳥居元忠は、三河武士の鑑と称せられた忠臣です。
家紋は鳥居笹。竹紋の中で、主に葉のみを描いた笹紋の一種。
な行
内藤氏(甲斐系)【丸に花菱】
家紋名:丸に花菱(まるにはなびし)
氏族:内藤氏(ないとうし)
著名な人物:内藤昌豊
藤原南家為憲流内藤氏を本姓とし、内藤虎資を家祖とします。
内藤虎資は武田信虎に粛清されて断絶したが、のちに工藤虎豊の次男・昌豊が内藤家の名跡を継ぎ、内藤姓を名乗りました。
武田氏滅亡後は内藤氏も所領を失い、会津保科氏に仕えたとされています。
家紋は菱紋から、丸に花菱。
長尾氏【九曜巴】
家紋名:九曜巴(くようともえ)
氏族:長尾氏(ながおし)
著名な人物:長尾為景 長尾政景 長尾景虎(上杉謙信)
長尾氏は桓武平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族。家祖は長尾景弘。
鎌倉景明の子である景弘が相模国鎌倉郡長尾庄に住んだことにより、長尾姓を名乗ったことに始まります。
源平合戦時には平氏につき、一族は没落。僅かな生き残りは関東に入った上杉氏の筆頭家臣として栄えることになりました。
家紋は九曜紋の一種。巴紋が意匠されているのが特徴。
仁科氏(源姓)【丸に割り菱】
家紋名:丸に割り菱(まるにわりびし)
氏族:源姓仁科氏(みなもとせいにしなし)
著名な人物:仁科盛信
信濃国安曇郡を収めた平姓仁科氏は武田信玄の信濃侵攻後、一族で内紛が発生し、最後の当主となった仁科盛政は処刑。
正統は途絶え、その後、信玄の五男・仁科盛信がその名跡を継ぎ、平姓を改め、「清和源氏・義光流・武田氏支流」として源姓を名乗ったのが始まりです。
家紋は菱紋から、丸に割り菱。
は行
北条氏(執権北条氏)【三つ鱗】
家紋名:三つ鱗(みつうろこ)
氏族:北条氏(ほうじょうし)
著名な人物:北条時政 北条政子 北条義時 北条泰時 北条時頼 北条時宗 北条高時
桓武平氏高望流の平直方を始祖とします。
北条時政の代に、娘である北条政子が源頼朝の正室となったことから頼朝の挙兵に協力し、鎌倉幕府の創立に尽力。鎌倉幕府成立後には有力御家人としての地位を得、のちに執権の地位に就くと、これを代々世襲するようになりました。
第14代執権・北条高時の代になると、後醍醐天皇の挙兵に御家人筆頭の足利高氏が呼応。更には新田義貞も挙兵し、鎌倉は陥落。北条氏の大半が滅びました。
その残党は中先代の乱や観応の擾乱などにおいて、散発的に反乱を起こすことになります。
戦国大名である北条家と区別するため、『執権北条氏』もしくは『鎌倉北条氏』とも呼ばれる。
家紋は鱗紋。正三角形一つを描いた「一つ鱗」を三つ山形に積み上げた意匠。
三つ鱗は桓武平氏の定紋・揚羽蝶に準じる替紋です。
ま行
三好氏【三階菱に五つ釘抜】
家紋名:三階菱に五つ釘抜(さんがいびしにいつつくぎぬき)
氏族:三好氏(みよしし)
著名な人物:三好長慶 三好実休 三好長逸 三好政康 三好義継
本姓は源氏。清和源氏(河内源氏)の名門小笠原氏(信濃源氏)の庶流とされ、鎌倉時代の承久の乱で佐々木氏に代わって阿波守護となった阿波小笠原氏の末裔です。
戦国時代に細川氏に対して下克上し、四国東部から畿内一円の大勢力となって、三好政権を築きました。
家紋は小笠原氏の家紋である三階菱と、釘抜き紋を組み合わせた意匠。
毛利氏【一文字三星(長門星)】
家紋名:一文字三星(いちもんじにみつぼし)
氏族:毛利氏(もうりし)
著名な人物:毛利元就 毛利輝元 毛利敬親
鎌倉幕府政所別当・大江広元の四男・毛利季光を祖とする一族。
相模国愛甲郡毛利庄を本貫にしたことにより、毛利姓を名乗りました。
鎌倉時代には越後国刈羽郡佐橋庄南条の南條館を領していましたが、安芸国高田郡吉田荘に分家を立ててこれを間接統治し、南北朝時代に下向して直接統治するようになったといいます。
戦国時代においては毛利元就が出て、山陽道や山陰道10ヶ国と九州北部の一部を領国に置く、最大級の戦国大名に成長しました。
のちに豊臣秀吉に従属。関ヶ原の戦いでは西軍総大将となったことで、周防国、長門国の2か国に減封されることになります。
幕末期には多数の志士を輩出し、明治維新を成就させる原動力となりました。
家紋は一文字三星。数の根元であり、極数の九に相対しもののはじめとされる「一文字」と、オリオン座の中央に輝く「三武・将軍星」と呼ばれる「三つ星」を組み合わた意匠。
森氏【鶴の丸】
家紋名:鶴の丸(つるのまる)
氏族:森氏(もりし)
著名な人物:森可成 森蘭丸 毛利勝永
相模国愛甲郡毛利庄を出身とし、森頼定を祖とします。
河内源氏の流れを汲む武家。
戦国時代においては、美濃国に土着した一族が活躍しました。
家紋は鶴紋。
や行
山県氏【桔梗】
家紋名:桔梗(ききょう)
氏族:山県氏(やまがたし)
著名な人物:山県昌景
清和源氏頼光流多田頼綱の三男であった源国直が美濃国山県郡に居住し、山県を号したことが発祥。
戦国時代には衰退し、山県家信が甲斐武田氏を頼って美濃国より甲斐国へと移住します。
しかし山県虎清の代にて武田信虎に成敗されて断絶。
その後、武田信玄の時代に飯富昌景が山県氏の名跡を継ぎ、山県昌景を名乗りました。
家紋は桔梗。土岐氏とその関係の一族や清和源氏流の氏族が用いている。
余談
ついで管理人の家の家紋ものせておきます。
管理人【隅切り角に橘】
家紋名:隅切り角に橘(すみきりかくにたちばな)
いわゆる橘紋ですね。
戦国時代では井伊氏絡みで丸に橘だとかが比較的有名だけど、これは丸ではなく隅切り角の中に橘が意匠されているパターンです。
「土岐」を名乗っているのなら「桔梗紋」だろう! とか言われそうですが、土岐という名は仮冒していますので……ごめんなさい!