帰蝶(濃姫)【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】
帰蝶とは美濃国の戦国大名・斎藤道三の娘であり、織田信長の正室として知られている人物です。
濃姫とも呼ばれています。
今回はそんな帰蝶(濃姫)を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!
信長の野望での帰蝶(濃姫)
信長の野望・大志での能力値
信長の野望 大志 | |
---|---|
統率 | 75 |
武勇 | 68 |
知略 | 77 |
内政 | 60 |
外政 | 65 |
能力はバランスの取れた感じです。
全てが70~60台の中に全て収まっていて、平凡よりちょっとだけ秀でているかな、って感じでしょうか。
以前の『信長の野望』のシリーズでは、もうちょっと高く設定されていたのですが、今回はやや落ち着いた感じになったようです。
とはいえ『信長の野望』に出てくる女性登場人物は、明らかに能力値が補正されている印象があるので、今回の帰蝶に関しても、そこらの武将に比べれば遥かに使えます。
チート軍団織田家では、さほど目立ちませんが、他の弱小大名家からすれば、羨ましい人材でしょう。
格付けはSなのですが、仕様なのか何なのか、女武将は意外に簡単に捕縛できてしまいます。
が、織田家自体を滅ぼさないと、捕まえてもさっさと伴侶の信長の元に逃げ帰ってしまうので、事実上、信長自体を軍門に降らせない限り、織田家にいる帰蝶を引き抜くのは難しいですね。
というわけで、斎藤家にいる頃が狙い目です。
信長の野望・新生での能力値
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
69 | 51 | 75 | 63 |
前作に比べると、全体的に評価が落ちた印象です。
特に軍事関係の能力ですね。
武勇などは大きく下がり、ぎりぎり50台。
統率も70台から転落しています。
知略、政務はほぼ前作通りではありますが、それでも微減していますね。
帰蝶はここ最近ではシリーズを重ねるごとに、能力が下がっていく印象です。
とはいえさほど実績が知られていない人物であり、今までが高すぎた、といったところでしょうか。
落ち着くべきところに落ち着いてきた、といった感じですね。
さて戦国時代では限りなくトップに近い有名人の織田信長の伴侶たる帰蝶。
しかし意外や意外、その人生は謎に包まれていたりします。
ではそんな帰蝶の一生を、次からみてみましょう。
帰蝶とは
帰蝶といえば、戦国時代で有名な織田信長に嫁いだ斎藤道三の娘として知られています。
帰蝶という名前よりも、濃姫という名称の方が一般的かもしれませんね。
ドラマ等でも登場する機会が少なくないのですが、一方で現在知られている逸話の大半は創作上のもので、史実とは言い難かったりします。
というかもはや、実在したかどうかもわかんないようなレベルだったりするのです。
恐らく存在したであろうとは考えられているものの、史料が少なすぎてよくわからない、といったところが実情だったりします。
名称の帰蝶も、江戸時代に成立した史料に言及されているだけであり、当時そのように呼ばれていたかは分からないのです。
帰蝶は斎藤道三の娘であり、母親はの小見の方とされています。
この小見の方が帰蝶の母親であるのならば、信長にとって因縁深い相手となる明智光秀と帰蝶を結ぶ鍵となり得ます。
なぜならば小見の方の出自は明智氏で、明智光継の娘、そして明智光綱の妹である、とされているからです。
もしこれが正しいのであれば、光秀と帰蝶は従兄妹という関係になり、夫となる信長を絡めて複雑な人間関係を構築できることもあって、ドラマ等ではこの説を採用している場合が多いですね。
事実NHK大河ドラマ『麒麟がくる』では従兄妹という扱いになっています。
もっとも一方の明智光秀の出自が不明な点が多く、結局のところ間違いなく従兄妹である、と断言はできるわけではありません。
さて信長の正室として有名な帰蝶ではありますが、最初、父である道三の主家筋にあたる土岐頼純に嫁いだとされています。
実は信長とは二回目の結婚だったわけですね。
この時、帰蝶は12歳。
ところが土岐頼純が急死してしまいます。
これにより帰蝶は実家へと戻ることになったわけです。
またもや例の『麒麟がくる』では、父・道三が思いっきり土岐頼純を毒殺しているわけですが……戦国の世の倣いとはいえ、恐ろしい一家です。
このような中で、美濃の斎藤家と尾張の織田家は長年争ってきたものの、ついに両者は和睦。
その条件として、帰蝶の織田家への輿入れが持ち上がることになります。
この頃には病を得ていた信長の父・織田信秀の督促もあって、帰蝶はその嫡男である信長の元に嫁ぐことになったのでした。
謎に包まれた人生
このように織田家に入った帰蝶でしたが、それ以降の記録がぱったりと途絶えてしまいます。
つまり、その後どうなったかがまったくの不明なわけですね。
ドラマによっては本能寺の変の際、信長と共に討死するという演出になっていたりすることもあったのですが、まず創作といっていいでしょう。
信長には多くの子がいましたが、その中に帰蝶が生母になったものはいないと考えられています。
とはいえ多くの子供の生母自体が不明なこともあって、確実にいなかったとも言い難いわけです。
また、織田信長の最愛の女性として名が挙がるのは、帰蝶ではなく生駒吉乃です。
側室である吉乃は信忠・信雄・徳姫らを生んでおり、信忠は子の無かった帰蝶の養子となって信長の嫡子を扱いを受けたともいわれています。
吉乃は側室でしたが、そういう事情から正室に近い扱いを受けていたともいわれています。
他にも帰蝶に関しては早世説もあり、また一方でそれなりに生きたという説もあって、その人生はやはりはっきりとはしていないのです。
しかしだからこそ、色々と創作や演出の余地があるといってもいいのかもしれませんね。