土田御前【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】
土田御前とは尾張の戦国大名・織田信秀の継室。
織田信長や、信勝、秀孝、信包、市の生母にあたる人物です。
今回はそんな土田御前を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!
信長の野望での土田御前
信長の野望・大志での能力値
信長の野望 大志 | |
---|---|
統率 | 50 |
武勇 | 35 |
知略 | 63 |
内政 | 77 |
外政 | 70 |
能力は何気に優秀です。
特に内政、外政といった政治面はまあまあなので、内政向きの仕事に従事してもらいましょう。
まあ『信長の野望』に登場する女性キャラは、恐らく全般的に能力にプラス補正がかかっているような気がしますので、正当な評価とは言いづらいところもありますが、評価する判断材料となる史料も乏しいはずなので、このあたりはあくまで想像で、ということになるのでしょう。
信長の野望・新生での能力値
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
45 | 41 | 67 | 70 |
新生では武勇が上昇し、統率が下がってどちらも40台に。
知略、政務は前作とほぼ同じ評価ですね。
それはされおき、織田家一家は信長を中心として、両親はもちろんのこと、正室や側室、子や孫まで勢揃いで登場しているわけですから、さすがは主人公といったところでしょうか。
秀吉や家康ですら、母親の記録はあるにも関わらず、登場していませんからね。
ともあれせっかくの登場ですし、ゲーム中でも活躍させてあげたいものです。
そして僅かですが、土田御前に関する来歴は以下の通りとなります。
土田御前とは
土田御前の生年は不詳。
実名も知られていません。
別称として花屋夫人とも呼ばれていたとされています。
信長の兄弟姉妹の中では、信長、信勝、秀孝、信包、市、犬らの生母にあたります。
奇行が目立ち、うつけと呼ばれた信長よりも、その弟である信勝を寵愛したといわれます。
このあたりの親子関係に関しては、よくドラマなどでも再現されていますね。
やがて信勝は信長と対立。
信長と信勝の家督争いで信勝は敗れるのですが、信長に信勝の赦免を願い出、一度は赦させています。
しかし二度目の謀反は信長も赦さず、信勝は誅殺されました。
その後は信長の弟や妹の面倒を見ていたようです。
本能寺の変にて信長や孫の織田信忠が明智光秀によって討たれ横死すると、信忠の弟である織田信雄の庇護を受け、その信勝が失脚すると、息子の織田信包に引き取られ、伊勢国にて暮らしたとされています。
そして1594年(文禄3年)に死去しました。
「土田」について
土田御前の実名は分かりませんが、そう呼ばれているのは土田政久(どた まさひさ)の娘である、と一説にはされているからだそうです。
だから読み方は「どた」になるというわけですね。
ぱっと見、「つちだ」と呼んでしまいそうですが、「どた」と呼ぶのが正しい……ということになるでしょうが、あくまで一説によると、ですのではっきりとはしていません。
そもそも土田政久の「土田」を何と呼ぶかがはっきりしていないからです。
土田氏の出自が美濃可児郡土田であるならば「どた」。
尾張清洲土田であるならば「つちだ」。
結局よくわからないので、どちらでもいいのかもしれませんね。
ちなみに『信長の野望』でが、「どた」準拠になっています。