終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第131話
/真斗
すでに時間は深夜で、この辺りではもうほとんど人の姿も無い。
もはや不気味とさえ思える公園のベンチで、俺はそいつを待っていた。
そんなに長くは待っていなかったと思う。
「――よう」
声をかけた。
エクセリアは真っ直ぐに俺を見れぬまま、数メートルの距離を保って視線の先にいる。
……ここは、初めてエクセリアと会った場所だ。
正しい意味での初めて会った場所は由羅に殺された所なのかも知れないが、印象深いのはやはりこの場所である。
「……やっぱり悩んでいやがるな」
「……わかるのか?」
「当然だろ」
エクセリアがこれだけ近くにいるにも関わらず、身体の不調は良くならない。
逆に、身体の調子は変わらないにも関わらず、エクセリアがここにいる。
その事実こそが、エクセリアの心境を充分に物語っていた。
「……私はとうの昔に、エルオードに見捨てられていたと思っていた」
ぽつり、とエクセリアは語り出す。
「しかし、昨夜は……」
「そうだな」
エクセリアが動揺しているのが分かる。
分からないことに対しての答えが出ないからというよりは、信じられないことが起こったというような感じだった。
「俺もあいつはアルティージェ一筋だって思ってたよ。黎から聞く分にはな」
しかし、違っていた。
エルオードはエクセリア、アルティージェ、黎とこれまでに主を変えてきたように見えたが、実際はエクセリア以外は頭に無かったのだ。
「私も、そう思っていた」
だろうな。
黎ですら気づいていなかったのだ。
言っちゃ悪いが、エクセリアに分かるはずもない。
「けどま……アルティージェはさすがってとこか。きっと気づいてたんだろ?」
だからこそ、途中から遠ざけるようになったのではないのか。
「しかし……ならばなぜ、その時に始末しなかった? それに昨夜とて、あれほどの重傷を」
「アルティージェって、変な奴だからな」
俺の結論は、それに集約される。
「わかってて……楽しんでたんだろ? エクセリア、お前への当て付けも含めて」
「――――」
「もっともお前自身が気づいていないんじゃ、当て付けにもならんけど。もしくは……」
行動とは裏腹に、エルオードのことを気に入ってしまっていたのかも知れない。
あいつに気に入られるっていうのは、どちらかというと不幸な部類に入りそうだから、気に入られた方は苦労しそうだけど。
「ただ昨日のことに関してはな。ちょっとわかんねえよ」
なぜ、あれほどまでエルオードにやられたのか。
それこそ本当に、不意打ちだったからなのかもしれない。
しかし、あのアルティージェが簡単にそれを許すだろうか。
あの状況から、エルオードの関与には気づいていたはず。警戒しなかったわけがない。
だとすると――
「まさか、な……」
頭に浮かんだ可能性を、俺は振り払う。
馬鹿馬鹿しいとは思わなかったが、今正確に答えを導き出さねばならないことでもない。
「――で?」
俺は、エクセリアを見返した。
しかしエクセリアは、まともに視線を合わせてこようとはしない。
それどころか、言葉も発しない。
嘆息して、俺はこっちから聞くことにした。
「何か契約してたんだろ? お前とエルオードって」
「していた」
「どんな?」
知ってはいたが、あえて本人に聞いてみる。
「……アルティージェが王位を継承した後、その力が熟成しきる前に始末できればと思い、代理人を仕立てた。しかし、レネスティアと同じようなものであっては、その代理人そのものが捏造された世界の異物になってしまう。ゆえに、知識のみに限定して、刺客として放った」
それが、ネレアの契約ってやつか。
「だが、敗れた……。私はレネスティアの残したものに、及ばなかった。それは、その先変わることはなかった」
「ところがどっこい、ここに来てずっと昔のことを果たそうとしているわけだよな。お前のために」
