信長の野望:武将能力列伝

平手政秀【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】

平手政秀能力【信長の野望大志】

 平手政秀とは戦国時代の武将にして、尾張織田家の家臣。
 織田信秀織田信長の二代に渡って仕えました。
 信長のうつけぶりを憂い、諫めるために自らの死をもってしたことが、美談として語られています。

 今回はそんな平手政秀を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!

信長の野望での平手政秀

信長の野望・大志での能力値

平手政秀能力【信長の野望大志】
信長の野望 大志
平手政秀(ひらて まさひで)
統率 54
武勇 47
知略 66
内政 78
外政 89


 能力的にはかなり優れた人物であったと評価されていることが窺えます。

 主に外政面で優秀な武将ですね。外政の89は立派です。

 個性も同盟導者を持っているので、『信長の野望』では外交で力を発揮してくれそうな人物です。

 また教養人であった逸話を活かしてか、個性も同じものをもっています。

 格付けはAと高く、一方で野心は2とかなり低いので、忠誠の面では特に心配は無い武将。

 『信長の野望』ではこの『大志』から外政という能力ができたため、より外交に秀でた武将、というキャラ付けができていますね。

平手政秀とは

 平手政秀といえば織田信長の傅役として知られており、その後見役を務めたものの、その最期は自刃に及んだとされる人物です。

 いわゆる信長のじいや、ですね。

 信長を主題にしたドラマでは冒頭、必ずといっていいほど出てくるし、しかもいきなり切腹するという、かなり視聴者の記憶に残る退場の仕方をすることもあって、かなり知名度は高かったりします。

 平手政秀は平手経英の子として1492年(延徳4年5月10日)に誕生しました。

 織田信秀や織田信長の二代に渡って仕え、尾張国春日井郡にあった志賀城の城主を務めていたとされています。

 信長の守り役以外としては、主に外交面で活躍していたようです。

 朝廷との折衝や、宿敵であった美濃の斎藤道三との婚姻同盟を成立させるなど、織田家に大きく貢献しました。

 また信長の初陣や安城合戦など、一軍を率いることもあったとされています。

 政秀はそういった織田家の武将という側面の他にも、茶道や和歌などに通じた文化人としても優れていたそうです。

 戦国時代の公卿として知られる山科言継などからも賞賛されており、なかなかのものだったようですね。

 そんな中、織田家当主であった織田信秀が死去し、織田家中が不穏となる中で、天文22年閏1月13日(1553年2月25日)に自刃することになります。享年62。

平手政秀の切腹について

 政秀の自刃については諸説あるようです。

 一般的に美談として知られているのが、信長の何を考えているのか分からない振る舞いや奇行を諫めるために、自ら死をもってした、というもの。

 一方で政秀の長男であった平手五郎右衛門と信長の確執に端を発した、政秀と信長の不和説なども存在します。

 また織田家の林秀貞・通具兄弟や柴田勝家といった、信長の弟である織田信勝派との対立があったのでは、という説も考えられているようです。

 大河『麒麟がくる』などでも政秀は切腹するのですが、信長を諫めて、というよりは、織田家の内紛を諫めるために、みたいな描かれ方をしています。

 これまでとは違う解釈で演出した、というところでしょう。