終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第132話
/アルティージェ
「っ……」
突然の痛みに、目が覚めた。
痛みは一瞬で、もはやその余韻すら残っていない。
いったい何だったのか、すぐに知れた。
「……ふうん?」
わたしの手の甲にあった刻印が、きれいさっぱり消えてしまっている。
真斗が、誰かに変えたのだ。
「いい度胸ね……。このわたしが膝まで折って、天魔三界の剣もあげたっていうのに」
それは本音だったけど、まあ予想のうちだ。
いずれこうなることは分かってはいた。でも戯れる前に終わりとは、ちょっと不満も残る。
ま……わたしと繋がっている間に、それなりのものは得たはずだから、エルオードに負けることもないだろう。
お父様を相手にあそこまで渡り合えたのも、一年前の記憶をわたしがこっそりと強化して送りつけてあげたからである。
でなければ、そう簡単に降魔九天の剣を見様見真似などでできるわけがない。
本人は気づいていないでしょうけれど、ね。
「それにしてもね……やっぱり横取りは嬉しくないわ」
そう、横取りだ。
そうしてくれた相手も、まあ想像に難くない。
いったいどうしてくれてやろうかしら――と考えていたら、後ろで笑われてしまった。
「何というか、呑気なものだな」
「王者の余裕よ」
わたしは至極当然な答えを返すと、翻って一礼する。
そこにいるのは柴城定。
まあ、お父様代わりにしておいてもいいくらいの相手だ。
「なるほど。……とはいえ、ばっさりやられて最初に目覚めた時に考えることが、刻印のこととはな。さしものシュレストも、お前には及ばん」
「そうでもないわ。わたしはお父様を参考に、育ったのだから」
「そう言われると厳しいがな……。いやおれじゃなく、シュレストが」
「そんなに否定なさらなくとも良いのに」
わたしはくすりと笑う。
「わたしが認めてもいいと思っている。ならばそれで充分でしょう?」
「いや、おれの意思は」
「今はわたしが王様なの」
「……相変わらずだな」
苦笑するしかない、といった様子の定。
「で、どうするのかな? 思った通りの大した回復力だが、かといって万全でもないはずだ。お前は千年ドラゴンには違いないが、あとの二人とは違う。完全ゆえに、ちゃんとルールに従わなくちゃいかんからな」
それはその通りだ。
わたしは完全ゆえに、他の運命による修正を受けない。
わたしの運命は、わたしが定めることができるのだ。
「どうってことないわ。あの時受けてあげたのは、今までの戯れのお礼みたいなもの。これで充分エクセリアにも義理がたったでしょ? これから先は、わたしの思い通りにするわ」
これで、エルオードのことはもうどうでもいい。
それに彼の目的も、わたしではないはずだから。
「前回はちょっと悪役っぽかったしね。今回はあの子達に恩を売って、お近づきになるのが目的なの」
ナウゼルは、シャルティオーネやオルディードとは訳が違う。
しかも依り代は九曜の娘だ。
あの娘に好意を抱いているイリスや由羅では、手出しできないだろう。
「お近づき、か」
「そう。いったいどれだけ待ったと思っているの? お父様やお姉様が亡くなってから、ずっと……」
寂しくはなかったけれど、同朋を求めていたのは事実だ。
隠すつもりもない。
「まあおれとしては、みんなで仲良くやって欲しいと思うのにやぶさかではないがな」
「同感ね」
微笑み返して、わたしは窓の外を見た。
今行けば、充分間に合うだろう。
「わたしは行くけれど……お父様はどうするの?」
「おれはここで待ってるさ」
「ふうん?」
「お前さんの無事が、おれの中では最優先事項らしくてな。上田の居場所は掴んだから、とっとと帰ってきた。でもってお前の様子を見るに、まあ大丈夫だろうと判断したんでね。あとはゆっくりしてるさ」
「――感謝を」
素直にわたしは頭を垂れた。
定は困った顔をしているだろうが、構わない。
「では、行くわね」
そうとだけ残して、わたしは外へと出る。
冷たい冬の風が、心地良かった。
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もはや劣勢であることは、明白だった。
泪とエルオードを相手に互角に戦っていたところに、ナウゼルを覚醒させた茜まで加わっては、さすがの楓でもどうにもなりはしない。
「…………!」
泪の咒法を防いでも、その隙を茜に狙われ、確実に傷ついていく。
実際、彼女の負傷のほとんどは、茜によるものだった。
