浅井久政 ~外交において浅井氏を存続させた、浅井氏第2代当主

浅井久政 ~外交において浅井氏を存続させた、浅井氏第2代当主

 浅井久政とは北近江の戦国大名であり、近江浅井氏の第2代当主。
 織田信長の義弟である浅井長政の父親としても知られている。

浅井久政(あざい ひさまさ)
三つ盛亀甲に花菱
生年1526年(大永6年)
没年1573年(天正元年8月27日)
改名猿夜叉⇒久政
別名新九郎
主君六角義賢
家紋三盛亀甲に花菱(みつもり きっこうに はなびし)
父:浅井亮政
母:尼子馨庵
小野殿(井口経元娘)
長政 政元 政之 岡崎安休 治政 阿久姫 大弐局(六角義実室) 京極マリア(京極高吉室)
養女:近江の方(斎藤義龍室)

浅井久政とは

由羅
由羅
浅井久政っていうと、息子である浅井長政と父親である浅井亮政の間に挟まれて、何かぱっとしない人物だよね
うん。だから今までは暗愚な人物であったとされてきたの。朝倉家を滅亡させた、朝倉義景なんかと同様に、だね
イリス
イリス
由羅
由羅
今までは?
『浅井三代記』などでは暗愚とされてはいるけれど、現在では再評価が進められているの。そもそも久政がいたからこそ、浅井家は存続して長政の代で大成できたのではないかって
イリス
イリス
由羅
由羅
そうなんだ?
そういう見方もできる、ってことだよ
イリス
イリス

六角氏への臣従

浅井亮政の死と家督相続

 1526年(大永6年)、浅井亮政の長子として誕生。

 母親は亮政の側室であった、尼子馨庵。
 馨庵は近江尼子氏の出であり、戦国時代に中国地方に割拠した出雲尼子氏は、庶流にあたるとされている。

 1542年(天文11年)に、父・亮政が死去。

 久政は嫡子であったものの、生前の亮政は田屋明政(久政の異母姉の婿)に家督を譲ろうとしていたともされ、久政の家督相続を承服せずに反乱を起こしたという。

 このことは浅井家中に禍根を残すことになった。

 もっとも反乱を起こしたとされる田屋明政ではあるが、一説では争いはなく、久政への家督相続は問題無く行われた、という見方もある。

久政の外交政策

 久政は父・亮政に比べて武勇はいまひとつだったようで、南近江の六角氏に次第に圧迫され、ついには臣従することで浅井氏の存続を図ったとされている。

由羅
由羅
父親だった亮政は勇猛な武将で知られているものね。浅井家を一家臣から北近江の戦国大名にまで押し上げたんだから
でも久政は武勇は冴えなかったみたい。代わりに外交手腕でもって、浅井家の存続を図ったんだよ
イリス
イリス
 嫡男であるのちの長政に、六角家当主である六角義賢の一字をもらい、賢政と名乗らせたり、また六角家家臣の平井定武の娘を娶らせるなどして、一貫して従属姿勢を取り続けることになる。
由羅
由羅
でもこのやり方に、浅井家臣たちは不満だったんだよね

長政への家督相続と久政の隠居

 この久政の外交政策を弱腰と不満を抱く家臣は徐々に増え、1560年(永禄3年)に長政が六角氏を相手に野良田の戦いで大勝して六角氏から独立すると、長政に浅井氏の希望をみた家臣は久政に長政への家督相続を迫り、隠居させられることになった。

 久政は琵琶湖に浮かぶ島である竹生島に、一時的に幽閉されることになる。

由羅
由羅
問答無用で隠居させられた挙句、離れ小島に幽閉って……。戦国時代とはいえ、世知辛い世の中だよね

織田氏との抗争

 ただしこのような状態であっても久政の影響力は残っていたようで、父の代に築いた朝倉氏との同盟を維持をし続け、織田氏との新たな同盟には反対し続けていたとされる。

影響力を残していたということは、久政のことを評価していた家臣が浅井家の中に一定数いたってことじゃないかな
イリス
イリス
由羅
由羅
浅井家も一枚岩ではなかったってことだね
 このように久政に発言力が残っている状態で、浅井氏の盟友・朝倉氏と、新たな同盟相手であった織田氏が対立。
 板ばさみとなった浅井氏は、久政が強硬に朝倉氏との関係維持を訴え続け、ついには長政が折れる形で織田氏と敵対する道を選び、浅井・朝倉連合として織田氏と抗争することになる。

 金ヶ崎の戦いをもって織田信長を裏切った浅井氏は、その後の姉川の戦いに敗北するものの、志賀の陣などで織田氏を追い込んだりと、一進一退が続いた。

織田信長と敵対する道を選択した際、家臣たちは久政を担ぎ出したとも言われているから、家臣の統制が難しかったことが窺えるね
イリス
イリス

小谷城の戦い

 しかし1573年(天正元年)、盟友・朝倉氏の居城であった一乗谷が陥落すると、すぐさま浅井氏の居城であった小谷城への攻撃が開始される。

 必死の抵抗もむなしく、久政の篭る小丸は長政の篭る本丸と分断され、ついには覚悟を決めた久政は、浅井惟安と本鶴松大夫と盃を交わして切腹。

 介錯は惟安が務め、その惟安の介錯は本鶴松大夫が務め、本鶴松大夫は主君と同じ座敷では恐れ多いとして、庭に出て自刃して果てたとされている。

由羅
由羅
この流れだけを見ていると、久政はとても優秀とは言い難くて、逆に優秀だったとされる長政の邪魔をして浅井家を滅亡に導いた……そんな風にも取れるよね?
結果としてはそうなってしまった、というだけだよ
イリス
イリス

久政の評価

 父・亮政や子の長政に比べて暗愚とされる久政であるが、現代においては再評価されつつある。

 まず弱腰外交とされた六角氏への従属について、当時の六角氏は六角定頼という名君がおり、非常に勢いがある状態であった。

由羅
由羅
六角定頼?
六角氏の全盛期を築いた名君だよ。足利将軍家の後ろ盾を得た上で外交手腕により中央政治をも左右するほどで、更には各地で武功を上げ、また内政においても優れた手腕を発揮したんだよ。信長がやったことで有名な楽市楽座も、創始したのは定頼だから
イリス
イリス
由羅
由羅
うわー……。そんなのが南近江にいたんだ
久政の父親である亮政ですらどうにもならなかった相手だから
イリス
イリス
 これには勇猛であった父・亮政ですら如何ともし難く、生前の亮政は幾度も越前や美濃に逃亡しては再起するという有様だったほどである。

 武で劣る久政が武をもって六角氏を制することは難しく、逆に従属によって庇護を得ることで領国経営に専念することができ、浅井氏の力の底上げをすることができたともいえる。

由羅
由羅
そっか。下手に戦っていたら滅ぼされていたかもしれないんだね
そういうこと。久政は六角氏に従属することで、その優れた内政をも取り入れ、領内の発展に努めたの。それが実ったのが長政の代だったというわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
久政の内政重視のおかげで力をつけることができた浅井氏は、長政によって定頼の子である六角義賢を打ち破り、改めて独立を果たすことになったってわけだね。そうなるとちゃんとした戦略眼を持っていたということかな?
久政がそこまで考えていたかどうかは分からない。でも結果として、長政が躍進する基礎を作っていたことは事実だよ
イリス
イリス

浅井久政画像

浅井久政