朝倉天正色葉鏡

朝倉天正色葉鏡

 『朝倉天正色葉鏡』とはたれたれをによる小説作品。
 当ブログとWEB小説投稿サイトである「小説家になろう」において、2018年7月11日から連載されている。

朝倉天正色葉鏡(あさくらてんしょういろはかがみ)
朝倉天正色葉鏡
ジャンル架空戦記 伝奇
作者たれたれを
掲載サイト当ブログ
小説家になろう
Novelism(ノベリズム)
外部小説のURLhttps://ncode.syosetu.com/n4156ew/(小説家になろう)
https://novelism.jp/novel/x5HXUpj8TXuWIQ7B5r3P1w/(Novelism)
連載期間2018/07/11~
その他情報WEB版:連載中


小説本編目次

序章

朝倉継承編

越甲同盟編

北陸統一編

畿内動乱編

色葉上洛編

西上作戦編

大坂独立編

甲州征伐編

天正政変編

朝倉天正色葉鏡とは

由羅
由羅
これってあれだよね。ここの管理人が書いているお話……
趣味を形にしているだけなんだが
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
歴史ものなの? 私たちのお話とは少し毛色が違うよね
一応は戦記物だよ。戦国時代を舞台にした
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
小説家になろうで連載しているみたいだけど、いわゆるなろう系としてはどうなの?
多少はその要素はあるけど、そこまでじゃないかな。そもそも異世界ものじゃないし
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
じゃあ苦戦しそうだね
いいんだよ。趣味で書いているだけだから
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
そうなの? じゃあなんでこんなまとめっぽい記事を書いたの?
基本的に登場人物が多くてだな。最初は良かったんだが、どんどん何が何やらわからなくなってきたんだよ。それで作者自身が再確認し易いようにとまとめてみたんだが、どうせだからとブログに載せることにしたんだ
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
適当に書いているからそうなるんじゃないの?
適当とか言うな。まあ、否定はできないが
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
ほら
歴史人物を使えるから、自分で新たにキャラクターを考えなくてもすむから楽だ、とか思っていたのは最初のうちだけだったな。事跡残る人物だからこそ、下調べは必要で、あまりに突拍子もないことは書けないし……。縛りが多くて案外大変なんだ
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
その点、わたしたちは楽だった?
キャラによるかな。書きやすいキャラもいれば、そうでもないのもいる。ちなみにお前は非常に書きやすいキャラだった
たれたれを
たれたれを
由羅
由羅
それって褒めてるの?
褒めてるよ
たれたれを
たれたれを

あらすじ

 戦国時代の真っただ中に、しかも女の妖として転生してしまったらしい京介は、色葉と名を変え、手に入れた悪魔じみた力と共にこの時代を生き抜くことを決意する。

 織田信長によって滅ぼされ、一向一揆により混乱する越前へと乗り込んだ色葉は、生き残った朝倉旧臣をまとめ上げて越前国を奪取して朝倉氏を再興。

 当時では強敵となっていた織田信長から身をかわしつつ、長篠の戦いを目前に控える武田勝頼と協力し、また北陸支配を巡って上杉謙信と争い、時には謀略を駆使して信長と戦い、天下の覇権を目指すことになる物語である。『小説家になろう 朝倉天正色葉鏡』

朝倉継承編

 小学校教師であった日下部京介は、ある日謎の少女と出会い、一冊の本を手渡される。その後、不可解な出来事により、見た目は狐憑きの妖の少女として過去に酷似した世界に転生。自身のサイコパスぶりを自覚した京介は名を色葉と変え、新たな世界で生き抜くことを決意する。

 当時は元亀から天正に元号が変わった頃の戦国時代であり、信濃国に転生していた色葉は、その場にいた真柄直隆の亡者を付き従えて、直隆の主家がある越前国を目指す。

 朝倉家滅亡後の越前国に入った色葉は、かつて越前を治めた朝倉義景を裏切り、これを自害に追い込んだ朝倉景鏡を養父として朝倉姓を名乗り、越前一向一揆を駆逐。
 混乱する越前国を瞬く間に平定し、朝倉家の名跡を継いでこれを再興させたのだった。

越甲同盟編

 当時急速に勢力を拡大していた織田家に対抗するため、色葉は甲斐武田と協力すべく甲斐国へと向かう。
 この時は長篠の戦の目前であり、史実であったような武田家の大敗を防ぎつつ、朝倉家との同盟を結ぶことが目的だった。

 道中で武藤昌幸や馬場信春といった武田家臣と知遇を得ると、色葉は客将として三河国に侵攻する武田勢に従軍。
 武田勢は徳川勢に対して快進撃を続けるものの、長篠城を包囲する武田勢の元も織田信長の援軍到着の報がもたらされる。