その強さは、普段の茜のそれではない。一対一であったとしても、楓と充分に渡り合えただろう。
少し、皮肉に思う。
これだけの力がありながら、茜は普段、それを使えていない。
もし使えていれば、九曜を出ていくこともなかっただろうと。
「……っあ!」
今度は深く、やられた。
すでに全身は、小さいながらも裂傷だらけになってしまっている。
滴り落ちていく血は、確実に体力を奪っていく。
「――終わりですね」
楓の体勢が崩れたのを、泪は見逃さずに白魔七星の杖を振るう。
「これで終わりにして差し上げましょう――!」
発せられた冷気によって、周囲の空気が縮みだす。
「――〝七星打ち堕とす白魔が夜〟!」
圧倒的な吹雪の渦。
これに包み込まれれば、全身は凍結して生命活動の全てを停止することだろう。
ただの咒法では在り得ない、圧倒的な凍気。
「――肋波禰!」
楓は表情も変えず、すばやく咒言を結んでいく。
「重玖我・魯異殻羅・亞琉懸坐・宇苧芭資奇・佳那餌、――招、〝血血血血――咒界〟!」
完成と同時に、楓自身が流していた血が沸き立ち、霧散して強固な結界を完成させる。
長時間を維持するには難しい咒ではあったが、この一時を維持するくらいならば、充分だ。
楓の目算通り、〝血咒界〟は泪の一撃を防ぎきった。
しかし、ここまでだ。
その次の手――
「――〝十戒打ち隠す逢魔が時〟!」
すかさず、第二撃が繰り出される。
無論、茜の一撃。
予想はしていた。
しかし、防ぎきれるか――
ジィイイイイイイイ……!!
耳をつんざく音と共に、結界は激しく削られる。
そして。
ジィンッ!
打ち砕かれた。
「く――――」
もはや、防ぐすべも逃れるすべもない。
茜の振り下ろす剣が、楓を断ち切る――!
ギャンッ!!
しかし、刃は届かなかった。
金属が削り合う激しい音が、耳障りに響いただけ。
「――イリス!」
楓がその名を呼ぶよりも早く、イリスは無言で地を蹴り、泪を目指して襲いかかった。
「――――」
はじき返された茜は、即座にイリスを追おうとしたが、それを遮る新たな侵入者。
「――行かせない!」
両手を広げて、茜の目前に立つ由羅。
構わず振り下ろされる剣を素手で受け止めてまでして、由羅は茜を遮った。
イリスを目前にし、泪をかばうようにして現れた黒い影も、彼女の前では無力。
一振りにてその大鎌に切り散らされ、返す刃が泪を捉える。
「ぁ――――!?」
声ならぬ悲鳴を上げて、真っ二つに両断される泪。
宙を舞う二つの身体を、イリスは凍てついた瞳で見返す。
両断された身体が地に落ちるよりも早く、
「――――〝左の十字架〟」
楓の放った咒法が、塵も残さずに泪だったものを消滅させた。
あらゆる痕跡を認めずに。
「ふん……」
唯一地面に残った杖を見て、イリスはそれを踏み砕き、躙った。
そして、エルオードへと視線を向ける。
「さすがに死神と呼ばれただけのことはありますね。あの泪を、一瞬で葬るとは……茜、こちらへ」
エルオードの声に反応して、茜は由羅の前より跳び退き、彼の横へと並ぶ。
「――大丈夫? 楓」
駆け寄ってきた由羅に、楓は小さく頷いてみせる。
「ええ……おかげで助かりました」
「よかった……ぎりぎりだったもの。イリス、怒ってて怖いけど……冷静だよ」
楓を助けることを、イリスは優先させた。
イリスから殺意は消えないが、それでも冷静でいることは間違い無い。
「まさか、彼女に借りを作ることになるとは、不覚でしたね……」
心底そう思っているかのように、楓はつぶやいた。
「ねえ……それより茜は……?」
由羅が先ほど受け止めた掌からは、血が滴っている。
茜に受けた傷。
「見た通りですよ。ナウゼルに乗っ取られ、エルオードによって支配されています……」
「でも、そんな……」
由羅自身、身に受けたからこそ理解するしかなかったが、それでも信じたくはなかった。
「――返して」
エルオードに向けて、イリスが口を開く。
「そういうわけにはいきません」
相変わらずの笑顔で、エルオードは答えた。
イリスの殺気に、微塵も怯える様子も無く。
「いかにあなたとはいえ、邪魔はさせませんよ」
「――そう。それなら」
死ね。
そう告げて、イリスはエルオードへと跳び掛った。
だが。
「――――!?」
そのイリスの瞳が、驚愕に見開かれる。
「か――あ」
そのまま大量の鮮血を吐き出して。
「イリスっ!?」
その惨状に、由羅の悲鳴が木霊した。
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