斎藤龍興 ~最期まで信長と戦い続けた蝮の孫、道三流斎藤家第3代当主

斎藤龍興 ~最期まで信長と戦い続けた蝮の孫、道三流斎藤家第3代当主

 斎藤龍興とは戦国時代の美濃国の戦国大名。
 道三流斎藤家第3代当主、もしくは美濃一色家第2代当主。
 織田信長に美濃を追われるも各地で戦い続け、刀根坂の戦いにて戦死した。

斎藤竜興(さいとう たつおき)
撫子
生年1548年(天文17年)
没年1573年(天正元年8月14日)
改名喜太郎(幼名)⇒龍興
別名右兵衛大夫 治部大輔(通称) 義糺 義輔 義棟
主君足利義輝⇒足利義栄⇒朝倉義景
氏族美濃斎藤氏
家紋撫子(なでしこ)
父:斎藤義龍
母:近江の方

斎藤龍興とは

由羅
由羅
斎藤龍興っていうと、父親である義龍が守った美濃国を、あっという間に信長に取られてしまったっていう、暗愚なイメージがあるよね
祖父の斎藤道三や、父親の義龍に比べるとどうしても凡庸な印象が拭えないけれど、美濃を追われた後もずっと信長に屈せず抗戦し続けた人物ではあるんだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
信長が美濃を攻略して、そのあと忘れた頃にどういうわけか朝倉家と一緒に滅んでいるけどどうして? みたいな感じだったけど、実はずっと戦っていたんだね
美濃失陥後もけっこうあちこちに登場しているから
イリス
イリス

父・義龍の死

 斎藤龍興は1548年(天文17年)に斎藤義龍の子として誕生。

龍興の生母に関しては諸説あって、庶子であるという話もあるし、義龍正室の近江の方の子である、ともいわれているの
イリス
イリス
由羅
由羅
近江の方?
北近江の戦国大名・浅井久政の娘、といわれている人物だよ。もっとも……それだとちょっと年齢が合わなくて、娘といっても実は養女で、本当は久政の父である浅井亮政の娘じゃないかって言われているの
イリス
イリス
由羅
由羅
ややこしいね。でも合わないってどうして?
義龍と久政の年齢がほとんど同じだから、だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
なるほど……確かに自分と同じ世代のひとの娘と婚姻っていうのは……ちょっと難しいよね
母親の方はそんな感じだけれど、父親である義龍が実は道三の子じゃない、なんて説もあって、さらにややこしくなっているんだよ
イリス
イリス
 1561年(永禄4年)、父・義龍が急死。
 これにより龍興は若干14歳で家督を継いだ。
由羅
由羅
この時の龍興って、まだ14歳だったんだ
うん。この頃は尾張の織田信長が美濃侵攻を繰り返していて、そんな中で当主になったわけだから、色々とうまくいかないであろうことは明白だったわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
そりゃあまだ中学生くらいの子に、一国を任せたってうまくいくはずないし、しかも相手はあの信長だし

美濃失陥まで

 織田家の侵攻に対し、1561年(永禄4年)の森部の戦いでは勝利するものの、日比野清実、長井衛安ら斎藤六宿老らを失った。

由羅
由羅
斎藤六宿老?
安藤守就、氏家直元、日根野弘就、竹腰直光、日比野清実、長井衛安ら六人のことだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
稲葉良通、安藤守就、氏家直元ら美濃三人衆は有名だけどね
 また1562年(永禄5年)には郡上八幡城主の遠藤盛数が病死するなど、有力家臣が失われていく。