 決戦に及ぶか否かで紛糾する中、武田勝頼の決戦を意思を変えることはできないと悟った色葉は策を巡らし、このままでは起こり得るであろう大敗を避けるために奮戦。

 結果的に武田勢は大敗したものの、致命的な損失からは逃れられ、また徳川勢に対しても痛打を与えることに成功しつつ、撤退に及んだ。

 以降、色葉の活躍により武田家と同盟が締結され、さらにこれを強化するためにと、勝頼の弟である仁科盛信を夫に迎え、婚姻にゆる越甲同盟が成立することになる。

北陸統一編

 首尾よく武田家との同盟に漕ぎ着けた色葉は、まず武田と共同で飛騨を制圧。姉小路家を降す。

 これにて武田家と直通する街道を得た朝倉家は、北陸を制圧するために加賀国へと侵攻。
 加賀一向一揆を追い詰めると、石山本願寺と和睦し、加賀国を得ることになる。

 さらに越中国に軍を進める色葉だったが、越後の上杉謙信が能登の七尾城攻略のためにすでに侵攻しており、ついには両軍は激突。
 緒戦は朝倉優位で進むも、上杉謙信自ら出陣してくると、神通川にて朝倉勢は大敗を喫すことになる。

 色葉自身、謙信との一騎打ちの末に重傷となるが、九死に一生を得、辛うじて上杉勢の攻勢を防ぐに至るなか、謙信が病死。

 これを待っていた色葉は越後へと撤退する上杉勢を突くべく進軍。
 上杉方では謙信の後を巡って、上杉景勝と上杉景虎の間でお家騒動が勃発し、越中に孤立した景勝を追い詰めた色葉は、これを利用して景勝と和睦。

 景勝の家督継承への協力を約束し、その見返りに越中と能登を手中に収め、北陸を平定するのだった。

畿内動乱編

 朝倉家の勢力拡大を危険視した織田信長は、朝倉領への侵攻を画策する。

 これに対して色葉は、謀略により畿内に争乱の火種をまき散らし、これをもって防波堤とした。
 すなわち松永久秀への調略や、荒木村重の謀反である。

 信長が村重の謀反に構っている間に、色葉は上杉景勝の要請を受けて越後へと援軍を派遣。
 上杉家臣を調略しつつ、上杉景虎の援軍として派遣されていた北条氏照ら北条勢を撃退し、景虎を追い詰めて自害に追い込み、景勝の上杉家の家督継承を確定させることに成功する。

 一方畿内においては色葉の策が功を奏し、荒木村重に続いて松永久秀が信長に対して謀反した。

 相次ぐ謀反に織田家が手を焼く最中、信長は朝倉家に対して思わぬ使者を派遣してくることになるのだった。

色葉上洛編

 織田家より派遣された村井貞勝、明智光秀の両名による外交使者は、朝倉家に対して上洛の要請を求めてくる。
 これに対し、家中で意見は二分したものの、最終的に信長からの要請を受けることとなった。

 色葉は五万三千の大軍を率いて、上洛を果たす。
 本能寺にて信長と会見し、表面上は松永久秀を降すべく、色葉は丹波へと進軍する。

 しかし久秀の謀叛自体、色葉の仕掛けによるものであり、久秀はあっさりと色葉に対して降伏。
 これを見とった信長は諮られたことを察して、京を守るべく軍勢を集結させつつ、朝倉勢の退路を断つべく軍事行動を起こす。
 一方の色葉も京を牽制しつつ、退路を確保すべく若狭へと侵攻。

 両者の思惑が交錯する中、色葉は強行軍にて若狭を強襲し、これを攻略。
 そのまま南進し、三方から京を挟撃すべく策を巡らすものの、信長の行動が早く、第二次桂川原の戦いおいては朝倉主力が敗北するなど、一進一退が続くことになる。

 そんな中、南進していた朝倉勢は京へと乱入。
 熾烈な市街戦が展開されることになるのだった。

西上作戦編

 押小路烏丸殿の戦いにおいて、信長を追い詰める色葉であったが、それを救ったのが鈴鹿であった。
 色葉、乙葉、雪葉の三人がかりでも鈴鹿には敵わず、逆に色葉の不調を見抜かれて、思いもよらぬことを告げられてしまう。
 状況の不利を悟った乙葉や雪葉により、半ば色葉の意思を無視するものではあったものの、朝倉勢の撤退を条件に、その場を見逃されることを受け入れたのだった。

 朝倉、織田両軍は休戦状態となる一方で、武田家の武田勝頼は三万三千の軍勢を率いて第二次西上作戦を開始。
 徳川領へと怒涛の侵攻を開始することになる。

 この間、身重となったことで動けない色葉に代わり、乙葉が丹後へと侵攻。
 また織田方も猛将・柴田勝家率いる三万の軍勢が越前敦賀へと侵攻し、各地で戦乱の渦が巻き起こることなった。

 勝家を疋壇城にて迎え撃った晴景だったが、陥落寸前にまで追い込まれる死闘を演じ、結果的には朝倉方の援軍が間に合ったことで、これに勝利する。

 越前侵攻の失敗や、勝頼による西上作戦の成功、徳川家の滅亡などといった要因が重なったことで、信長はついに朝倉家へと和議を申し入れ、ひとまずは終戦となった。

 そんな中、色葉は二人の子を出産することになるのであった。

大坂独立編

 出産後、体力の戻らない色葉であったが、時をかけてようやく越前へと帰国を果たした。
 そして朝倉家当主であった景鏡は色葉へと隠居を申し入れ、晴景が正式に家督を継承することが、色葉によって認められることになる。

