南条広継【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】
南条広継とは戦国時代の武将です。
蝦夷地の蠣崎氏の家臣であり、その外戚となりましたが、それが祟って身を滅ぼし、「逆さ水松」という伝説を残したことで知られています。
今回はそんな南条広継を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!
信長の野望での南条広継
信長の野望・大志での能力値
戦国時代の苦労人。
武勇や知略、政略ではなくて、それ以外の要素による逸話にて有名な人物? かもしれません。
ゲーム中では僻地である蝦夷地に割拠する蠣崎氏家臣という、貴重な存在です。
能力は平均で50台と、可も無く不可もなく。
蠣崎家では誰だって貴重な戦力です。
が、後年には後述する嫁の暴走により姿を消しているため、お目にかかれなくなってしまいます。
ゲーム中では史実のような不幸な最期とならぬよう、活躍して欲しいものです。
とはいえ、せっかくゲームであり姫も作成可能ですので、季広に娘を作り、野心ばりばりの設定にして、広継と婚姻させると雰囲気が出ていいかもしれませんね。
信長の野望・新生での能力値
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
60 | 50 | 60 | 39 |
南条広継の来歴
嫁の暴走
南条広継は享禄2年(1529年)に誕生しました。
蝦夷地を支配していた蠣崎氏の家臣でしたが、当主であった蠣崎季広の長女を正室に迎えたことにより、蠣崎氏の一門衆に与することとなって、重用されたといわれています。
ここまでならば、うまくやったな、という感じで終わるのですが、広継の迎えた正室は、大人しいばかりの人物ではなかったのです。
広継の正室は、数多くいたとされる(男子、女子とも十三名。計二十四名)季広の兄弟姉妹の中では長女であり、長子でもありました。
この人物は女子でありながら野心家でもあったようで、自身が蠣崎家の家督を継承できないであろうことに不満を持っていたようです。
その不満の矛先は、まず父親である蠣崎季広に向けられました。
その父・季広が家督を継承する際に、季広の従兄弟である蠣崎基広を唆して、実父を殺害しようと画策。
これは失敗し、しかし後に引けなくなった基広は謀反。
お家騒動に発展します。
これは平定され、基広は討ち取られ、季広は名実ともに家督を継承しました。
が、これでは広継正室の不満は深まるばかりで、納得するわけがありません。
ならばと夫である南条広継を、蠣崎家当主にしようと画策します。
その手段として、蠣崎家嫡男であり、実弟であった長男の蠣崎舜広を毒殺。
さらには同じく実弟で、次男であった明石元広をも毒殺してしまいます。
このような事件発生し、事はすぐにも明るみに出、広継正室は自害を命じられました。
このような状況に、もっとも迷惑を被ったのが、南条広継その人でした。
南条広継と逆さ水松
広継は事件に全く関与していなかったのですが、当然ながら関与を疑われ、正室に連座する形で罪を問われてしまったのです。
結局責任をとるためにも広継自身も自害を余儀無くされ、しかし全ては嫁が勝手にしたことで、広継はあずかり知らぬこと。
もちろん、嫁の監督責任はあるでしょうが、ならばその嫁を育てた親の責任はどうなんだという話であり、ともあれこのまま逆賊の汚名を着せられたまま死ぬのはあまりに口惜しいと考えた広継は、逆さ水松という伝説を残すことになる、壮絶な死を選びました。
永禄5年(1562年)、広継は自害に際して棺を用意させ、身を礼服につつみ、生きたまま入棺して土に埋めさせ、その上に逆さに水松を植えさせたのです。
「水松が根付いたらば身に悪心ない証、三年の後にも遺骸が腐っていなかったらば潔白のあかしである」
と言い残して、棺の中で経文を読誦したそうです。
呼吸するための空気を青竹で確保しつつ、その読経は実に三週間に及びました。
そして水松は無事成長。
広継の悪心無しは、ここに証明されたのでした。