越前大野城【天空の城】と御城印

越前大野城は福井県大野市にあった平山城。
金森長近によって築城され、江戸時代には大野藩の藩庁がありました。
現在の天守は昭和に建てられた復興天守です。
2017年(平成29年)、続日本100名城(138番)に選定。
そして現在では天空の城の一つとして知られています。
また越前大野城の御城印が購入可能です。
![]() 越前大野城碑 |
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別名 | 天空の城 |
城郭構造 | 梯郭式平山城 |
天守構造 | 複合連結式2重2階(非現存) 連結式望楼型2重3階(1968年 RC造復興) |
築城主 | 金森長近 |
築城年 | 1580年頃(天正8年頃) |
主な城主 | 金森氏 松平氏 土井氏 他 |
廃城年 | 明治初期 |
遺構 | 石垣 堀 |
指定文化財 | 県指定史跡 |
再建造物 | 復興天守 門 |
地図 |
越前大野城とは
越前大野城といえば、今現在、その歴史よりも天空の城としての知名度の方が有名です。
そもそも天空の城というのは、雲海などのおかげで雲の上に浮いているように見えるお城のことをいい、特に竹田城などが有名でしょう。
竹田城は「天空の城」や「日本のマチュピチュ」とも言われているわけですが、他にも天空の城と称される日本の城郭は竹田城だけでなく、他にもいくつか挙げられます。
天空の城一覧
竹田城跡(兵庫県朝来市)
津和野城(島根県津和野町)
郡上八幡城(岐阜県郡上市)
備中松山城(岡山県高梁市)
越前大野城(福井県大野市)
今回はそんな天空の城の一つ、越前大野城の紹介です。
越前大野城の概要
戦国時代の越前国は朝倉氏によって支配されていたのですが、その最後の当主となった朝倉義景の代に、織田信長によって朝倉氏は滅ぼされ、越前国は織田領となりました。
しかしその後、時を置かずにして越前一向一揆が発生。
これにより越前国は大混乱状態となり、織田氏は一時的に越前国を失陥することになります。
そして1575年(天正3年)、織田信長は越前一向一揆を平定。
その際の恩賞として、織田家臣であった金森長近が越前国大野郡の一部である3万石(大野郡の3分の2)を与えられ、まず戌山城に入ったとされいるのです。

金森長近像
1576年(天正4年)、長近はその戌山城の近くにあった亀山に城郭を築くことにし、これが越前大野城の始まりとなりました。
江戸時代に入ると越前松平家が3代続き、その後しばらく天領の扱いとなって城主が目まぐるしく代わり、そして土井氏が定着した後は明治維新まで続きます。
1775年(安政4)には、城下の野口村(現大野市市役所近辺)から出火し、これが城下1,400戸を焼く大火となった事件が発生しました。
この際に大野城にも飛び火して、本丸を焼失してしまいます。
1795年(寛政7年)、本丸を再建。
しかし天守が再建されることはありませんでした。
そして1873年(明治6年)、明治新政府による廃城令によって、大野城も破却。
1968年(昭和43年)、旧士族であった萩原貞氏の寄付によって、天守閣を推定復元するに至ります。
現在見られる大野城の天守は、この時に復元されたものです。
遺構

大野城石垣
山頂の石垣や堀が現存。
山麓部においては、内堀および外堀の一部が残されています。

かつての大野城外堀 新堀川

新堀川案内板
また建造物としては、市内の中丁真乗寺山門として不明門(あかずのもん)が残り、光明寺山門として櫓門であった鳩門の門部分が現存。
他にも藩主であった土井利忠の隠居所が、柳廼社社務所として移築現存しています。
城郭構造
越前大野城は亀山を利用して築かれた城であり、いわゆる梯郭式と分類される城郭です。
亀山の山頂部分を削り、平坦にしてこれを本丸とし、その東側の麓に二の丸や三の丸を造る形式でした。
また南、北、東の三方向には人工的な外堀を巡らしていたようです。
このうち東部分の堀であった百間堀については、その一部が残されているのが確認できます。
また西側には赤根川が流れていたことや、沼地が広がっていたことから、これが天然の堀として作用していました。
石垣

大野城石垣
越前大野城の石垣は、戌山城の城石が使用されたという伝承が残っています。
戌山城って、金森長近が最初に居城にしていた城でした。
戌山城のあった犬山の中腹には岩石を砕いて運んだとされる跡が残っており、大野城築城の際の石垣に使われたのであろうと推定されています。
また犬山だけでなく、付近の山からも石垣用として岩石が運ばれたのだと考えられているようです。
天守

大野城天守
かつての天守
越前大野城の天守は、亀山山頂にある天守曲輪に建てられました。
本来は望楼付きの2重3階の大天守と、2重2階の小天守、そして天狗の間(天狗書院)と呼ばれた付櫓(天狗櫓)が付属された、複合連結式の天守であったといわれています。
しかし1775年(安政4)に焼失。
1795年(寛政7年)の本丸再建時にも、天守は再建されることはありませんでした。
復興天守
現在、亀山山頂の建つ天守は、1968年(昭和43年)に元士族の萩原貞の寄付によって、往時の絵図や創建当時の同時期の他の城の天守を元に再建されたものです。
鉄筋コンクリート構造であり、いかにも現代のお城といった感じです。
この天守ですが、その構造はともかくとして、あくまで推定再建されたことだということに留意する必要があるでしょう。
例えば小天守が天狗の間の位置に建てられていたりして、史実に基づいた復元再建ではない、ということなのです。
ちなみに配置や鉄筋コンクリート構造などは、富山城やその他の例にもあるように色々賛否両論があったりもするのですが、再建されて何十年も経過している以上、それはそれで昔からあった一つの風景としてすでに親しまれているもです。ならば好意的に受け入れた方が、人生楽しいと思うのは管理人だけではないでしょう。
ちなみに天守は金森氏や土井氏など歴代の城主に関する資料を展示した資料館として利用されています。
小さいものですが、展示物はなかなか興味深いものばかりですので一見の価値あり!
ただ豪雪地帯らしく、12月から3月まで、つまり冬季は閉館だから気を付けましょう。
越前大野城の御城印

越前大野城御城印その一・築城440年記念ver.1

意匠は金森長近の兜の飾りにちなんだ龍と城、満月、家紋「亀甲裏梅鉢紋」の朱印。
越前大野城御城印その二・築城440年記念ver.2

龍と雲、家紋「亀甲裏梅鉢紋」の朱印バージョン。
越前大野城御城印その三・築城440年記念ver.3

龍と城、家紋「亀甲裏梅鉢紋」の朱印バージョン。
通常バージョンは、土井家の家紋「丸の内水車」が朱印されています。
越前大野城御城印の入手方法
越前大野城にて購入可能。
冬季は閉鎖されるため、武家屋敷旧山内家で頒布されています。
住所は福井県大野市城町3-109
価格は一枚300円。
越前大野城関連画像

亀山公園南登り口

百間坂

遊歩道

土井利忠像

展望台から大野市街を望む

大野城天守

大野城小天守

亀山頂上碑

権現宮跡

塩硝蔵跡

武具蔵跡

お福池





柳廼社

柳廼社社殿

大野市民俗資料館

中村重助の碑

内山隆佐の碑

内山良休の碑

内山良休案内板

越前大野城遠望