 朝倉家が新たな体制に移行していく一方、勝頼に滅ぼされた徳川家康は、相模北条家を頼り、江戸の地に僅かな所領を得て雌伏することになる。

 また一方、織田家においても大事件が勃発することとなった。
 すなわち、羽柴秀吉の謀反である。

 秀吉の謀反により、西への対応に追われることになった信長を傍目にして、勝頼は西上作戦成功の余勢を駆って、北条領へと侵攻を開始。
 これを危惧した色葉であったが、その予想は当たり、北条の客将となっていた家康の策に敗れ、勝頼は三増峠にて討死。
 武田勢は大敗を喫し、この隙を見逃さずに侵攻を開始した北条・織田両軍により、一転窮地に立たされることになってしまうのであった。

 これを救うべく、また和睦の条件を無視したことを名分にして、色葉は織田領近江へと侵攻。
 色葉の重臣・朝倉景建が討死するなど犠牲も大きかったが、北近江の戦いでこれに勝利し、安土城下を徹底的に破壊して、畿内から織田方を駆逐することに成功するのだった。

登場人物

朝倉家

【主要人物】

朝倉色葉(あさくら いろは)

 現代では小学校教師であったが、不可解な出来事から戦国時代に転生。転生の際にアカシアに身体を作り変えられ、見た目は狐憑きの妖の少女となってしまう。
 ちょうど滅亡した朝倉家を再興することで地盤を得、自身の武勇や謀略、史実における歴史の知識を駆使して戦国の世で成り上がっていく。
 事実上の朝倉家の当主ではあるのだが、養父とした朝倉景鏡や夫の朝倉晴景を前面に出して、自身はその後ろで動くことを好んでいる。
 天下統一への目的は、誰にも邪魔されない立場で好きな読書を嗜むため。
 元の名前は日下部京介。色葉の名の由来は「いろは歌」より。

アカシア/朝倉朱葉(あさくら あけは)

 京介が謎の少女にもらった本。その本に宿った人格。「京介」を「色葉」に作り変えた張本人でもある。
 色葉の容姿はアカシアの嗜好によるところが大きく、アカシアの創造主であった謎の少女に通じるところが大きい。
 基本的に色葉としか会話は成立しないが、後に力を与えるなどして干渉し、繋がりを得た雪葉や乙葉などとは意思の疎通が可能である。
 色葉のことしか考えておらず、それ以外は奴隷であると言い切る際どい性格をしている。
 のちに色葉を母胎として、その娘として受肉することになる。

朝倉雪葉(あさくら ゆきは)

 越後国生まれの雪女。
 色葉を頼って一乗谷へと訪れるまでに重傷を負い、色葉によって助けられたことでこれを恩に感じ、色葉に仕えるようになる。
 命を助けられた際にアカシアによって身体をいじられ、少女の姿から大人びたものへと変化した。
 アカシアによって教育されたこともあって、その際どい性格を受け継いでおり、普段は温和であるがその実は冷酷非情で、色葉の命ならばどのような非道なことでもやってのけるほど。
 登場時は少女の姿ではあったが、実年齢は七十を超えている。
 雪葉の名は色葉につけてもらったものであるが、のちに色葉の義理の妹となったことで、朝倉の姓も下賜された。

朝倉乙葉(あさくら おとは)

 下野国生まれの妖狐。すでに四百年を生きる妖でもある。
 諸国を渡り歩いていたが、望月千代女によって信濃巫として使役されていた。
 色葉に出会ったことでこれに従い、雪葉と共にその側近となる。
 千代女により複数あった尻尾の一部を失っていたが、色葉に魂を与えられてこれを増やし、心酔していくことになる。
 性格は感情的で残酷、子供じみた部分もあるが、その実は優しく義理堅い。
 そのため色葉の力が衰えた後もこれに従い、その忠誠心は家中随一。
 のちに色葉の義理の妹となり、朝倉の姓を下賜されることになる。

【色葉側近】

大日方貞宗(おおひがた さだむね)

 信濃国水内郡を治める大日方氏当主・大日方直親の従兄弟。
 色葉が転生した際にこれの討伐にあたっており、逆に返り討ちにされて隷属させられることになる。
 以降、色葉の側近であり最古参の家臣として、朝倉家中では重きを為した。

山崎景成(やまざき かげなり)

 朝倉家臣。富田流名人・富田景政の門下生。色葉とは兄妹弟子。のちの富田の三剣。色葉の側近の一人。
 同じ門下にあったことで色葉に近習し、武将として育てられることになる。

真柄直隆(まがら なおたか)

 朝倉旧臣。太郎太刀という大太刀を振るう猛将。姉川の戦いで討死した後、亡者として復活。色葉の転生時に居合わせたこともあって、以降これに仕えることになった。
 外見は骸のままであるため、人の寄り付かない一乗谷にある一乗谷城代を任されている。

真柄直澄(まがら なおずみ)

 朝倉旧臣。兄・直隆と共に姉川の戦いで討死。復活後、色葉に仕える。

真柄隆基(まがら たかもと)

