終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第139話
/アルティージェ
「ふん……」
互いにすれ違い、落ち着いたところで、わたしは自分の身体を見やった。
見事に、切り裂かれている。
浅く、一撃を受けてしまった。
鮮血が溢れてはいるが、この程度ならすぐに止まるだろう。
いかに魔剣とはいえ、この身の回復力は伊達ではない。
「まあ……痛み分け、というところかしらね?」
振り返ったわたしは、茜を見た。
茜に一切の傷は無い。
しかし――その手に持つ剣が、途中から綺麗に断ち切られていた。
「剣を砕かれてなお、わたしの身体を残滓のみで切り裂いた実力は、本当に大したものよ。けれども、それで終わり。お兄様、あなたではわたしには勝てないわ」
「ふ……」
初めて、茜が口を開いた。
声は彼女のものであるが、そこに篭もる意思は違う。
「そのようだな」
茜は頷く。
「口惜しいことよ……。やはり貴様に我は及ばぬらしい。さて、何ゆえであるか」
「そんなもの」
わたしは笑う。
「実力の差でないことくらいは、わかっているのでしょう? わたしとお兄様の決定的な差は、そんなものではないわ」
では何なのか。
「運命の差か」
「まあ、そんなところね」
お兄様は強かった。
継承戦争において、わたしはナウゼルお兄様に勝つことはできなかった。
今でこそ負ける気はしないけれど、かつてはそうでもなかったのだ。
単純な強さでならば、間違いなくお父様に比肩していたと認めてもいい。
だけれども、わたしは勝てた。
それは運が大いに味方したからである。
「お兄様には運がなかった。わたしにはあった。その程度ね」
「……しかし、決定的な差であった」
「そうね。決定的。そしてそれは、永遠に変わらないのよ?」
茜の姿をしたお兄様はしばらく押し黙った後、最後の問いかけのように口を開いた。
「…………一つだけ聞こう」
「なにかしら」
「我を縛り続けたのは、なぜか? あのままとどめを刺していれば、こうもながら存えることもなかったであろうに」
その問いに、わたしは笑みを浮かべた。
きっと、どこか酷薄な笑みを。
「簡単よ。だってあの刻印で、メルティアーナお姉様を縛ろうとしたんだもの。許せるはず、ないじゃない」
「……なるほどな。何よりもまず、それを恨みに思ったか」
「それにね……。お兄様はあの刻印で縛る相手を間違えていたわ。その辺が、お父様に及ばなかったところかしら」
答えて、わたしは自分の身体を見つめた。
すでに出血は止まっている。
「どうするの? その子を素直に解放する気はないの?」
「笑止」
茜は一蹴すると、折れた剣を手にしたまま、構えを取る。
「引かない、か」
予想通りではあるけど。
「それが代償ならば、当然よね。……まったく、彼女ときたら」
ナウゼルが覚醒したからくりは、大体読めてはいる。
エルオードの干渉というよりは、もっと別の何かの仕業なのだ。
ナウゼルだけでなく、オルディードやシャルティオーネの記憶や意識があったのも、その辺りが原因だろう。
でなくてはただの妄執の分際で、ああも自我を持っていたわけがない。
まあ……所詮は捏造されたものなのだろう。
わたしがそのことに気づいたのは、エルオードに不意をつかれた時だ。
お父様が造り出した魔剣とはいえ、あの一撃はわたしを深く傷つけすぎた。
先ほどの茜の一撃とは比べ物にならぬほどに。
理由は一つ。何者かがエルオードに力を与えているということ。そう……今の真斗にそうしているように。
「いいわ……来なさい。受けてあげるわ」
わたしも槍剣を構えて。
もはや必殺とも呼べぬ一撃を、待った。
/エクセリア
「うおおおおっ!」
叩きつける。
エルオードは受け止め、押し返し、槍を振るう。
「く!」
真斗は剣を立てて受け止め、凌ぎ、打ち返す。
「はあああ――――!」
「禁章! ■頁・■■行――――!」
退いた瞬間に打ち込まれた光の塊を、真斗はことごとく打ち落とす。
「…………っ!」
衝撃が両腕を襲う。
弾かれた光は周囲に着弾し、爆発を撒き散らす。
その圧力すらバネにして、真斗はエルオードに向かって飛びかかる!
「うらあ!」
ギィン!
「っ………!」
打ち込み、薙ぎ払う。
弾かれるが構わない。
更に振り下ろす――――!!
