織田信光【信長の野望・武将能力からみる評価と来歴】
織田信光とは戦国時代の武将にして織田家の家臣。
織田信定の子で、織田信秀の弟。
織田信長の叔父にあたる人物です。
今回はそんな織田信光を、歴史シミュレーションゲームとして有名な『信長の野望』の武将能力から見ていきましょう!
信長の野望での織田信光
信長の野望・大志での能力値
信長の野望 大志 | |
---|---|
統率 | 52 |
武勇 | 64 |
知略 | 54 |
内政 | 46 |
外政 | 47 |
ぱっとしない織田一門衆の中で、やはりぱっとしない能力を有しています。
一応、軍事向きの能力になっていますね。
あとは低いです。
武略に優れていたというから、武勇の数値が一番高いようだが、あとは平凡だな。というか低いくらいか
武略に優れ、小豆坂七本槍の一人として名を馳せたそうなのですが、その程度では武勇64が精一杯の評価、といったところなのでしょう。
信長の野望・新生での能力値
統率 | 武勇 | 知略 | 政務 |
56 | 62 | 56 | 40 |
新生では大志の時に比べ、統率以外の能力はやや評価が下がった感じですね。
織田信光とは
織田信光といえば尾張の戦国大名・織田信秀の弟であり、織田信長の叔父に当たる人物です。
兄・信秀が優れていた一方で、弟の信光も負けず劣らず、信秀に従って各地を転戦し、武功を挙げていったとされています。
織田信光は1516年(永正13年)に、織田信定の子として誕生しました。
兄・信秀に従って、今川家との合戦である小豆坂の戦いなどで武功を挙げ、小豆坂七本槍の一人として名声を得たといわれています。
小豆坂七本槍とは?
織田信光、織田信房、岡田重善、佐々政次、佐々孫介、中野一安、下方貞清らをいいます。
余談ですが、~七本槍というのはこの戦国時代、実はたくさんあったりまします。
有名どころは賤ケ岳七本槍ですが、他にも蟹江七本槍とか姉川七本槍、上田七本槍などなど。
有名な賤ケ岳七本槍に名を連ねている福島正則や加藤清正は、小豆坂七本槍の下方貞清に対し、自分達の方が小豆坂の似せ物である、とか言っていたそうです。
兄・信秀が死去したのちは、その子である織田信長を支持。
萱津の戦いや村木砦の戦いなどで活躍しました。
また信長の家督相続後、敵対していた織田信友は家臣の坂井大膳の言を容れて信光を調略しようとしましたが、逆に信光の謀略によって清州城へと入り、信友を謀殺します。
その後、清州城は信長へと渡し、信光自身は信長に譲られた那古野城へと入ることになります。
しかし1556年(弘治元年11月26日)、不慮の死を遂げました。
信光は家臣に殺害されてしまうのですが、やったのは坂井孫八郎。
何でも信光の夫人と孫八郎は通じていたようで、それで……だそうです。