 朝倉旧臣。直隆の子。姉川の戦いで討死。色葉に仕える。
 加賀鳥越城代を任されていたが、望月千代女との戦いで苦戦しながらも雪葉を一乗谷へと逃がした。そのため雪葉に慕われている。
 また千代女によって破壊された身体は、色葉への誤解が解けたことで復活させられ、以降はその支配を乙葉に委ねたことで、色葉の支配から離れることになった。

本多正信(ほんだ まさのぶ)

 元徳川家臣。三河一向一揆を経て出奔し、諸国を渡り歩いて加賀一向一揆にあったところを、加賀国へ侵攻した色葉によって召し出され、これに仕えることになった。
 色葉の側近として相談役的立場であり、各地への調略を任されるなど重用されている。

【一門衆】

朝倉晴景(あさくら はるかげ)

 色葉の夫。武田信玄の五男であり、武田勝頼の弟に当たる。元の名は仁科盛信。
 そのため越甲同盟の際には政略結婚の一つとして越前に送られ、色葉を正室に迎えて朝倉姓を名乗り、晴景と改名した。

朝倉景鏡(あさくら かげあきら)

 朝倉義景に自刃に追い込み、朝倉家を滅亡させた張本人。
 織田家に臣従後、越前一向一揆が発生してこれと戦うも追い詰められていたところを色葉に助けられる。
 以降、色葉の養父として協力し、朝倉家の表向きの当主となった。

朝倉孫八郎(あさくら まごはちろう)

 ⇒諏訪景頼。

朝倉孫十郎(あさくら まごじゅうろう)

 景鏡の次男。色葉の義弟。
 のちに武藤昌幸の村松姫と婚約する。

朝倉景建(あさくら かげたけ)

 朝倉一門衆。
 主家滅亡後、越前一向一揆が発生するとこれに協力していたが、色葉が一向一揆を駆逐した際に調略されて寝返った。
 以降は一門衆筆頭として、敦賀郡司を任されることになる。
 天正八年八月、長浜城の戦いで玉砕する。

朝倉景道(あさくら かげみち)

 朝倉景建の嫡男。

朝倉景忠(あさくら かげただ)

 朝倉一門衆。越前一向一揆に与していたが、色葉に降る。後に晴景の腹心となった。

朝倉景胤(あさくら かげたね)

 朝倉一門衆。一乗谷の奉行人・朝倉景連の子。

向久家(むかい ひさいえ)

  朝倉氏庶流の一門。

【越前衆】

磯野員昌(いその かずまさ)

 元浅井家臣であり、その後織田家に仕えたが、のちに出奔して朝倉家に仕えた。
 越前疋壇城代を任される。
 天正八年八月、天野川の戦いにて織田主力に吶喊し、壮絶な戦死を遂げた。

大野定長(おおの さだなが)

 元一色家臣。丹後侵攻に伴い、朝倉家に鞍替えする。
 乙葉に取り入って、色葉の直臣になることを望み、嫡男である治長を色葉の小姓として仕えさせることに成功した。

桜井平四郎(さくらい へいしろう)

 朝倉家家臣。貞宗の与力。桜井平右衛門の子。

【若狭衆】

武田元明(たけだ もとあき)

 元若狭武田家当主。色葉による若狭平定後、見いだされてこれに仕え、若狭の国主となる。
 近江戦線において、佐和山城の戦いでこれを攻略し、功を上げた。

朽木元綱(くちき もとつな)

 織田家臣。近江朽木谷城城主。
 色葉が若狭を攻略して朽木谷に侵入すると、いち早く降伏して臣従を誓った。
 その上で丹羽長秀を朽木谷に誘い込み、罠にかけて、朝倉方の勝利に貢献した。

【飛騨衆】

内ヶ島氏理(うちがしま うじまさ)

 飛騨白川郷を治める内ヶ島氏当主にして帰雲城城主。色葉に臣従して白川郷を安堵された。

尾上氏綱(おがみ うじつな)

 内ヶ島氏に仕える家老。

【加賀衆】

堀江景忠(ほりえ かげただ)

 朝倉家臣。家臣筆頭。加賀の国主。

堀江景実(ほりえ かげざね)

 朝倉家臣。加賀大聖寺城主。景忠の嫡男。

鏑木頼信(かぶらぎ よりのぶ)

 朝倉家臣。加賀一向一揆の将であったが、色葉の調略を受けていちはやく同心し、加賀松任城を任された。

窪田経忠(くぼた つねただ)

 朝倉家臣。加賀安吉城主。

【能登衆】

長連龍(ちょう つらたつ)

 畠山家臣。畠山家滅亡後、朝倉家臣となる。

【越中衆】

姉小路頼綱(あねがこうじ よりつな)

 飛騨の戦国大名であったが、色葉による飛騨侵攻により領国を失い、朝倉家に臣従。
 神通川の戦いでは奮戦して色葉を助け、その功をもって越中一国を与えられた。

【丹波衆】

松永久秀(まつなが ひさひで)

 元織田家臣。大和信貴山城主。
 色葉を誘いを受けて、丹波、丹後二ヶ国を条件に織田家に対して謀反する。
 色葉により京が平定されると、これを任された。丹波亀山城主。

