終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第142話
/茜
「――これで、全て片がついたわ」
冬空の下。
姉さまが私の所を訪れていた。
訪れたというよりは、朝一で目的の場所に向かっていた私の前に現れたというか。
「……その、ありがとう」
とりあえず、そう言わざるを得ない。
姉さまがやってきたのは、事後処理が終わったと告げるためだった。
一年前より、私はアトラ・ハシースを出た。
出たといっても、簡単にはいかない。
私一人では如何ともし難かったけど、黎と姉さまのおかげで、何とか波風を立たせずに出ることができたのだった。
その処理に一年もかかってしまったとはいえ、これで私はもう、あそことは関係無い。
「まったく……家出した時といい、今回といい、相も変わらず我侭な妹ね」
「……借りはいつか返すから」
そう答えると、姉さまは苦笑した。
「そんな他人行儀なこと、言わなくていいわ。あなたは私の妹なのだから」
「…………」
珍しく優しいことを言ってくれる姉さまに、私は何と答えていいか分からずに、困ってしまう。
私にはこの世で苦手な相手が二人いる。そのうちの一人がこの姉さまだ。
別に嫌いじゃないし、強いところは尊敬もしてるけど……どうしてもぶつかってしまうのだ。
喧嘩しても、絶対に勝てないし……。
だからこそ、私の姉さまなのだろうけど。
「でも、九曜には戻らないのね?」
「……今のところは」
「そう。まあいいわ。好きな時に戻ってきなさい。本家の連中など、どうにでもなるのだから」
まだ若い姉さまだけど、たぶんその気になったら数年で、九曜本家を牛耳ってしまうだろう。
今だって充分すぎるほどに、姉さまの影響力は強い。
「じゃあ……行くから」
ちょっとぎこちなく、私は頭を下げて、歩みを再開した。
やっぱり……まだまだ姉さまには敵わないか。
そう思っても、今日は珍しく不快にはならず。
朝、家を出た時の気分のままで、目的地に向かうことができたのだった。
/アルティージェ
京都市の郊外――人気のあまりない山の近くに、わたしが住んでいる場所がある。
市の中心からはずいぶん離れているけれど、静かで自然もあり、少なからず気に入ってはいた。
不満があるとすれば、小さすぎる屋敷か。
日本に来るにあたって、あらかじめ買い取っておいた西洋風の旧家である。
この国の人間の感覚からすれば大きいのだろうが、私から見れば小さすぎるくらいだ。少なくとも実家の比ではない。
庭園だって、まだまだ手入れが行き届いていないし。
そのうちもっと大きいのを作らせようかしら。
しばらくこの国に留まることになるでしょうし、ね。
「じゃあ行ってくるわ」
早朝。
門の前でひらひらと手を振って、わたしは外へと出る。
「夕ご飯までには帰ってきて下さいよ」
「夜まで帰らないって言ったでしょ」
わたしは半眼になって、門で見送る男をねめつけた。
睨んだところでまったく動じない相手ではあるけど。
そこに当然のように立ってわたしを見送るのは、エルオードだ。
一年前に真斗に敗れたエルオードは、その翌日どういうわけか、わたしの住む屋敷の前に、生ゴミのようにうち捨てられていたのである。
ぼろぼろではあったが、あの真斗の一撃をまともに受けたにしては、無傷すぎた。
どうやらどこかの誰かが助けて、不法投棄したらしい。
まあ察しはつく。
で。
そのままとどめを刺してやろうかと思ったものの、わたしは考え直した。
エルオードの身体は人形であるから、わたしがそれを修復するのはさほど難しくはない。元々ジュリィによって造られたものであるとはいえ、これ幸いと、わたしはエルオードの身体を造り直したのだ。
結果、支配権は完全にわたしのものになっている。
その上で、エクセリアから奪ってみせたのだ。
もちろん、嫌がらせである。
返せとエクセリアは言ってきたけど、応じるわけもない。
まあ……例えエルオードが自由だったとしても、二度とエクセリアの元には戻りはしないだろう。
彼にその程度の覚悟があったことくらい、わたしも見抜いている。
もっとも相変わらずエクセリアへの忠誠は消えてはいない。でもそんなものなどわたしは知ったことじゃなかった。
せっかく再雇用してあげたんだから、下僕として十二分にこき使われて当然である。
あの時不意打ちで、わたしを突き刺したことも不問に付してあげたんだしね。
わたしって、寛大。
「イリスや凛に、ご迷惑をかけないようにして下さいね? 和泉君に謝りにいくのは僕なんですから」
「うるさいわね」
あの時以来、わたしは順調にイリスや凛、そして由羅と親交を深めている。
今日だって二人と遊びに行く約束なのだ。
途中、由羅の所にも寄るつもりだし。
「まるでわたしが悪い遊びを教えているみたいなこと、言わないでくれる?」
「いやまあ、そのままずばりでしょう?」
失礼ね。
「ふん……エルオード。わたしが帰ってくるまでに、屋敷を綺麗に掃除しておきなさい。塵一つ残さずにね?」
わたしは思い切り邪悪な笑みを浮かべて言ってやる。
「はあ」
「できなければ、一年ほど地下牢に閉じ込めてやるから」
どういうわけか、あの屋敷にはそんなものがある。
せっかくあるのだから、有効利用しなくちゃね。
「いいこと? それとドゥークに手伝ってもらったりしては駄目よ」
「はいはい。やっておきますよ」
苦笑して、エルオードは頷く。
「じゃあね」
わたしはもう振り向くこともなく、その場を後にした。
/真斗
外から聞こえるのは、小鳥の囀り。
いかにも朝っていう感じである。