 そんな中、龍興は状況を打開するために隣国北近江の浅井長政との同盟を模索した。

由羅
由羅
え? でも浅井長政って……
そう。考えることはみんな同じ、ということだね
イリス
イリス
 美濃攻略に手こずっていた信長は、先んじて浅井長政と婚姻同盟を締結。
 これにより長政は、逆に美濃侵攻を行うようになる。
由羅
由羅
いきなりピンチだね
この時は父の代から同盟を結んでいた南近江の六角義賢が北近江に侵攻してくれたおかげで、長政は撤退しているんだよ
イリス
イリス
 1563年(永禄6年)、織田信長が再度美濃へと侵攻。
 新加納の戦いが勃発する。
この時、信長が率いた織田勢は5,700。対する斎藤勢は3,500。数の上では斎藤方不利だったんだけど、ところが結果は斎藤方の勝利だったの
イリス
イリス
由羅
由羅
凄いね。龍興がやったの?
龍興の家臣だった竹中重治の策に織田方がやられちゃったわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
それって竹中半兵衛だね!
そう。そしてその半兵衛に龍興は城を乗っ取られてしまうんだけどね
イリス
イリス
 竹中重治らの活躍で織田勢を退け勝利を得たものの、龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛して重治や西美濃三人衆を政務から遠ざけていたという。

 そのため1564年(永禄7年)、舅であった安藤守就と共に重治は斎藤飛騨守を殺害し、稲葉山城を占拠し、龍興を追い払ってしまうという事件が発生した。

由羅
由羅
半兵衛がたった16名で稲葉山城を乗っ取ったっていう、有名なエピソードだよね
 この後、重治は龍興に稲葉山城を返還しており、龍興は美濃の国主に返り咲いている。
 しかしこの事件は斎藤氏の衰退を示すものだった。

 それを示すかのように、東美濃においては市橋氏、丸毛氏、高木氏などが織田家に通じ始めてしまう。

 そして1565年(永禄8年)、美濃の有力国人であった佐藤忠能が織田家に寝返り、堂洞城主の岸信周が討たれる。
 また関城主で大叔父の長井道利は斎藤利治に敗れ、中濃地方が織田家の勢力下に入った。

 さらには1567年(永禄10年)、美濃三人衆の稲葉良通や氏家直元、安藤守就らが信長に内応。
 これにより稲葉山城を信長に落とされ、龍興は長良川を船で下り、北伊勢の長島へと亡命したという。

この時の龍興は20歳だったというよ
イリス
イリス
由羅
由羅
若いよねえ……。でもドラマなんかだと、ここで龍興って出て来なくなっちゃうんだよね

織田家への抵抗活動

 伊勢に逃れた龍興は畿内へと移り、三好三人衆と結託して1569年(永禄12年)、信長が擁立した室町幕府第15代将軍・足利義昭を攻めている。

本圀寺の変、だね
イリス
イリス
由羅
由羅
でも明智光秀らの奮戦で失敗しているんだよね
 また1570年(元亀元年)には三好康長や安宅信康、十河存保や石山本願寺顕如らと共に三好三人衆を支援した、野田城・福島城の戦いにも参加した。

 その後、越前国の朝倉義景を頼り、客将として遇されたという。
 そして573年(天正元年8月)、北近江の浅井氏の居城・小谷城を攻めた織田信長に対し、朝倉義景は自ら軍勢を率いて援軍を派遣。龍興もこれに従軍したという。

 しかしその撤退の最中、刀根坂において激戦となり、討死した。享年26。

かつて斎藤家の獣人であった氏家直元の嫡男・氏家直昌に斬られた、ともいわれているよ
イリス
イリス

龍興生存説

由羅
由羅
戦国武将によくある話だよね
 現在の富山市にある興国寺の伝説によると、龍興は戦死せず、越中国新川郡布市村に来て興国寺に隠れたという。
 そしてお家再興が叶わないことを悟り、九右ェ門と改名して付近を開拓した。
 1611年(慶長16年)になり、家督を子に譲って自らは出家。
 1632年(寛永9年)に死去したという。享年87。
由羅
由羅
また具体的な伝承だよね。それに物凄く長生きしているし
あくまで俗説だけどね
イリス
イリス

斎藤龍興画像

斎藤龍興