【近江衆】

江口正吉(えぐち まさよし)

 元丹羽家臣であったが、色葉の勧誘により、朝倉家に仕えることになる。
 その際は近江長浜城を任せられ、周囲を驚かせた。
 のちに長浜城が焼失すると、代わって近江佐和山城を任されることになる。

松永久通(まつなが ひさみち)

 朝倉家臣。久秀の嫡男。丹波八上城主。

【平泉寺衆】

飛鳥井宝光院(あすかい ほうこういん)

 平泉寺を統括する僧。

三段崎宝蔵坊(みたざき ほうぞうぼう)

 平泉寺の坊官。

【本願寺衆】

杉浦玄任(すぎうら げんにん)

 本願寺の坊官。加賀一向一揆の大将。降伏後、朝倉家に臣従。
 天正五年九月の神通川の戦いにおいて、色葉を救出するべく上杉勢に吶喊し、戦死する。

杉浦又五郎(すぎうら またごろう)

 朝倉家臣。杉浦玄任の嫡男。
 朽木谷の戦いで戦功を上げた。

下間頼純(しもつま らいじゅん)

 本願寺の坊官。色葉が本願寺と和睦した際に送り込まれ、そのまま色葉の要請により朝倉家臣となる。
 越中一向一揆を扇動するなど、朝倉領国における一向宗の中心的存在。
 吉崎御坊を再興する。

【陪臣】

島左近(しま さこん)

 貞宗の側近。元筒井家臣。筒井順慶死後、貞宗の説得に応じて朝倉家陪臣となる。
 のちに対織田家最前線である、美濃郡上八幡城を任されることになる。

【その他】

清姫(きよひめ)

 久秀の庇護下にある大蛇の妖。

国友六左(くにとも ろくざ)

 近江国友衆の一人。色葉に招聘され、貨幣の製造から鉄砲までを任させる。

橘屋三郎五郎(たちばなや さぶろうごろう)

 越前北ノ庄の豪商。朝倉家の御用商人。

武田家

【一門衆】

武田勝頼(たけだ かつより)

 甲斐武田家当主。甲斐・信濃・駿河を治める戦国大名。武田信玄の子。
 色葉の協力により、長篠の戦いでは敗北するものの致命的な損失は免れ、以降は朝倉家と同盟して国力の回復を図る。
 第二次西上作戦を成功させ、徳川家を滅亡に追い込んで東海を制覇。
 勢いにのって北条領へ出兵するも、天正八年六月の第二次三増峠の戦いに敗北し、討死する。

仁科盛信(にしな もりのぶ)

 ⇒朝倉晴景。

諏訪景頼(すわ かげより)

 朝倉景鏡の長男。越甲同盟の際の政略結婚の一環として、勝頼の妹・松姫を正室に迎えて武田家へと入った。
 以降は諏訪家の名跡を継ぎ、朝倉孫八郎から諏訪景頼と改名する。
 信濃高遠城主。
 織田家の甲州征伐により、織田信忠が高遠城に攻め寄せた際には徹底抗戦し、援軍の朝倉勢が到着するまで城を死守した。

武田信豊(たけだ のぶとよ)

 武田一門衆。勝頼の従兄弟。
 朝倉家との同盟後は、主に外交を担当する。
 武田家の中では比較的深く色葉を接する機会があり、次第にこれに恐れるようになったことで、朝倉家との関係を危惧するようになる。
 結果、武田家が窮地の際に朝倉家へと連絡が遅れ、さらには援軍要請を躊躇い、逆に織田家との和睦を模索したことで、色葉の逆鱗に触れてしまう。
 武田家滅亡の際には信濃小諸城に逃れるも、裏切りにあって自害した。

河窪信実(かわくぼ のぶざね)

 武田一門衆。武田信玄の弟。
 長篠の戦いの前に色葉によって篭絡され、武田諸将を色葉の主張する長篠城攻撃へと踏み切らせた。
 天正八年六月、第二次三増峠の戦いにて戦死する。

穴山梅雪(あなやま ばいせつ)

 武田信玄次女・見性院を正室に迎えているため、御一門衆の一人に数えられる。
 甲州征伐の際には家康の調略により、武田家を裏切って本領を安堵。
 小田原の変においては家康に同心して北条領伊豆へと侵攻し、これを得るものの、のちに色葉の怒りを買って駿河を召し上げられ、伊豆一国のみを安堵されることになる。
 

【直臣】

武藤昌幸(むとう まさゆき)

 武田家臣。武藤家当主。
 色葉の甲州入りの際に案内を務め、その器量を認められた。
 越甲同盟後、朝倉領である飛騨の国主に据えることで両家の橋渡し的存在となる。
 甲州征伐により武田家が滅亡すると、朝倉家に臣従。甲斐新府城防衛戦や、小仏峠の戦いにて北条氏直を戦死させるなど、数々の功を上げた。

馬場信春(ばば のぶはる)

