本多忠朝 ~酒で身をあやまり大坂の陣にて戦死した、本多忠勝次男

本多忠朝 ~酒で身をあやまり大坂の陣にて戦死した、本多忠勝次男

 本多忠朝とは安土桃山時代から江戸時代にかけての武将であり、大名。
 上総大多喜藩2代藩主であり、本多忠勝の次男として知られている。
 大坂の陣において戦死した。

本多忠朝(ほんだ ただとも)
本多葵(丸に立ち葵)
生年1582年(天正10年)
没年1615年(慶長20年6月3日)
別名通称:内記
主君徳川家康
氏族本多氏
家紋本多葵(丸に立ち葵)
父:本多忠勝
母:阿知和右衛門の娘
兄弟小松姫(真田信之室) もり姫(奥平家昌室) 忠政 忠朝
正室:一柳直盛の娘
政勝 千代(本多政朝正室) 娘(山口某室) 出雲守

本多忠朝とは

由羅
由羅
本多忠朝って、あの戦国最強の本多忠勝の次男だよね!
そうだね。父親である忠勝のことは有名だけど、その子供たちのことって知ってる?
イリス
イリス
由羅
由羅
ええと……。あの、ほら。真田幸村(信繁)の兄である真田信之に嫁いだのが、忠勝の娘だったような
そうだよ。小松姫のことね
イリス
イリス
由羅
由羅
知名度のある真田家に絡んでくるひとだから、覚えてたの
ちなみに忠朝は小松姫とは10歳近く、歳が離れているから
イリス
イリス
由羅
由羅
そうなんだ。で、具体的には何をしたひとなの?
お酒で失敗したひと
イリス
イリス
由羅
由羅
え……
他でもちゃんと活躍しているんだけど、後世ではやっぱりそのことが有名かな
イリス
イリス

略歴

出自

 本多忠朝は1582年(天正10年)、徳川家康の重臣であった本多忠勝の次男として誕生した。

 父譲りの勇将であったとされ、1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いにおいては父同様、活躍したといわれている。

 関ヶ原の戦い以後、その戦功により父・忠勝は伊勢桑名藩に移封。
 これによりそれまで忠勝が領していた上総大多喜5万石を与えられ、上総大多喜藩2代藩主となった。

由羅
由羅
誕生したのが天正10年だから、ちょうど本能寺の変があった頃。ということは戦国時代というよりは、安土桃山時代。そして忠朝が活躍できる年齢になった頃には、もう江戸時代、っていうわけだね
豊臣秀吉によっていったん天下統一がなされて、その秀吉の亡き後に起きた関ヶ原の戦いで、忠朝は活躍したんだって
イリス
イリス

サン・フランシスコ号難破事故

 1609年(慶長14年)、ドン・ロドリゴ一行のスペイン船サン・フランシスコ号が航海中に難破するという事故が発生する。
 これにより50名余りが溺死し、300名余りが上総国岩和田村に上陸した。

由羅
由羅
ドン・ロドリゴ?
正確にはロドリゴ・デ・ビベロ・イ・アベルサ。エスパーニャの貴族だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
エ、エスパーニャ?
スペイン王国のこと。ドン・ロドリゴはフィリピン臨時総督在任中に、マニラで起こった日本人暴動に際して暴徒を日本に送還したり、貿易量の制限と暴徒の処罰を要求したりしているの。また徳川家康の外交顧問だったウィリアム・アダムスが訪れた時には会見して、家康に友好的な書簡を送っているよ
イリス
イリス
由羅
由羅
日本の関係のあるひとだったんだね。でもそんなひとがどうして?
次期総督と交代のため召還命令を受けていたドン・ロドリゴは、ガレオン船3隻の艦隊でマニラからアカプルコへ向けての航海中台風に遭ってしまうの。ロドリゴの乗っていた旗艦「サン・フランシスコ」は難破して上総国大多喜藩領の岩和田村田尻の浜に漂着したというわけ
イリス
イリス
由羅
由羅
ここで藩主を務めていたのが、本多忠朝だったというわけね
 この時忠朝は一行を保護及び歓待したとされ、ロドリゴの書いた「ドン・ロドリゴ日本見聞録」の中において、約40日間の滞在の間、村人は献身的に対応してくれたと書き記している。
 忠朝もまた家臣と共にロドリゴを訪れ、幕府への報告や温情ある措置を約束したといいます。
由羅
由羅
忠朝って、外国人相手でもちゃんと誠意ある対応をしたんだ
人助けは当然とはいえ、人格者であったことは間違いないと思うよ
イリス
イリス
由羅
由羅
そうだね
忠朝の為人については、こんな逸話からも知れるから
イリス
イリス
 1610年(慶長15年)、父・忠勝は死去する前に、忠勝は軍費として1万5000両を忠朝に譲るため、遺書を残している。

 しかし忠朝は本多忠政の所領が広く費用も必要であろうことから、この金を受け取ろうとしなかったといわれ、兄・忠政もまた父・忠勝の遺言に背くわけにはいかないとして受け取らず、結果的に二人で折半することになったといわれている。

由羅
由羅
頑固な兄弟! でも忠朝らがどういう性格をしていたか、察することのできるエピソードだね

大坂の陣

 1614年(慶長19年)、豊臣氏と徳川氏との間で大坂の陣が勃発。
 忠朝は大坂冬の陣において活躍するも、酒を飲み不覚をとって、敵の猛攻の前に敗退した。

由羅
由羅
ここで酒による失敗談が出て来ちゃうのね
これには家康にも怒られたみたい
イリス
イリス
由羅
由羅
だよねー
 翌1615年(慶長20年)の大坂夏の陣において、忠朝は汚名返上を決意。
 大坂の陣における最終戦となった天王寺・岡山の戦いにおいて先鋒となり、豊臣方の毛利勝永勢を相手に正面突撃をかけ、奮戦するも討死した。
由羅
由羅
うーん……大阪夏の陣は、広義でいう戦国時代の終わりなんだけど、そこで討死しちゃったんだ
敵は毛利勝永だし、相手が悪かったのもあると思う
イリス
イリス
由羅
由羅
勝永がめちゃくちゃ無双していた戦いだものね
 死に際し、酒のために身をあやまる者を救おう、と言い残したとされ、その死後、酒封じの神として崇められるようになったといわれている。

本多忠朝画像