宇喜多直家【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】

土岐 無理之介

 宇喜多直家とは戦国時代の武将です。
 備前国の戦国大名としても知られています。

 斎藤道三や松永久秀と並ぶ戦国時代の悪人としても著名であり、中国地方の三大謀将(毛利元就、尼子経久、宇喜多直家)ともいわれている人物です。 

 今回はそんな宇喜多直家を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!

信長の野望での宇喜多直家

信長の野望・大志での能力値

宇喜多直家【信長の野望大志】
©コーエーテクモゲームス
信長の野望 大志
宇喜多直家(うきた なおいえ)
統率86
武勇76
知略96
内政89
外政89
朽木元綱能力【信長の野望大志】
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信長の野望・新生での能力値

宇喜多直家【信長の野望新生】
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信長の野望 新生
宇喜多直家(うきた なおいえ)
統率85
武勇74
知略97
政務88
宇喜多直家能力【信長の野望新生】
©コーエーテクモゲームス

 知略の高さはシリーズを通してご立派。まさに策士。

 統率は80台、武勇は70台、知略は90台、政治は80台と、文武どちらでも活躍できる優秀な能力値。

 新生では大志にあった外政能力が無くなりましたが、問題なく高い能力を維持していますね。

 顔グラフィックもこれまでの如何にもな悪人面からちょっと印象が代わり、渋くなりましたね。
 口髭を蓄え、髪型を変えるだけで、印象は変わるものです。

宇喜多直家の来歴

浦上家臣として

 宇喜多直家は享禄2年(1529年)に誕生しました。
 父親は浦上氏の家臣であった宇喜多興家。

 直家の宇喜多氏が仕えた浦上氏は、享禄4年(1531年)に起こった大物崩れにより浦上村宗が戦死後、台頭してきた尼子氏への対応を巡って内部分裂することになります。

 その混乱の中で、祖父であった宇喜多能家が暗殺、また父・興家も横死して宇喜多氏は没落していきました。

 直家は天神山城主であった浦上宗景に仕え、徐々にその頭角を現していくことになります。

 その過程で島村盛実を暗殺し、また舅であった中山勝政や龍ノ口城主・穝所元常を次々に殺害していき、その勢力を拡大していきました。

下剋上による独立

 備中国の戦国大名・三村家親は勢力拡大のため備前や美作国に侵攻。
 執拗な攻撃により、宇喜多氏の勢力下の諸城を落としていくことになります。

 そんな中の永禄9年(1566年)2月5日、家親が美作興善寺に滞在して重臣一同と評議中であった家親に対し、直家はこれを暗殺すべく、家臣であった遠藤秀清に対し、弟・俊通とともに家親への刺客として送り込みました。

 この暗殺は見事成功し、家親は死亡。
 この時の暗殺方法は、当時としても珍しい、火縄銃による狙撃であったといわれています。

 永禄10年(1567年)7月には明善寺合戦が勃発。

 これにより宇喜多直家は家親の後を継いだ三村元親に勝利。
 三村勢を総崩れに追い込みました。

 その後は姻戚関係にあった金川城主の松田元輝・元賢親子、また岡山城主・金光宗高などを打倒していき、浦上家における最大の実力者にのし上がっていくことになります。

 そして永禄12年(1569年)。
 畿内より台頭してきた織田信長や西播磨の赤松政秀と結んだ直家は、ついに主君であった浦上宗景に対して反旗を翻しました。

 しかしこれは失敗します。

 まず味方であった赤松政秀が、青山・土器山の戦いで黒田職隆・黒田孝高に敗北を喫し、また織田の援軍であった池田勝正・別所安治なども撤退に及び、孤立無援となった直家はやむなく降伏。

 主君・宗景はよせばいいのにこれを許し、帰参を認めました。

 とはいえ直家はこれで改心するはずもなく、主家打倒、独立のために機会を狙います。

 そこで直家が目をつけたのが、宗景の兄で、小寺氏預かりとなっていた浦上政宗の孫・久松丸でした。

 直家は久松丸を擁立することで大義名分を得、更には事前の工作により宗景配下の諸氏の離反に成功。

 さらには宗景とは険悪な関係にあった安芸国の毛利氏と結ぶことで、内外からこれを揺さぶったのです。

 そして天正3年(1575年)9月。
 宗景の腹心・明石行雄を内応。
 一気にその勢力を拡大させました。

 主君・浦上宗景追放は成ったものの、以前として備前国に残る浦上氏の残存勢力は根強く、鎮圧に苦心しつつもついには安定的な支配体制を確立させることになったのです。

 その頃、織田信長の命を受けた羽柴秀吉が、中国地方に侵攻。
 直家はこれに対して当初は敵対するも、天正7年(1579年)6月には毛利氏と手切れし、織田家に臣従を決断。

 翻って毛利氏と戦う道を選んだのでした。

 そんな中の天正9年(1581年)2月14日、直家は岡山城にて病死。
 その家督は次男であった宇喜多秀家が継承することになるのです。

宇喜多直家による暗殺

 直家といえば、たとえ身内であろうと謀殺して邪魔者を排除し、のし上がってきた悪人というイメージが強くあります。

 それらを列挙すると、

  • 中山勝政:浦上家臣。主君・浦上宗景の命によって暗殺。直家の舅。
  • 島村盛実:浦上家臣。主君・浦上宗景の命によって暗殺。……宗景も大概ですな。
  • 三村家親:火縄銃による暗殺。たぶん日本初。
  • 宇垣与右衛門:鹿と間違えられて銃殺。
  • 浦上久松丸:直家の擁立した主君。邪魔になったら毒殺。
  • 伊賀久隆:直家の妹が妻。毒殺。

 他にも何人かが知られていますが、後世の創作や捏造といったケースもあるようです。

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ABOUT ME
土岐無理之介
土岐無理之介
歴史好き。主に戦国時代。
旅ついでに城郭神社仏閣を巡りなどやってます。

趣味で小説など書いたりも。カクヨムや小説家になろうにて、荒唐無稽な歴史IF小説などを、気ままに投稿しています。
たまにはイラストなども描いてみたり。
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