 武田家重臣の一人。信濃深志城代。
 長篠の戦いでは色葉の策により生きながらえ、武田家臣でありながら色葉の理解者となった。
 のちに武田に入った諏訪景頼の後見人的存在となる。
 甲州征伐においては高遠城に入り、大軍を相手に城から打って出て織田信家を討ち取るも玉砕し、武田武士の意地を見せつけた。
 

山県昌景(やまがた まさかげ)

 馬場信春と並ぶ武田の重臣。軍略に長けた将。武田の赤備えを率いる。
 第二次西上作戦では三河を攻略し、その地を任せられるものの、甲州征伐においては柴田勝家の猛攻を受け、孤立無援となった浜松城にて玉砕して果てた。

内藤昌豊(ないとう まさとよ)

 武田家重臣。上野箕輪城代。西上野郡司を務める。
 甲州征伐においては北条氏邦と戦い、色葉の援軍が到着したことで、これを最後まで守り抜いた。
 武田家滅亡後はその家督を養子の昌月に譲り、隠居する。

春日虎綱(かすが とらつな)

 武田家重臣。対上杉戦線を任された名将。信濃海津城代。

跡部勝資(あとべ かつすけ)

 武田家重臣。勝頼の側近。
 色葉の進言に従い、信玄以来の古参の家臣と、勝頼の側近らとの関係改善に努めるなどして、家中をまとめるのに尽力する。
 天正八年六月、第二次三増峠の戦いにて勝頼を逃がすために殿を買って出、奮戦虚しく討死した。

長坂釣閑斎(ながさか ちょうかんさい)

 勝頼の側近の一人。

小山田信茂(おやまだ のぶしげ)

 武田家臣。
 第二次三増峠の戦いで武田方が大敗を喫した際も、殿として踏みとどまり、退却に成功した。
 甲州征伐の際には岩殿城にて北条氏照を迎え撃つも、降伏して新府攻めに加わることになる。
 だがその新府城の戦いおいて表返り、突如北条方を急襲。武田信勝らを脱出させることに成功するも、新府城において玉砕した。

大熊朝秀(おおくま ともひで)

 武田家臣。

小宮山友晴(こみやま ともはる)

 武田家臣。勝頼側近らと反りが合わず、勝頼の命にて謹慎していたが、勝資の取り成しによって謹慎を解かれることになる。
 甲州征伐では最後まで主家に殉じ、天目山の戦いにて玉砕した。

出浦昌相(いでうら まさすけ)

 武田家臣。信濃国人衆。信濃上平城主。

三枝昌貞(さいぐさ まささだ)

 武田家臣。長篠城攻めの際には色葉と一番槍を競った。

【陪臣】

高梨内記(たかなし ないき)

 武田家の陪臣。武藤家臣にて、昌幸の側近。

大熊常光(おおくま つねみつ)

 武田家の陪臣。武藤家臣。大熊朝秀の嫡男。武藤家臣。

【信濃巫】

望月千代女(もちづき ちよめ)

 武田家家臣。信濃巫の巫女頭。
 卓越した神通力の持ち主で、四百年を生きた乙葉を使役し、鳥越城を一人で壊滅させ、色葉と互角に渡り合った。
 武田信玄の死に色葉が関わっていると考え、これの暗殺に臨むも失敗。
 色葉に殺されそうになるも、貞宗の諫言により助命される。
 以降は色葉の存在を武藤昌幸に告げ、色葉の甲州入りに一役買った。

上杉家

【一門衆】

上杉謙信(うえすぎ けんしん)

 上杉家当主。越後の戦国大名。越後の龍。
 越中・能登へと進出し、同じく越中に侵攻した朝倉家と合戦に及び、神通川の戦いにおいて大勝する。
 毘沙門天の加護により、戦国武将の中でも随一の神通力の持ち主。
 そのため個人的武勇により乙葉を軽くあしらい、色葉ですらその武勇の前に重傷を負い、完敗している。

上杉景勝(うえすぎ かげかつ)

 謙信の養子。長尾政景の次男。
 寡黙で実直、義理堅い人物であり、朝倉晴景とはお互いに認め合う間柄。
 神通川の戦いにより朝倉家は窮地に陥るも、謙信の死により家督継承を巡ってお家騒動が勃発し、逆に窮地に追い込まれる。
 その後、朝倉家と和睦して色葉の協力を得て窮地を脱し、景虎を降して上杉家の家督を継承した。

上杉景虎(うえすぎ かげとら)

 謙信の養子。北条氏康の七男。
 謙信の死に際し、その遺体を守って景勝に先んじて越後へと戻り、家督継承を宣言。景勝と対立してお家祖騒動である御館の乱を勃発させた。
 序盤は景虎優位で進んだものの、景勝と色葉が和睦してから風向きが変わり、朝倉勢によって援軍の北条勢が撃退されるなど苦境に陥る。
 ついには景勝との和睦を望むが色葉に妨害され、小田原に逃れようとするも配下に裏切られ、自刃した。

上杉道満丸(うえすぎ どうまんまる)

 景虎の嫡男。
 御館の乱において不利となった景虎により、和睦のための人質として差し出されるはずであったが、色葉によって妨害され、雪葉に殺害されるところを九死に一生を得る。
 以降、色葉の許しを得た雪葉により、母親の華渓共々保護されることになった。

