浅井氏と家紋【三盛亀甲に花菱】

浅井氏と家紋【三盛亀甲に花菱】

 浅井氏とは近江国の国人。
 京極家の家臣であったが、戦国時代に入って北近江で勢力を誇り、戦国大名化した。

浅井氏(あざいし)
三つ盛亀甲に花菱
本姓藤原北家閑院流正親町三条庶流(自称)
物部朝臣奈洗流あるいは守屋流?
土師姓大江氏?
家祖浅井重政
家紋三盛亀甲に花菱
出身地近江国
著名人物浅井長政 淀殿

浅井氏とは

由羅
由羅
浅井氏といえば、浅井長政だよね。戦国時代好きのひとからすれば、まず知っている人物だし、その氏族ってことになるかな
そうね。浅井長政はあの織田信長の妹を正室に迎えているし、その子の浅井三姉妹はそれぞれ数奇な運命を辿ってことで有名だものね。現在の皇室にもその血筋は伝わっている家系でもあるわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
有名、ってことだよね。ちなみに『浅井』ってなんて呼ぶのが正解なの? 『あざい』? 『あさい』? ……最近では『あざい』って読み方の方が良く聞くけれど
清音で読むか、濁音で読むかどっちなのかってことなのでしょうけれど、そんなの知らないわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
うわ
今も議論されているのよ。かつての近江国、現代の滋賀県では浅井のことを『あざい』と読むから、『あざい』の方が正しい、という説もある一方で、普通『浅』の字は『あざ』と訓読みされることはない、とし、『節用集』によると『あざい」と読んでいるが、『朝倉』も『あざくら』と読んでいるから、あてにならない、ともしているし、そもそも『浅井』の由来は朝日郷(あさひごう)の転化であるとされているから、『あさい』の方が自然である、とか、色々言われているようね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
えっと、結局どっちで読めばいいの?
さあ? 好きな方で読めばいいんじゃないの? もしくはその時代時代に合わせて臨機応変に、ね
アルティージェ
アルティージェ

出自

 浅井氏の祖は浅井重政。

 この重政は藤原北家閑院流正親町三条家(嵯峨家)の一門である、正親町三条公綱(実雅の子)の落胤とする伝承がある。

由羅
由羅
つまり藤原北家に遡るってことだね。ということは伊達氏と一緒!
あくまで伝承よ。自称ともいえるわね。これは伊達氏も一緒だから、眉唾よ
アルティージェ
アルティージェ
 実際の浅井氏は古代から物部姓守屋流と称した在地豪族であり、宇多源氏佐々木氏直系の京極氏の譜代家臣として、家中において中堅的な位置にあったとされる。
由羅
由羅
物部氏? 聞いたことがあるような、無いような……
神武天皇よりも前に、ヤマト入りをした饒速日命が祖先と伝わる氏族よ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
いきなり神話の世界に突入、だね
出自はともかく、蘇我氏と対立したことで知られているでしょ? 教科書にもあったような気がするけれど
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
とにかく藤原北家、というよりは、物部氏の可能性の方が高い、ということ?
あくまで説の一つ、ということではあるけれどね
アルティージェ
アルティージェ

浅井亮政

 近江守護であった京極氏の譜代家臣であった浅井氏は、小谷城を中心とした領域を支配していた。

 その京極氏において、浅井亮政の代になるとお家騒動が勃発。
 北近江において有力豪族であった浅見氏を盟主とした国人衆による、京極家での家政体制が取られることになる。

 しかしその後、浅見氏の専制に対して亮政はこれを追放し、更には主家であった京極氏を傀儡とし、さらには京極家の家臣らをことごとく取り込んで、戦国大名化していったというのが、現在での通説となっている。

由羅
由羅
家臣から大名になったのだから、いわゆる下克上だよね
まあ戦国時代らしい成立の仕方、といえるかしら
アルティージェ
アルティージェ
 亮政は勢力拡大を狙い、南近江の六角氏と対立することになる。
とはいえ当時の六角氏には名君であった六角定頼がいたから。さしもの亮政もこれを相手には分が悪かったようね
アルティージェ
アルティージェ
 六角氏との抗争に劣勢であった浅井氏は、越前の朝倉氏と同盟。
 この支援を受けることで、六角氏の攻勢を押し返し、北近江での確固たる地位を築いていくことになる。

浅井久政

 亮政死後、後を継いだのは浅井久政であったが、京極氏の巻き返しや六角氏や美濃の斎藤氏などの台頭により、要衝であった北近江の地は抗争の舞台となっていった。

 これに対抗するため、朝倉氏との連携や同盟を強化することで、これに対抗していったとされる。

美濃国においては守護であった土岐氏に代わり、守護代であった斎藤氏が勢力を誇っていたのだけど、斎藤妙純の死後、守護代斎藤氏は没落していくことになるわ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
東の脅威はいったん落ち着いた、ということだね
けれど南が問題だったのよ
アルティージェ
アルティージェ
 南近江の六角氏では定頼の子・六角義賢が後を継ぎ、北近江への大攻勢をかけられることになる。

