玄広恵探(今川良真) ~花倉の乱で敗れた、義元(梅岳承芳)の庶兄

玄広恵探(今川良真) ~花倉の乱で敗れた、義元(梅岳承芳)の庶兄

 玄広恵探とは戦国時代の武将であり、花倉の乱で弟である今川義元と争い、敗れた人物である。
 今川良真を名乗ったともいわれている。

玄広恵探(げんこうえたん)/今川良真(いまがわ ながさね)
足利二つ引両
生年1517年(永正14年)
没年1536年(天文5年6月10日)
改名玄広恵探⇒良真?
家紋足利二つ引両(あしかがふたつひきりょう)
父:今川氏親
母:福島正成の娘
兄弟氏輝 彦五郎 玄広恵探 義元 氏豊
瑞渓院(北条氏康正室) 松平親善室(後鵜殿長持室) 中御門宣綱室 関口親永室 瀬名氏俊室

玄広恵探とは

由羅
由羅
玄広恵探っていうと、今川義元の兄、だよね
そうだよ。義元の家督継承の件では必ず出て来る人物だから
イリス
イリス
由羅
由羅
でも今川一門っぽくない名前だから、印象に残るんだよねえ
出家していた時の名前だものね
イリス
イリス
由羅
由羅
ちなみに今川良真っていうのは?
そういう名乗りもあったんじゃないかな、という程度のものだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
今川一門の武将の名としては、こちらの方がしっくりくるよね

花倉の乱

 玄広恵探は1517年(永正14年)に今川氏親の三男として生まれた。
 今川義元とは母親が違い、今川氏の有力家臣であった福島正成の娘を母としており、義元の異母兄にあたる。

 氏親には長男である氏輝が嫡男としてあり、次男である彦五郎もあったため、三男であった良真は弟の梅岳承芳(今川義元)や象耳泉奘と共に早くに出家し、玄広恵探と名乗ったという。

 ところが1536年(天文5年)に、父の跡を継いで当主となっていた兄・今川氏輝と次男・彦五郎が相次いで急死する事態が起こった。

氏輝はもともと病弱であったとされているけれど、だからといって二人の兄弟が同日に死去することは考えにくく、毒殺や自殺説など、二人の死には謎とされているの
イリス
イリス
由羅
由羅
疑惑濃厚だよねえ
 ともあれこのような事態に際し、氏親の正室であった寿桂尼が自身の子である梅岳承芳を還俗させて今川義元と名乗らせ、家督を継がせようとした。
由羅
由羅
義元は五男だったから、まだ健在な兄が玄広恵探を含めて二人もいただけだけど、寿桂尼にしてみれば当然自身の子を継がせようと思うよね
寿桂尼は正室だったし、当然といえば当然の流れかな
イリス
イリス
 ところがこの動きに反対したのが母方の福島氏であり、この福島氏に擁されて玄広恵探は挙兵し、花倉城や方ノ上城に拠たっという。
 この時に、一説では名を玄広恵探から今川良真に改めたとされている。
由羅
由羅
こうなると、二人の兄の死ももしかしたら……って思っちゃうよね
 こうしていわゆる花倉の乱が勃発。

 しかし対する義元は相模の後北条家の支援を受け、今川家臣である岡部親綱が方ノ上城を攻撃し、これを攻略する。
 そして良真の篭る花倉城へと攻めかけ、良真は必死の抵抗をするも多勢に無勢で支えきれずに逃亡し、瀬戸谷の普門寺で自刃したという。

由羅
由羅
これだけ見ると、玄広恵探自身に野心があったのかどうかはわからないよね
体よく擁立されただけとも言えるけれど、本当のところはどうだったのかは分からないかな
イリス
イリス
 これにより今川義元の家督相続が確定し、今川家はさらにその勢力を拡大させていくことになるのである。