上杉華渓(うえすぎ かけい)

 景虎の正室。道満丸の母。景勝の姉。
 御館の乱において苦境に陥った景虎を逃し、自身は御館にて自害に及ぼうとしたところを色葉によって救われ、その身体を妖として色葉に仕えることになる。

上杉光徹(うえすぎ こうてつ)

 元関東管領・上杉憲政。
 御館の乱では景虎方に与し、景勝に和睦を求めた景虎の使者として赴くも、その道中に雪葉によって惨殺された。

【直臣】

斎藤朝信(さいとう とものぶ)

 上杉家重臣。知勇兼備の将。越後の鍾馗。
 砺波山の戦いにおいて色葉と対峙し敗れ、捕虜となる。
 その際に丁重に扱われたことで朝倉家に対して好意的であり、主君である景勝が魚津城に追い詰められた際は使者を買って出、和睦交渉に一役買った。

本庄繁長(ほんじょう しげなが)

 上杉家臣。上杉に鬼神ありといわれた武勇の将。
 砺波山の戦いで敗れて朝倉家の捕虜となった。
 のちに解放されるが、斎藤朝信同様、丁重に扱われたことで、上杉家の中では親朝倉派となる。

河田長親(かわだ ながちか)

 上杉家臣。御館の乱においては景勝方として戦った。

直江信綱(なおえ のぶつな)
 上杉家臣。御館の乱においては景勝方となる。

新発田長敦(しばた ながあつ)

 上杉家臣。御館の乱においては景勝方として参戦。
 外交に優れ、武田家や朝倉家との外交を担当した。
 長敦の弟である五十公野治長(新発田重家)に調略を仕掛けるために、色葉が雪葉に命じて接触を持った人物。

安田顕元(やすだ あきもと)

 上杉家臣。御館の乱においては景勝方。
 景虎方の諸将に対して調略を仕掛け、景勝方につかせるなど乱においては功を上げた。
 そのため色葉に目をつけられ、雪葉によって接触が持たれ、上杉家においては朝倉家よりの立場となっている。

吉江宗信(よしえ むねのぶ)

 上杉家臣。色葉による越中侵攻を受け、増山城にて籠城して奮戦するも衆寡敵せず、勧告に応じて開城し、撤退した。

北条高広(きたじょう たかひろ)

 上杉家臣。器量・骨幹、人に倍して無双の勇士とされた武将。
 御館の乱では景虎方につくも、朝倉家の援軍と戦いこれに包囲され、色葉の説得に応じて臣従を誓った。

北条景広(きたじょう かげひろ)

 上杉家臣。北条高広の嫡男。
 武勇に長け。鬼弥五郎と称された武将。
 御館の乱においては景虎方の中心人物であったが、色葉によって追い詰められて降伏し、臣下となった。

波多野家

【一門衆】

波多野秀治(はたの ひではる)

 丹波国の有力国人。波多野家当主。
 当初織田家に臣従していたもの、これを裏切り明智光秀を一時は窮地に陥れた人物。
 以降は八上城に籠って徹底抗戦し、ついには光秀の降伏勧告を受け入れて開城する。
 その後、約に反して捕らえられ、信長に処刑された。

波多野秀尚(はたの ひでひさ)

 波多野家臣。秀治の弟。
 八上城開城後、兄と共に捕らえられて処刑された。

【直臣】

荒木氏綱(あらき うじつな)

 波多野家臣。豪勇の将。

徳川家

【一門衆】

徳川家康(とくがわ いえやす)

 徳川家当主。三河・遠江を治める戦国大名。

【直臣】

酒井忠次(さかい ただつぐ)

 徳川家重臣。家臣筆頭。
 長篠の戦いの際に、織田信長へと献策した鳶ヶ巣山砦強襲を敢行し、色葉に見破られて罠に陥り、奮戦虚しく討死する。

石川数正(いしかわ かずまさ)

 徳川家重臣。家康の懐刀。

奥平貞昌(おくだいら さだまさ)

 徳川家臣。三河長篠城主。
 武田勝頼による長篠城包囲によく耐えたが、色葉による強襲を受け、討ち取られた。

奥平定能(おくだいら さだよし)

 奥三河の国衆。貞昌の父。
 長篠の戦いにおいて、忠次率いる鳶ヶ巣山砦強襲隊に加わり、色葉の罠に落ちて討死する。

大久保忠世(おおくぼ ただよ)

 徳川家臣。遠江二俣城主。

大久保忠教(おおくぼ ただのり)

 徳川家臣。忠世の弟。

本多忠勝(ほんだ ただかつ)

 徳川家臣。

井伊万千代(いい まんちよ)/井伊直政(いい なおまさ)

 徳川家臣。家康の小姓。
 第二次三増峠の戦いの戦いでは、武田の総大将であった武田勝頼の首級をあげる、大手柄を立てて、家康の側近となる。

【陪臣】

鳥居強右衛門(とりい すねえもん)

 奥平家臣。
 織田の援軍到着を長篠城に伝えるために勝頼を欺き、激怒した勝頼に処刑を命じられ、色葉によって斬殺された。

織田家

【一門衆】

織田信長(おだ のぶなが)