 結果として久政はこれに臣従し、六角家臣の娘を久政の嫡男・新九郎に嫁がされ、さらにはその名も賢政と名乗らされるなど、一時期劣勢に追い込まれていくことになった。

由羅
由羅
これだから浅井久政は無能だの暗君だの言われるんだよね
実際にはそんなことは無いのだけれどね。当時の六角氏は精強。それに対して武力では敵わないと悟った久政は、外交を駆使してお家の存続を図ったのだから
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
いわゆる時間稼ぎ?
そうともいえるわね。何といっても久政の子には賢政改め長政がいたわけだから
アルティージェ
アルティージェ

浅井長政

 久政の方針は弱腰外交ともされ、浅井家中の分裂を招いた。

 1560年(永禄3年)、六角家臣より迎えていた正室を六角氏に強制送還した浅井長政は、六角氏と決別。
 強硬派の家臣らを率いて六角氏との決戦に及んだ。

これが野良田の戦いよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
長政が六角勢を相手に大勝した戦いだよね!
 これにより浅井氏は六角氏より独立。
 久政は家臣らによって強制的に隠居させられ、後を長政が継いだ。
由羅
由羅
せっかく頑張って時間を稼いだのに、酷い仕打ちだよね……
隠居させられたとはいえ、久政にも一定の発言力は残っていたそうよ。これが後でややこしいことになった、ともいえなくもないけれど
アルティージェ
アルティージェ
 その後、長政は美濃攻略を目指していた尾張の織田信長と婚姻同盟を結ぶ。
 信長は上洛を目指しており、浅井家にとって対六角戦において効果的であったという。

 ところが1570年(元亀元年)、信長は突如越前に侵攻。
 越前の朝倉義景と同盟を締結しており、浅井家中ではこの織田家の行動に動揺が走ったとされる。

これにより、浅井家中では朝倉につくべきか、織田につくべきかで割れたそうよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
だよねえ
 浅井久政や赤尾清綱といった宿老は親朝倉路線を主張し、長政もこれを容れて織田家とは手切れとなった。

 越前進行中の織田勢に対し、浅井勢は背後からこれを急襲。
 この金ヶ崎の戦いにおいて信長は敗走し、以後、織田家と対立していくことになる。

 同年6月には姉川において、朝倉・浅井連合軍と、織田・徳川連合軍が決戦に及び、これに敗退した。

由羅
由羅
有名な姉川の戦い、だね
 姉川では敗北したものの、即座に態勢を立て直し、朝倉氏や摂津の三好氏、またかつての敵であった六角氏と連携して織田氏に対抗した。

 さらには室町幕府将軍・足利義昭の呼びかけにより、石山本願寺や甲斐武田氏、その他畿内の勢力などによって信長包囲網が形成され、信長を窮地に陥れることになる。

 しかし上洛を目指した武田信玄による西上作戦が、信玄の死により頓挫。

 これにより窮地を脱した信長は反攻に出、1573年(天正元年)には浅井氏の本拠地であった小谷城へと侵攻。

 朝倉氏もこれの救援に駆け付けるも敗退し、滅亡する。

 そして小谷城にて抗戦していた長政もついに自刃に及び、浅井氏は滅亡した。

三つ盛亀甲に花菱

三つ盛亀甲に花菱
【三つ盛亀甲に花菱】
由羅
由羅
浅井氏の家紋といえば、三つ盛亀甲に花菱、だよね
意匠としては、いわゆる亀甲紋と花菱紋の組み合わせ、ね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
三つあるから三盛、なんだよね
そうね。朝倉氏の家紋である三盛木瓜は、木瓜紋を三つ重ねた意匠であるから、構造的には同じね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
パッと見、良く似ているものね
ちなみに浅井氏の家紋は三盛亀甲に花菱、というのが定説ではあるけれど、井桁紋を使用していたという説もあるのよ
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
井桁紋?
井桁というのは井戸の上部の縁を、木で井の字の形に組んだものをいうわ。浅井亮政の木造にこの紋が据えられているからなんだけれどね。『浅井』という名前からしても、この家紋はしっくりくるしね
アルティージェ
アルティージェ
由羅
由羅
そういえば井伊氏なんかも橘紋が有名だけど、井桁紋もあるものね
どちらも近江の縁の氏族、というのも感じさせるものがあるわね
アルティージェ
アルティージェ