織田信勝(織田信行)【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】

織田信勝とは戦国時代の武将。尾張の織田家臣。
父は尾張の戦国大名・織田信秀。
実兄である織田信長と家督を巡って争い、敗れて誅殺された人物です。
今回はそんな織田信勝を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!
信長の野望での織田信勝
信長の野望・大志での能力値

信長の野望 大志 | |
---|---|
統率 | 37 |
武勇 | 44 |
知略 | 65 |
内政 | 58 |
外政 | 63 |

あの織田信長とやりやった弟の割には、今一つの能力です。
家督争いに敗れたこともあり、高い評価になりようもない、といったところでしょうか。
これでも親の七光りで底上げしてもらっているような、そんな印象があるくらいです。
大河ドラマ『麒麟がくる』では、まだ幼い竹千代(のちの徳川家康)に将棋の手を抜いてもらっているような描写があり、製作陣からもディスられてしまっているほどです。
そんな設定があるくらいだから、周囲がもてはやすほどの才は無かったのかもしれません。
能力はどちらかというと内政向き。
野心が高めなのは、まあ謀反とかをやらかしているから順当な数値でしょう。
志は家督継承。
しかし弟がこういう志を持っているのは、実に迷惑なことですね。
信長の野望・新生での能力値

統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
37 | 38 | 64 | 55 |
新生になっても評価の低さは相変わらず。武勇が30台に下がったことで、余計に評価が低くなったような印象も受けてしまいます。
織田信勝とは
織田信勝といえば、織田信秀の三男にして信長の同母(母親は土田御前)弟であり、信長と尾張の支配権を巡って争い、その脅威となった人物です。
しかし最期は稲生の戦いで敗北し、信長によって誅殺されました。
家督を継承した信長の、最初の関門、みたいな相手として描かれることの多い人物です。
家督継承を巡るトラブルはあちこちであったことであり、信長もその洗礼を受けた、というわけでしょう。
ちなみに織田信勝という名前ですが、信長に誅殺された弟といえば、織田信行、という名前の方が馴染みがある方もいらっしゃるかもしれません。
ちなみにどちらも同一人物です。
信勝は達成、信成と改名し、信行と名乗っていたともされているのですが、当時の史料にはその名はなく、最近では織田信勝の方を採用することが多くなりました。
大河ドラマ『麒麟がくる』でも『信長の野望』でも信勝になっています。
数いる信長の兄弟の中でも、正室の子は信長と信勝のみで、父親である信秀の死後、その支配を二人は共同で行うようになりました。
兄・信長は奇行が目立ったのに対し、信勝は礼儀正しく対照的であったといわれています。
信秀死去後、織田弾正忠家内の覇権争いは続き、最終的に残ったのが信長と信勝でした。
そんな中、信長の支援者であった美濃の斎藤道三が、嫡男・斎藤義龍に攻め滅ぼされる事件が発生します。
義龍は信長と敵対しており、ごく自然な流れとして義龍は信長の敵対勢力の支援を行うようになりました。
こういった情勢下、信勝は信長と明確に対立を表明。
稲生の戦いが勃発し、信勝を信長に敗北します。
信勝は敗北するのですが、しかし信長は信勝のことを赦しました。
しかし信勝は再び謀反を画策し、その配下だった柴田勝家が信長にこれを密告したことで事は破れ、信長は仮病を使って信勝を誘い出し、これを誅殺することになるのです。
ちなみにこの時代、同時期の隣国においても、仮病を使って云々という手段で、誰かさんが同じようなことをやっていたりします。
陳腐ですが、身内を騙すには有効な手段だった、ということでしょう。
信長の兄弟
信長の兄弟は実はたくさんいるのですが、男兄弟では信勝が一番知名度が高いかもしれません。
後年になれば、織田長益あたりもそれなりに知名度が高くなるのですが、あれは信長の死後にこそ目立ち始めた弟であり、年齢もかなり離れていたこともあって、あまり弟という雰囲気がないですね。
ちなみに長益といえば、織田の源五は人ではないよ~♪ の、織田有楽斎です。
確かにこっちも知名度ありますね。