 織田家当主。尾張、美濃、近江、伊勢、畿内を支配する戦国大名。

織田鈴鹿(おだ すずか)

 信長とその正室・帰蝶の娘。
 その正体は鈴鹿山の鬼女。信長の娘として転生した存在。
 色葉が転生する直前に、西上作戦を実行していた武田信玄を暗殺し、武田勢を撤退に至らしめている。

織田信忠(おだ のぶただ)

 織田一門衆。信長の嫡男。

【直臣】

柴田勝家(しばた かついえ)

 織田家臣。鬼柴田。
 越前敦賀侵攻の際には晴景と死闘を演じ、難攻不落とされた疋壇城の城門突破に成功するも、朝倉方の援軍到着により敗退する。
 その際に乙葉と一騎打ちし、これと互角以上に渡り合ったことで、乙葉の気になる存在になってしまう。

明智光秀(あけち みつひで)

 織田家臣。近江坂本城主。

丹羽長秀(にわ ながひで)

 織田家臣。若狭国主。若狭後瀬山城主。
 朽木谷の戦いにて色葉に敗北し、捕虜となる。
 以降、色葉の誘いを断り続け、最後まで朝倉家に降ることはなかった。

村井貞勝(むらい さだかつ)

 織田家臣。京都所司代。

滝川一益(たきかわ かずます)

 織田家臣。尾張蟹江城主。

佐久間信盛(さくま のぶもり)

 織田家臣。家臣筆頭。
 のちに信長によって追放される。

前田利家(まえだ としいえ)

 織田家臣。勝家の与力。

佐々成政(さっさ なりまさ)

 織田家臣。勝家の与力。

蒲生賢秀(がもう かたひで)

 織田家臣。近江日野城主。
 北近江の戦いの際、出陣した信長に代わって安土城の留守居を任されていたが、朝倉方の急襲により奮戦するも虚しく、乙葉によって討ち取られた。

斎藤利治(さいとう としはる)

 織田家臣。信忠の側近。

堀秀政(ほり ひでまさ)

 織田家臣。近江佐和山城主。

【陪臣】

妻木広忠(つまき ひろただ)

 明智家臣。光秀の舅。

斎藤利三(さいとう としみつ)

 明智家臣。家老。

安田作兵衛(やすだ さくべえ)

 斎藤利三家臣。明智三羽烏の一人。

戸田勝成(とだ かつしげ)

 丹羽家臣。

佐久間盛政(さくま もりまさ)

 柴田家臣。鬼玄蕃。

【その他】

大嶽丸(おおたけまる)

 鈴鹿の使役する鬼。側近。

羽柴家

【一門衆】

羽柴秀吉(はしば ひでよし)

 織田家家臣。近江長浜城主。

羽柴秀長(はしば ひでなが)

 織田家臣。羽柴秀吉の弟。

【直臣】

黒田孝高(くろだ よしたか)

 元小寺家臣。のちに羽柴家に仕えるようになる。通称官兵衛。
 荒木村重の謀反により、摂津有岡城にて囚われているところを、色葉によって救出された。
 その際に仕官の誘いを受けるが、これを固辞。
 以降は色葉に恩を感じつつも、秀吉を天下人にすべく、信長や色葉を敵に回すことも厭わない姿勢で暗躍していくことになる。

蜂須賀正勝(はちすか まさかつ)

 羽柴家臣。通称小六。

荒木村重(あらき むらしげ)

 元織田家家臣であったが、信長に対して謀反する。
 色葉の支援により有岡城を死守し、秀吉が信長に対して謀反すると、色葉の命により秀吉に追従して、その家臣となった。

【陪臣】

井上之房(いのうえ ゆきふさ)

 黒田家臣。

北条家

【一門衆】

北条氏政(ほうじょう うじまさ)

 北条家当主。相模小田原城主。

北条氏直(ほうじょう うじなお)

 氏政の嫡男。
 氏照が砥石城にて討死すると、氏直によって家督を譲られ、総大将として色葉を討つべく甲斐に侵攻する。
 しかし色葉の謀略により家康が小田原の変を起こすと、氏直は撤退を試みるも色葉はこれを逃がさず、小仏峠の戦いにて捕捉殲滅され、氏直も討死した。

北条氏照(ほうじょう うじてる)

 氏政の弟。八王子城主。
 甲州征伐の総大将として、甲斐、信濃に侵攻する。
 天目山の戦いにて武田家を滅ぼすものの、続いて朝倉家との戦いとなり、色葉の立て籠もった砥石城を包囲し、これを攻略する寸前で色葉の罠にはまり、その軍勢は包囲殲滅された。
 氏照は最後まで戦い、色葉の眼前で自害して果てることになる。

北条氏邦(ほうじょう うじくに)

 氏政の弟。鉢形城主。
 甲州征伐の際には上野攻略の大将として出陣するが、氏照の敗退に伴い撤退し、のちに上杉景勝に対して降伏することになる。

【直臣】

松田憲秀(まつだ のりひで)

 北条家臣。

毛利家

【直臣】

安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)

 毛利家臣。外交僧。