愛洲久忠(愛洲移香斎)【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】

土岐 無理之介

 愛洲久忠とは室町時代から戦国時代にかけての兵法家です。
 陰流の始祖としても知られています。

 号を移香斎(いこうさい)と称し、愛洲移香斎の名も著名です。

 今回はそんな愛洲久忠を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!

信長の野望での愛洲久忠(愛洲移香斎)

信長の野望・新生での能力値

愛洲久忠(愛洲移香斎)【信長の野望】
©コーエーテクモゲームス
信長の野望 新生
愛洲移香斎(あいす いこうさい)
統率56
武勇79
知略58
政務29
愛洲久忠(愛洲移香斎)能力【信長の野望】
©コーエーテクモゲームス

 信長の野望に登場する兵法家や武芸者に共通した能力値ですね。
 武勇は高く、統率、知略は並みで、政務は悲惨、といったところです。

 久忠はどちらかといえばほぼ室町時代の人物ではありますが、かなり長生きしたこともあって、ぎりぎりゲーム中に登場するようなしないような、微妙な年代まで生きています。

 といっても今作である『新生』では、最も初期のシナリオである「信長元服」であったとしても1546年開始ですので、基本的にはお目にかかれない武将なわけですね。

 にも拘わらずゲーム中に存在している愛洲久忠とは何者か。
 その来歴を振り返ってみましょう。

愛洲久忠の来歴

 とはいったものの、愛洲久忠の詳細なその生涯ははっきりとしていません。

 伊勢国の出身とされ、享徳元年(1452年)に生まれたとされています。

 幼少の頃より剣術の才能があったようで、武者修行を重ね、諸国をめぐりました。
 それは日本国内に限らず、明にまで渡航したともいわれています。

 そして36歳の時に日向国鵜戸の岩屋に参籠して霊験により開眼したとされ、陰流を開きました。

 陰流(かげりゅう)とはでのちに兵法三大源流の一つとされています。

 そして忠久は日向守と称して日向に定住したようで、87歳まで生きました。

 天文7年(1538年)に死去。

 忠久の後は、子の愛洲宗通(元香斎)が継ぎました。
 この宗通の弟子こそが、戦国時代でも著名な剣聖・上泉信綱なわけですね。

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土岐無理之介
土岐無理之介
歴史好き。主に戦国時代。
旅ついでに城郭神社仏閣を巡りなどやってます。

趣味で小説など書いたりも。カクヨムや小説家になろうにて、荒唐無稽な歴史IF小説などを、気ままに投稿しています。
たまにはイラストなども描いてみたり。
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