「思わぬことだった」
どこか苦しげに、エクセリアは言う。
「しかも私は、それを嬉しいと思ってしまったのかも知れぬ。ゆえにあの時、死神に見られる危険を冒してまで、エルオードを庇ってしまった」
そう思うのは当然だろう。
てっきり敵に下ったと思っていた部下が、それこそ元の主を騙してまで雌伏し、そして当初の命を果たそうとしているのだから。
「だがそれは……」
初めて、エクセリアがこっちを見た。
その瞳はいつもの凛とした雰囲気は無く、どこか頼りなさげに見える。
「そなたを、裏切ることになってしまう」
「茜のこと、言ってるのか?」
「それもある。しかし……それが全てではないと、思う」
「というと?」
「それは……」
すぐに、返事は無かった。
エクセリアはしばらくその場で思い悩み、そして……やっと口にする。
「私はそなたを選んだ時から、過去の自分のやってきたことを、全て捨てた。そうしなければ、そなたという存在や、由羅……黎のような存在を、認めることはできなかったゆえに。――当然、その中にはアルティージェを始めとする異端も」
ああ……そうか。
何となく、エクセリアが悩む原因が分かったような気がした。
「しかしエルオードの為すことは、過去の私の意思そのものだ」
捨てたはずのこと。
それがこんな形で目の前に突きつけられて、だからこそエクセリアは動揺したのだろう。
これではまるで、エルオードは過去の亡霊だ。
「一年前にあれだけやられたけど、アルティージェのことはもうどうするつもりもなかったんだな」
「その、つもりだった」
「だよな……」
だからこそ、この一年呑気にみんなでやってこられたんだからな。
「けどまあ……俺に言わせれば、お前は完全には捨てきれていなかったはずだ」
「――――」
エクセリアが、軽く目を見開く。
「理由は二つあるぜ。一つはイリスだ」
この一年の間で、エクセリアが唯一避けていたものが、イリスだった。
あいつが何者なのか、詳しいことは知らんけれど、イリスに対するエクセリアは態度が違っていた。
「ずっと避けてただろ。過去に何があったのかは知らねえけど、向き合えなかったってことは、過去を捨てきれてなかった証拠だ。過去を捨てることがいいことかどうかは、また別としてな」
「……そなたは、イリスのことをどこまで知っている?」
「いや、大して」
「あの者は、我々と同じ観測者と呼ばれる存在。私たちとは全く正反対の」
「……正反対?」
こくり、とエクセリアは頷く。
「我々は、観測しその存在を認めることで、存在たらしめている。時には捏造という形で、本来在り得ぬものまで認めることができる」
「今の俺、だな」
「そうだ。だがイリスは違う。いったん認めるという観測における認識に関しては、我々と同じであるが、その目的が違う。あの者は、認識したものを滅ぼすために、その対象を認識しようとする。もしあの者に認識され、その全てを支配されてしまえば、少なくとも死の運命だけはイリスに握られてしまう。これは、決して逃れられない……」
「……よくわからんけど、だから死神って呼ばれてるわけか」
「その通りだ。紛れも無く、あの者は死神である」
「ふうむ……」
「死神が生まれるであろう予感は、ずっとあった。私はそれを見出し、そしてアトラ・ハシースの中で育てさせ、異端への死神とした」
「…………」
「結果として、実際に当時の異端はイリスによって、ほとんど根絶やしにされた。しかし長くは放置できぬと思い、私はあの者を封印したのだ。千年もの間」
「お前……」
利用するだけ利用して、危なくなったら始末する。だけど簡単に始末できるような相手でもなく、仕方無く封印したってわけか。
それは、いつだったかエクセリアが話したことがあったこと。
いったい何のこと言っているのか、その時はよく分からなかった。
しかし今なら分かる。
あの時語っていたのは、イリスのことだったのだ。
「ゆえに、あの者が私を知れば、許さぬだろう。私を認識し、殺すやもしれぬ。私はそれが、怖かった……」
