跡部勝資 ~甲斐武田氏衰退の原因となった奸臣か

跡部勝資 ~甲斐武田氏衰退の原因となった奸臣か

 跡部勝資とは戦国時代から安土桃山時代にかけての武将であり、甲斐武田氏家臣。
 甲州征伐の際には主君・武田勝頼と共に、武田氏滅亡と運命を共にした。
 長坂光堅と共に、武田氏が滅亡に至る原因となった家臣の一人ともいわれている。

跡部勝資 (あとべ かつすけ)
生年不詳
没年1582年(天正10年3月11日)
改名又八朗⇒勝資
主君武田信玄武田勝頼
跡部信秋
兄弟勝資 良保 女 女
和田信業 昌勝 朝比奈信良室 依田信蕃室

跡部勝資とは

由羅
由羅
えっと……武田家臣で跡部勝資って、あまり聞いたことがないけれど、マイナーな武将?
そんなことはないよ。確かに武田四天王とか、四名臣とか、武田二十四将とかには入っていないけど、別の意味で知名度のあるひと
イリス
イリス
由羅
由羅
そうなの? じゃあ……主君を裏切ったとかで?
勝資は別に裏切ってなんかいないよ。むしろ天目山の戦いで、最後まで主君・武田勝頼と行動を共にして、殉じた家臣の一人だから
イリス
イリス
由羅
由羅
じゃあ忠臣だね
そいう言い切ってしまうのは難しいかもしれない。このひとは奸臣と言われている類の人物で、甲斐武田氏が衰退していく原因の一人ではないか、と言われているの
イリス
イリス
由羅
由羅
奸臣? えっと……例えば黄皓みたいなひと?
…………どうしていきなり三国志から例えを出したのかは知らないけれど、あそこまではっきりとした奸臣かどうかは分からない。もしかしたら本当は忠臣だったのかもしれない。実のところ何とも言えないの。ただ、そう思われる事例があることは確かだけどね
イリス
イリス
由羅
由羅
結局よくわからないひと?
後世のひとがどうとるか、かな
イリス
イリス

跡部氏

 勝資の出自である跡部氏は、信濃国守護・小笠原氏の庶流であり、信濃国跡部郷に発する一族である。

 1416年(応永23年)に起きた上杉禅秀の乱により、甲斐守護であった武田信満が滅亡。

 そのため室町幕府は、出家していた武田信元を甲斐守護に任じ、その支援を隣国であった小笠原氏に命じている。
 その際に、信濃守護であった小笠原政康は、守護代として跡部氏を甲斐へと派遣。

 このような経緯を経て、跡部氏は甲斐に土着することとなった。

由羅
由羅
もともとは信濃国が出自なんだね
勝資の先祖は、ということだけどね
イリス
イリス
 しかし1465年(寛正6年)、甲斐守護であった武田信昌は跡部景家を滅ぼして、跡部氏は排斥されることとなる。
勝資の出自は守護代であった跡部氏に遡るとされているけれど、その正確な系譜は伝わってはいないの
イリス
イリス

来歴

 跡部勝資の生年は不明。

 甲斐の戦国大名・武田信玄は外征の結果、その領国を拡大。
 それに伴って有力家臣は各地に赴任し、信玄の周囲には常駐する家臣が少なくなっていった。

 それにより信玄の側近として、有力家臣の子弟が近侍するようになり、勝資もまた側近の一人として、山県昌景や土屋昌続、原昌胤らと共にその名を残している。

勝資は300騎持ちの侍大将だったらしく、山県昌景や高坂昌信と並ぶものだったんだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
山県とか高坂って、四名臣の人たちだよね。それに肩を並べていたんだ
 1549年(天文18年)の武田信玄による信濃侵攻において、望月氏や大井氏などを服属。
 この時に大井信常を大井氏の名代に命じる使者として、「跡又」なる人物が派遣されており、これが勝資であると考えられている。

 1567年(永禄10)に起きた義信事件に際しては、下之郷起請文において奉行を務めていたとされている。

 また信玄の死後、武田勝頼が家督を継いだ後は外交においても活躍していたようで、上杉氏との甲越同盟、佐竹氏との甲佐同盟などの取次ぎを務めた。

 1582年(天正10年)、織田信長による甲州征伐が開始されると、武田氏は組織だった抵抗をすることも敵わず追い込まれ、ついに天目山に追い詰められた主君・武田勝頼は自害。

 勝頼に随行した家臣である長坂光堅、土屋昌恒・秋山源三郎兄弟、秋山紀伊守、小宮山友晴、小原下野守・継忠兄弟、大熊朝秀らは討死し、勝資もまた殉死(または諏訪防衛戦にて戦死か)したとされている。

跡部勝資の人物像

由羅
由羅
……これだけの事績だけだと、奸臣とか言われる理由がわからないんだけど?
そうだね。でも武田氏の滅亡に際し、『甲陽軍鑑』では長坂光堅と共に勝資は奸臣として評され、滅亡の原因になったとされているの
イリス
イリス
 武田氏衰亡の発端となった長篠の戦いにおいて、重鎮達が撤退を進言するなか主戦を主張し、結果的に大敗を喫したことも、そういわれる要因の一つであるといわれている。

 また1578年(天正6年)に越後上杉氏で起きた家督相続争いである御館の乱では、長坂光堅と共に上杉景勝から賄賂を受け取った、とも『甲陽軍鑑』には記載されている。

由羅
由羅
うわ、賄賂かあ……。本当にもらっていたんなら、汚職政治家だよね
あと『三河物語』では、武田氏滅亡の際に勝頼を見捨てて逃亡した、という記述があるんだけど、信憑性は無いみたいだね
イリス
イリス
由羅
由羅
ふーん……。でもこの程度のことしかないんだよね?
勝資は勝頼の重要な側近の一人で、その取次の寡占化していたと思われるの
イリス
イリス
由羅
由羅
つまり、何でもかんでもとりあえず勝資を通さなきゃ駄目ってこと?
ざっくりと言えば、そう。歴史上、こういう立場の人物って悪く言われやすいから。主を傀儡にしている……みたいな
イリス
イリス
由羅
由羅
それが否定的な逸話が生まれる要因になっちゃった可能性がある、ということだね
そうかもしれない
イリス
イリス
由羅
由羅
だからもしかすると、誰にも負けない忠臣の一人だったのかもしれない可能性もあるわけね。少なくとも武田家滅亡の際にこれを裏切った家臣が出た中で、最期まで勝頼の家臣であり続けたんだから
賄賂のこともそうだけど、忠臣が必ずしも人格者、というわけじゃないから。ひとそれぞれ。あとは周りのひとたちがそう取るか、だね
イリス
イリス

跡部勝資画像