終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第133話
/由羅
何が起こったのか、一瞬分からなかった。
エルオードに向かって跳び掛ったイリスの背後から、何かが貫いたのだ。
それは、黒い影のようなもの。
「イリスっ!?」
私は思わず叫んで、イリスに駆け寄ろうとした。
「由羅、後ろを!」
楓の声が響き、背後を振り返れば、そこに思わぬものを見る。
「うそ……なんで!?」
そこにいたのは泪だった。
イリスと楓によって、完膚なきまでに滅ぼされたはずの、泪。
それが当然のように立っていた。
赤い闇のようなものを纏いながら。
泪が、手を振るう。
その途端、赤い闇が触手を伸ばし、私へと襲い掛かってきた。
――こんなもの!
「はあああっ!」
私は自分の生命力を活性化させて光とし、闇を薙ぎ払う。
〝光陰千年の息吹〟の応用――というか、小型版だ。
威力は比べ物にならないほど小さいけれど、この程度の闇を打ち払うくらいなら充分である。
「イリス……っ!」
泪が動きを止めたのを確認して、私は傍へと寄った。
地面に倒れて血を吐いているイリスの身体には、小さな穴がぽっかりと空いてしまっている。
「大丈夫!? ねえ……!」
「……大丈夫」
震える声でそう答えると、イリスはその場に立ち上がった。
「……こんなの、大したことないから」
そうは言うけど、とてもそうは見えない。
「いったいどういうことです?」
私とイリスの前に立って、泪へと楓が問いかける。
返事は無い。
「――なるほど」
声は別のところからした。
エルオードの背後。
藪を掻き分けて、誰かが現れる。
「これが目的だったのね。エルオード」
「おやおや……」
そこにいたのはジュリィだった。
私より先に向かったはずなのに、姿が見えなかったことが不思議だったんだけど……。
「近くにいるとは思っていましたけれどね」
「ええ。ずっといたわ。楓と一緒に来たのだから」
その言葉に、エルオードは苦笑する。
「なるほど。楓さんをダシにして、こちらの手の内を探っていたというわけですね」
「あなたは頭が切れる。あのアルティージェを相手にするのに、まさかナウゼルや泪だけを頼りにするとは思えない。何かもう一手あるのではと思っていたわ」
「いやあ、さすがですね。大したものではありませんが、念のためにということで」
そう言って、エルオードは泪を見た。
……よく見れば、その様子はどこか変だ。
目は虚ろで、どこを見ているのかよく分からない。
それに雰囲気も異様だった。
「予備の身体といったところね?」
「はい。そんなところです」
「え、予備って……?」
そんなことを言われても、私には分からない。
と、楓が答えてくれた。
「人形なんですよ。恐らく」
人形って……つまり、泪の予備ってこと?
