信長の野望:武将能力列伝

妻木煕子【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴

妻木煕子能力【信長の野望大志】

 妻木煕子とは戦国時代の女性であり、明智光秀の正室です。

 今回はそんな妻木煕子を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!

信長の野望での妻木煕子

信長の野望・大志での能力値

妻木煕子能力【信長の野望大志】
信長の野望 大志
妻木煕子(つまき ひろこ)
統率 57
武勇 39
知略 73
内政 78
外政 75

 能力としては、内政面で十分に活躍できる能力を有しています。

 軍事方面では能力的に厳しくはありますが、知略が高いので、まったく使えないということもありません。

 大志では、武将の配偶者は絶対に夫を裏切らず、夫が主君を裏切って他家に勝手に行ってしまったとしても、必ず後から追っておくという健気ぶりを発揮してくれます。

 つまり光秀にはかならず煕子がセットになってついてくる、というわけですね。

 光秀を連れれば一石二鳥、というわけですが、だからこそ光秀の忠誠には気を付けましょう。
 煕子の野心は1で、裏切る要素など何もないのですが、夫は別ですので。

妻木煕子とは

 妻木煕子といえば、明智光秀の正室であり、その三女である明智珠こと細川ガラシャは細川忠興の正室となったことでも知られています。

 煕子の生年については不明であるものの、1530年(享禄3年)くらいではないか、という説もあります。

 妻木氏の出自とされているものの、父親についても諸説あり、妻木広忠、もしくは妻木範熈ではないかと考えられているようです。

 光秀と煕子の夫婦仲は良かったとされ、煕子は疱瘡にかかって顔にその痕が残ってしまうものの、光秀は気にしなかったという美談も残されています。

 そんな中、1556年(弘治2年)に長良川の戦いが勃発。

 斎藤道三斎藤義龍父子が争ったこの戦いで明智氏は道三方につき、敗北。

 義龍によって明智城が攻められ、光秀の叔父で城主だった明智光安らが自害して果てる中、光秀は身重となっていた煕子を背負い、越前国に逃亡したと伝わっています。

 逃亡先の越前国では朝倉義景に仕えたが、その生活は苦しかったようです。

 そんな光秀に銭を工面すべく、煕子は自らの黒髪を売ったともいわれています。

 月さびよ、明智が妻の、咄せむ

 これは松尾芭蕉が詠んだ句であり、煕子の逸話を越前国丸岡の称念寺にて聞き、それにちなんだものだといわれています。

 そして1576年(天正4年11月7日、もしくは6月7日)に煕子は死去しました。

 生年がはっきりしないため享年も不明ではありますが、36~46歳だったって考えられているようです。

 一説によれば、光秀が重病となった際の看病疲れが元で病死したともいわれているのですが、真偽のほどは知れません。

 ただ令和2年(2020年)8月、滋賀県大津市の聖衆来迎寺が所蔵している仏涅槃図裏寄進銘に煕子の戒名が発見されました。

 これによると、天正9年(1581年)以前に煕子が亡くなっていた可能性が高くなった可能性が指摘されているようです。

 ともあれ夫である光秀が謀反を起こし、三日天下に終わりて憐れな最期を遂げる前に亡くなったことは幸せだったか、そうではないのか。

 今となっては分かりません。