安田顕元 ~御館の乱の陰の立役者

安田顕元 ~御館の乱の陰の立役者

 安田顕元とは戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。
 越後の戦国大名・上杉氏家臣。越後国刈羽郡安田城主。

安田顕元(やすだ あきもと)
一文字三星
生年不詳
没年1580年(天正8年6月26日)
別名惣八郎
主君上杉謙信⇒上杉景勝
氏族大江姓毛利氏庶流安田氏
家紋一文字三星
父:安田景元
兄弟能元

安田顕元とは

由羅
由羅
安田顕元って、上杉家臣の中ではあまり知られてないよね?
そうかもしれないね。でも顕元は上杉家臣の中で無視できない事跡を残しているから
イリス
イリス
由羅
由羅
そうなの?
謙信の代ではともかく、景勝の代で……特に御館の乱で、ね
イリス
イリス

来歴

毛利安田氏

 安田顕元の生年は不明。
 父親は安田景元。
 永禄年間頃に父・景元の跡を継いだとされている。

ちなみに上杉家臣には、安田姓の人物が複数いるの
イリス
イリス
由羅
由羅
みんな同族ってこと?
そうでもなくて、例えば安田長秀なんかは同じ安田姓でも顕元とは全くの別系統。これは桓武平氏大掾氏流の城氏の一族の大見氏の末裔で、家紋も九曜星。一方の顕元は大江広元の末裔とする大江姓毛利氏の支流だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
毛利氏? 戦国時代で毛利といえば、中国を制覇した毛利元就とかの?
うん。同じ氏族だよ。だから家紋も同じ一文字に三星、だね
イリス
イリス
由羅
由羅
中国の安芸国と越後じゃずいぶん離れているって印象だけど、縁ってあるものだね
その辺りの詳細については、こっちをどうぞ⇒毛利氏と家紋【一文字三星(長門星)】
イリス
イリス

上杉謙信家臣時代

 顕元は上杉謙信に仕え、川中島の戦いなどで功績を挙げたとされる。
 それらの功により、信濃国の飯山城を任されたという。

ちなみに顕元という名前の「顕」は、謙信の名前から拝領したものだよ
イリス
イリス

御館の乱

 1578年(天正6年)、上杉謙信が死去。
 これに伴い、その跡目を巡って上杉家の後継者争いである御館の乱が発生。
 この時顕元は誓紙を出し、上杉景勝方についたという。

由羅
由羅
御館の乱っていえばあれだよね。上杉家が真っ二つになった
そう。上杉家の衰退の原因にもなったお家騒動だね
イリス
イリス
 顕元は乱に際し、五十公野治長や堀江宗親といった、上杉景虎方についていた国人衆を調略。
 これを景勝方に引き入れることに成功し、景勝の勝利に大きく貢献したとされる。
由羅
由羅
なるほど。だから陰の立役者なんだ
そういうこと。ちなみに堀江宗親などは、景虎が敗北を悟って実家の相模に脱出しようとした際、その居城である鮫ヶ尾城に迎え入れたところで火を放ち、景虎やその妻子を自決に追いやっているから
イリス
イリス
由羅
由羅
それで御館の乱は終結したわけだから、宗親を引き入れた顕元の功績は大きい、ってわけだね
そうだよ。ところが……
イリス
イリス
 御館の乱の終結後、その論功行賞において問題が発生する。

 景勝は恩賞のほとんどを、景勝子飼いの上田衆に与えてしまい、それ以外の国人衆、特に新発田氏が猛反発することになった。

由羅
由羅
新発田氏?
顕元が調略して仲間に引き入れた五十公野治長、っていう武将がいたんだけど
イリス
イリス
由羅
由羅
うん。名字が読めないひとだよね
……「いじみの」って読むの。とにかく五十公野治長は、後で新発田重家と名前を変えていて、この人がとにかく景勝に対して恩賞が無いことに腹を立てた、ってわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
せっかく寝返ったのに、何にも無しじゃそりゃ怒るよね。上杉景勝って実直なイメージがあるけれど、こういう下手も打ってたんだ
まあ、そもそも乱が起こった時点で推して知るべし、って感じだけれどね
イリス
イリス
 このような事態に苦慮したのが顕元であり、状況を改善しようと景勝と重家の仲裁に乗り出し、両者を説得。

 しかしこれに失敗し、責任を感じた顕元は重家に謝罪する意味を込めて自刃した。

由羅
由羅
自害しちゃったの?
武士の面目を保つために、だね
イリス
イリス
 顕元の死後、家督は弟であった安田能元が継承した。

新発田重家の乱

……ちなみに顕元の自刃により、重家と景勝の仲は決定的にこじれ、後に重家は景勝に対して謀反を起こすことになるんだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
うわぁ
そしてこの謀反は織田家の侵攻と相俟って、上杉家を滅亡寸前にまで追い込むことになるのだから
イリス
イリス
由羅
由羅
因果応報。功のあった者にちゃんと応えなかった景勝の自業自得……ってことになるのかな
まあ、お隣の武田家とかでもそうだけど、先代が偉大すぎると次代の当主は苦労する、ということかも知れないね
イリス
イリス