「ええ、楓さんのおっしゃる通りです。依り代となるよう、作っておいたものですよ」
「泪がやられた場合に、すみやかに憑いているシャルティオーネを移動させるためのもの、ということね」
ジュリィの言葉に、エルオードが首を横に振ってみせた。
「間違ってはいませんが、正確ではありません。あそこに入っているのは、ただの怨念と妄執だけです。シャルティオーネはもちろん、オルディード、ラスティラージュのものもありますよ」
「……なに、それって」
何だかとても嫌な気分になる。
その話通りなら、あの泪の身体の中には、そんな嫌なものがいっぱい詰まってることになる。
「最初からそういうものを仕立てるつもりではいたのですが、考え直し、まずはそれぞれ個人のものを復活させることにしたんです。さて、なぜだかわかりますか?」
――それって。
「二度殺された方が、想念がより濃くなるから……ですか」
楓の答えに、エルオードは満足そうに頷いた。
「正解です」
「最低……っ!」
わたしは思わずそう吐き捨ててしまっていた。
むかむかとさえしてくる。
「恐縮です。ですが……それなりの効果はあったでしょう?」
――それなりどころの話じゃない。
ただでさえ、千年以上も妄執を抱き続けてきた想念が、たった今殺された恨みで倍増してしまっている。
そしてそんなものが、一つの身体の中にいっぱい詰まっているのだ。
そうか、と思う。
泪の周りに漂っているのは、まさに怨念そのものなのだろう。
それはイリスをあっさり貫くほどの力を秘めている。
たぶん、さっきまでの泪とは桁違いだ。
「まったく……」
エルオードの話を聞いて、楓はイリスを見る。
「私たちはいいように利用されてしまっていたというわけですね。イリス、あなたも存在否定をするのならば、あの妄執ごと消し去れば良かったのです」
「……わたしにあんな汚らわしいものを、理解しろって言うの?」
「私がするわけではありませんから」
「……相変わらず、性格真っ黒だね」
「あなたに言われたくありません」
喧嘩している様子では無かったけれど、私は二人の間でおろおろしてしまう。
こんな時に、仲間割れして欲しくない。
と思ったけど、どうやら杞憂だったようだ。
二人にそんな気は無いらしく、泪のことを話し始める。
「……で? イリス、あなたに勝算は?」
「わからない」
あっさりと、イリスはそう答えた。
「さっきとは存在力が違う。簡単には滅ぼせそうもない」
「そうですか」
声にこそ出さなかったけど、楓もさすがに困ったように見えた。
イリスは不意打ちをくらって傷ついているし、楓もずっと戦っていたせいで、疲労がたまっている。
私とジュリィは元気といえば元気だ。でも正直ジュリィにはあまり戦って欲しくなかった。
ジュリィの身体は、私なんかよりずっと脆い。戦うことで生命力を消費すれば、命にかかわってしまう。
だから私が何とかしたかったけど、相手は一人じゃないのだ。
エルオードもいるし……茜だっている。
どうしよう……。
「――ユラ」
そんな私へと、声がかけられた。
ジュリィだ。
「あなたはイリス様と楓の三人で、泪を始末しなさい。それは、油断できる相手ではないわ」
「で、でも……?」
「茜の相手ならば、わたしがする。……どうせあなたたち三人とも、彼女に刃を向けることはできないでしょうから」
その通りだった。
私とイリスは茜のことが好きだし、楓は茜のお姉さんだ。
みんな、とてもやりにくい相手には違いない。
「でも、ジュリィ一人で……?」
大丈夫なのか。
茜だけでなく、エルオードだっているのに。
「彼は、わたしたちと戦う気はないはずよ」
「え?」
ジュリィの言葉に、イリスも楓も怪訝な顔になる。
「相手は他にいるということ。違うの?」
「……どうでしょうか」
エルオードは曖昧に言葉を濁すだけで、答えない。
「……まあいいわ」
ジュリィも、特には追求しなかった。
「さて……そろそろ再開しましょうか。あなた方には申し訳無いのですが、僕にはあなた方を消去せねばならない義務があります。ジュリィ、あなたもですよ」
「……わかってるわ」
「ならば結構です。では」
その瞬間に、泪が動き――茜が動く。
「ジュリィ!」
私が倒すべき相手は泪だけど、どうしてもジュリィのことが心配だった。
「由羅!」
思わずジュリィの方を見てしまっていた私へと、楓の叱責が飛ぶ。
「わっ!」
振り返った私の目前を、赤い咒力の球が横切り、ずっと背後で炸裂する。
「由羅、前を見て。危ないから」
イリスが寸前で、その黒球を大鎌ではじいてくれたのだ。
「ご、ごめん……」
今は前に集中しなければいけない。
ジュリィはきっと大丈夫だ。私に比べてずっと頭がいいし、ちゃんとこの先のことも考えてあるに違いない。
今は泪を倒して、それから――ジュリィの応援に行けばいいのだ。
そう思い、私は目の前の敵に集中した。
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