もう時間か。
などと思っていると、
「真斗ー?」
玄関の向こう、ドアの外から声がかかる。
このよく通る声は、由羅のものだ。
出会ってから二年たち、ようやくドアをぶち壊すこともなくなってきた。
不法侵入も遠慮するようになったし、声をかける程度の知恵もついたようである。
この調子が続けばいいんだが。
「こらー! ちょっと返事してよー!」
三秒も待たずに、ドアがどかどか叩かれ始めた。
本人は軽く叩いてるつもりなんだろうが、その馬鹿力の前では油断は禁物だ。
ほっとくと打ち壊されてしまう。
「近所迷惑だって言ってるだろーが!」
ドアを開けて、ぐああと怒る。
「なによう。早く返事しない真斗が悪いんじゃない」
「……がさつな女は嫌いだぞ」
「う……」
その一言で、由羅は固まった。
やれやれ。
「ほれ行くぞ。……ってか、わざわざ迎えに来なくてもいいのに」
「いいじゃない。せっかく寄ったんだから」
さも当然のように言って、部屋を出た俺の横に並ぶ。
二年――こいつと出会ってから、もうそんなにたつ。
その出会った時と、それから一年後の一騒動以来、それなりに平穏な生活が続いていた。
俺自身の身体も、エクセリアのおかげで問題無し。
茜もあの後しっかりと目を覚まし、後遺症も無く元気にやっている。
このことに関してだけ、アルティージェに借りを作ってしまったのは痛いが、仕方ないか。
ともあれ平穏無事で、ありがたいもんだ。
で、今日。
向かう先は大学ではなくて、柴城興信所。
「もう来てるのか?」
「え?」
「だから新人さん」
「知らないよ。だって直接真斗のとこ寄ったんだもの」
俺の問いに、由羅はかぶりを振る。
まあそりゃそうか。
一年前のごたごたから、事務所の方も少し様変わりした。
構成メンバーが、多少変わったのである。
上田さんことエルオードは、もちろんもういない。
ついでに所長こと柴城さんも、事務所にいることが少なくなった。
泪の一件のせいで、どうしても実家の最遠寺本家に戻らなければならなくなったのである。
当主の娘の死に、色々と紛糾したようだったが、とりあえずは所長が何とか収めて回ったらしい。
でもって次期当主の話でまた揉めて、苦労の最中にあるようだった。
そんなわけで、所長はこの一年のほとんどを、実家の関東にいた。
時々顔を出しにやってくるが、あくまで時々だ。
で、今日がそんな日だったりする。
とはいえ、所長が帰ってくるから朝っぱらから事務所に向かっているわけではない。
理由は他にあるのだ。
/
「あの、イリスさま?」
待ち合わせの場所に佇む主人へと、凛はどちらかというと恐々と声をかけた。
「なに?」
殺気だった瞳で、イリスは振り返る。
う、と怯むのを何とか我慢して、凛は言った。
「そんなにこだわらなくてもいいと思いますが……。相手はあのアルティージェですし」
「いや。負けない」
ふん、とそっぽを向くイリス。
ふう、と凛は溜息をついた。
イリスがアルティージェとよく会うようになったのは、この一年こと。
アルティージェが積極的に近づいてきたということもあるが、それ以上にイリスも彼女に対して感情を表すようになったことが、二人を近づけさせる大きな要因になっている。
で、それがどういった感情かというと――対抗心だ。
イリスがこんなにも誰かに対してライバル心を抱いているところを、凛はこれまで見たことがなかった。
どういう理由なのか、イリスはアルティージェに対して、何かと対抗心を燃やしているのである。
ずっとむかしに、何やら因縁があるのが少なからず影響しているようではあったが、凛も詳しくは聞いてはいない。
とにかく、今はイリスを全面的にサポートするのが、彼女の役目であった。
悶々としているイリスと共に待つことしばし。
時間通りにアルティージェは姿を現した。
「おはよう、二人とも……って、どうしたのイリス? 怖い顔して」
機嫌良く声をかけてきたアルティージェは、イリスの顔を見てきょとん、となった。
「あなたのせいじゃないの」
「わたし?」
凛の言葉に、アルティージェは小首を傾げてみせる。
「この前、茜の仕事を手伝ったことがあったでしょ?」
柴城興信所で働くようになった茜は、異端絡みの仕事をいくつか受け持ってきた。
で、たまたまその仕事をイリスとアルティージェは手伝ったのだが、その時に二人は勝負をしたのである。
どちからより茜に役に立ったか、ということで。
結果はアルティージェの完勝だった。
茜も呆れるくらい完璧に、事件を解決してみせたのである。
それがよほど悔しかったらしく、イリスは名誉挽回の機会をずっと待っていたというわけだった。
「今日は何の勝負?」
ずい、と進み出て、イリスが尋ねる。
「勝負って……別に何もないけれど? だってわたし、あなた達のとこに遊びにきたつもりだったのだし」
途端に、不満そうな顔になるイリス。
「いや。今度はわたしが勝つの」
「仕方ないわね……」
そんなイリスの様子に、アルティージェはくすりと笑った。
そして凛を見る。
「凛? あなたのことだから、何か考えてあるんじゃないの?」
さすがというべきか、アルティージェはあっさりと指摘してきた。
その通りだったりする。
イリスが特に固執していなかったのならば、黙っているつもりではあったけど。
「まあね」
凛は頷いて。
少々イリスに有利な勝負の説明を、二人に話すのだった。
………今日もまた、騒がしい一日になりそうである。
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