明智光安 ~光秀の後見人にして、秀満の父か

明智光安 ~光秀の後見人にして、秀満の父か

 明智光安とは戦国時代の武将。明智光継の三男。
 明智光秀の後見を務めたことで知られ、明智秀満の父親ではないかとされている人物である。

明智光安(あけち みつやす)
桔梗紋
生年1500年(明応9年)
没年1556年(弘治2年9月26日)
改名亀寿丸(幼名)⇒光安⇒宗寂(法名)
主君斎藤道三
氏族明智氏
家紋桔梗(ききょう)
父:明智光継
母:武田信豊娘
兄弟光綱 山岸光信 光安 光久 原光広 廉光 小見の方(斎藤道三継室)
正室:斎藤利胤娘
秀満

明智光秀とは

由羅
由羅
戦国時代で明智という姓はとても有名だけど、明智光安っていう人物はマイナーだよね。でもあの明智光秀の身内なんでしょ?
そう。叔父ではないかとされている人物だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
でもあんまり名前を聞かないね?
光秀ですら、前半生は不明なことだらけ。その部分の間に存在したひとだから、余計に知られていないの
イリス
イリス
由羅
由羅
でもここで解説するってことは、重要人物だったり?
重要人物かどうかは分からないけれど、光秀の出自や前半生を知る上で、手掛かりになる人物の一人、といったところかな
イリス
イリス

明智光綱の夭折と光秀

 明智光安は明智光継の三男として、1500年(明応9年)に誕生した。

 美濃国明智城主であり、明智氏当主を父より継いだのは、兄である明智光綱であったが、光綱が若くして討死すると、その遺児であった光秀はまだ幼く、隠居していた父・光継によってその後見を命じられて、明智氏の実質的な当主となる。

由羅
由羅
どうして光綱は若くして死んでしまったの?
1535年(天文4年8月5日)の斎藤道三による明智城攻めの際に討死したとされているけれど、詳しいことは伝わっていないの
イリス
イリス
由羅
由羅
この頃って、道三の国盗り前のことだよね
そうだね
イリス
イリス

斎藤家家臣

 その後、斎藤道三が美濃国を奪取し、その国主となると、光安は道三に接近。
 妹であった小見の方をその継室に出すことに成功している。

ここがけっこう重要なポイントだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
妹が道三の継室になったこと?
そう。この妹である小見の方と道三の間に生まれたのが、帰蝶や、孫四郎(龍元)、喜平次(龍之)、そして末子の斎藤利治(長龍)なの
イリス
イリス
由羅
由羅
帰蝶っていうと、蝮の娘の?
そうだよ。織田信長の正室、濃姫のことだね
イリス
イリス
由羅
由羅
なるほど……。のちの重要人物に縁があるってことなんだ。でも……そうすると、明智光秀と帰蝶って従兄妹ってことになるんだよね?
うん。だから信長にしてみれば光秀とは姻戚関係があったともいえるの。これがのちに足利義昭を信長に接近させた要因の一つになったともいえるから。それに斎藤利治なんかもその縁で、織田家では重用されているしね
イリス
イリス
由羅
由羅
結果的に抜け目なかったんだねえ……光安って
そうだね。でもこのことが、後の悲劇の要因にもなるから
イリス
イリス
 1553年(天文22年)には入道し、光安は宗寂と号している。

美濃国騒乱

 道三による国盗りの際に騒乱となった美濃国は、再び同じ騒乱に巻き込まれることになる。

 1556年(弘治2年)、道三は長男であった斎藤義龍と対立を深め、異母弟であった孫四郎と喜平次を殺害するという事件が勃発。
 両者の対立は決定的となり、斎藤父子が争う長良川の戦いが勃発。

 この時光安は弟の光久や三宅氏、藤田氏、妻木城主の妻木氏ら諸将と共に道三方について明智城に籠城した。

道三はその国盗りの経緯から、配下の信頼を集めることができず、集った兵は義龍に劣るものだったの
イリス
イリス
由羅
由羅
でも一門である妹を嫁がせている光安としては、当然道三方につくわけだよね。甥を二人も義龍に殺害されているわけだし
不利は承知だったと思うよ
イリス
イリス
 長良川の戦いは道三の敗北となり、戦死。
 道三方についていた明智城は義龍方の揖斐光就や長井道利に攻められ、防戦するも叶わず、光安は光久らと共に自害した。
由羅
由羅
道三に接近したことが、のちに身を滅ぼすことになってしまったんだね
そうだね。そして明智城落城の際に、光安の子とされる明智秀満に光秀を託し、脱出させたといわれているの
イリス
イリス
由羅
由羅
秀満っていえば、光秀の重臣の一人だよね
そう。そうやって、明智氏の物語はまだ続いていくわけだね
イリス
イリス