絶えず繰り返される攻防。
真斗の攻めを前に、しかしエルオードは一歩も引かなかった。
かつて真斗はアルティージェをも退かせている。
にもかかわらず、エルオードは退かぬ。
剣の腕は真斗を上回るが、圧倒的というほどでもない。
技術ではなく、ただ純粋な力のみでも引けを取ってはいない。
なぜか。
その疑問に目を細めた。
私の意識は、全て真斗に傾けている。
全身全霊をもって、支えている。
それはかつてのアルティージェとの一戦に比べ、遥かに精度が上がっているはずだというのに。
しかもこの身は真斗の精神に同調し、どんどん高揚していっている。
引きずられている。
しかしそれでいい。
これが刻印による支配の結果だ。
彼の精神こそ、私の根源となる。
なぜだか……悪くはない。
しかし――エルオードを打ち破れぬ。
やはり、この地に封されていた呪いを身に受け、力としているからか……?
しかし、このような雑多な妄執ごとき、シャルティオーネやオルディードの妄執にも及ばぬのではないか。
確かに力はあるが、それに真斗が劣るとは思えない。
ではまさか、私の意識が、微かにでもエルオードに味方しているからか……?
――そんなはずはない。
私は真斗を選んだ。
そういう未来を、見つめたのだ。
過去と対峙こそすれ、引きずられたりはせぬ。
では、なぜか……。
「はああっ!」
響き渡る剣戟。
「なるほど――強い! さすがです……!」
「あんただってな!」
お互いに打ち合い、衝撃音を残して離れる。
「――どうやら例の刻印は、エクセリア様に刻んだというわけですか」
「だから何だって言うんだ!」
真斗は攻撃の手を緩めず、打ちかかる。
それを受け止め、鍔迫り合いをしながら、エルオードは頷いてみせた。
「かつてシュレストも、その紋章をもってレネスティアに刻印したのですよ――ゆえに魔王となった!」
払われ、真斗は下がる。
「何だって……?」
「初耳ですか。そうでしょうね……。シュレストは、レネスティアに刻印したことで、己が元にと引き入れ、魔王となったのです。レネスティアもあれで物好きな方ですから、自分を支配したシュレストに興味を持ち、傍に在るようになりました。……シュレストが歴代の魔王の中で最強と謳われるのは、まさにそこに理由があるわけです」
そうだ。
あの時レネスティアは、シュレストによって捕われたのだ。
妹はそれを良しとし、身を委ねた。
「最強?」
「ええ。彼は彼女を仮にでも支配したことにより、レネスティアの認識力を自分で引き出すことができたのです。ゆえに誰よりも、自身を強くすることができました。実際、彼は敵無しでしたから」
「……なるほどな」
真斗は苦笑したようだった。
「俺はいわゆる二人目ってわけか。まあ……いいけどな」
「そうでもないと、僕は思いますがね」
エルオードも笑い、しかしすぐに表情を引き締め、二人はぶつかり合う。
「でええいっ――!」
「はああっ――!!」
火花が散り、金属が悲鳴を上げて、衝撃を撒き散らす。
技においては、エルオードが一歩上か。
しかし気迫において、真斗は一歩も譲らない。
連撃の中、互いに裂傷が増えていく。
もう無傷ではいられない。
だが――止まることはなく。
「…………っ」
目眩がした。
そのことに驚き、我が身を顧みる。
疼きだす左手には、刻印。
それを介して、私の意識が流れていく。
それはなぜか心地良く、精神が高ぶっていく。
愉悦とも思える。
「――――」
恐らく、かつてレネスティアもシュレストを介し、この気分を味わったのだろう。
そう――レネスティア。
レネスティア……?
「!」
ハッとなって、私は上空を見上げた。
そこに――――彼女はいた。
◇
「お久しぶりね……。姉さん」
優しげとさえ感じる声音で、目の前まで上り切った私へと、妹は声をかけた。
「レネスティアか」
宙に浮かび、私を見る大人びた赤い瞳。
その瞳も、銀の髪も、私と同質のものだ。
レネスティアは涼しげな表情でこちらを観察しながら、微笑んでいる。
「やはり、そなたの所為であったのか」
「そうね」
隠そうともせずに、レネスティアは頷いた。
「…………」
これで、エルオードの強さの説明がつく。
真斗と同じように、エルオードもまたその力を捏造されていたのだ。
私と同じ観測者である、レネスティアによって。
「ナウゼルのことも」
「そうよ……わたしが少し、ね。知っているでしょう? 彼は、フォルセスカのために尽くしてくれたわ……」
なるほど……それゆえにすでに綻んだナウゼルの意思を繕い、アルティージェとの再戦に挑ませたのか。
「わからぬ……。エルオードに、そなたが手を貸す理由が」
ナウゼルのことならば、分かる。
しかしエルオードのレネスティアの間に、接点は無い。
「簡単なことね」
くすくすと、笑う。
「同じなのよ……彼と」
「同じ……?」
「そう……同じ。わたしも貴女を、愛しているから」
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