怖かった、か。
怯えていたって、前に自分で言ってたもんな。
「だけどお前、それでも昨日……イリスの前に出た。守りたかったんだろ? エルオードのこと」
「……だから、私には分からない……!」
突然、エクセリアが搾り出すように声を上げた。
「そこまでして、私はエルオードを守ってしまった! だが私は、そなたを裏切りたくはない……! いったい私はどうすれば良いのか、まるでわからぬ……」
「……何だかな。こうやってお前の涙を見るのって、二度目だよな」
「…………」
「正直、女に泣かれるとちょっと困る。どうすればいいか、わからんからさ」
しかしこんなエクセリアの姿を見ると、改めて実感する。
見た目通り、ずいぶん脆いものも持っているんだな、と。
「慰めてやりたいとこだけど、悪いが今はそんな時間はない。俺なりの意見を、言わせてもらうぜ」
結局のところ、エクセリアは選ぶしかないのだ。
選んだはずのものを、もう一度。
「さっき俺、イリスに知られてまでしてお前はエルオードを守ったんだって言ったけど、少し間違いだったみたいだ」
「…………?」
不思議そうに、エクセリアが僅かに視線を上げる。
「お前が守ったのはエルオードじゃない。かつての自分だよ」
「――――!」
エクセリアの瞳が、見開かれる。
「だから、俺を見れなくなった。エルオードを助けたことで、昔の自分自身を擁護してしまったからだ。……昔のお前の考え方でいる限り、俺を捏造するほどまでに認識することは、自己矛盾になってしまうからな。だから、だよ」
「…………!」
「その辺が、二つ目の理由だな」
エクセリアが、完全に過去を捨てられていなかった、その理由。
「そうか……それで、私はそなたを……」
「たぶん、だけどな」
「私は、そなたを裏切るつもりなど無かった。だというのに、エルオードをかばった瞬間から……そなたを見れなくなってしまった。そなたが倒れるのも見ていた。何とかしようとしたが、どうしてだかできなくて……」
そういうことだったのか、とエクセリアは最後に小さくつぶやいた。
「私は、愚かだな」
「……どうして?」
「そんなことにも気づけなかった。自分のことだというのに」
「あんまり自虐的になるなって」
俺はエクセリアへと近づくと、ぽん、とその頭を手を置く。
「確かに馬鹿かもしれんけど、自分だけがそうだと思うな。みーんなそうなんだよ」
「真斗……?」
「覚悟した瞬間から迷うなんてことは、よくあることさ。だから何度も何度も覚悟して、そのうちにいつの間にやら乗り越えてたりするもんなんだよ。お互い人間なんだ。機械みたいにきっちりいくか」
「……しかし」
「しかしもくそもあるか。そういうことなんだよ。――とにかく」
俺はその場でしゃがみ込むと、エクセリアを見上げた。
「選ぶのはお前だ。そればっかりは、俺にもどうにもできない。だけど、これだけは言っとくぞ。どっちが正しくてどっちが間違ってるなんて、考えるな。結局のところ、どっちも正しくて、どっちも間違ってるもんなんだから」
少なくとも俺はそう思う。
完璧に正しい道なんてあるわけがない。
誰だって、な。
「――選ぶまでもない」
エクセリアは言う。
「少し迷ったにすぎぬ。私はここに来た。それでは答えにならぬか……?」
「――いや、充分だろ」
笑って俺は、そのままエクセリアの頭を撫でてやる。
くすぐったそうに、エクセリアはこっちを見返してくる。
少し……どこか、嬉しそうに。
身体の調子の方はまだよく分からないけど、多分大丈夫だろう。
エクセリアのこの顔を見ていれば。
「よし。じゃあ行くぜ。……ちなみにエルオードの居場所とかって」
「知っている」
「なら問題無い。茜を取り戻しに行く。いいな?」
エクセリアは、頷かなかった。
それどころか、俺の腕を引っ張って離そうとしない。
「む……?」
「欲しい」
いきなりそんなことを言われても、何のことやら分からない。
「……何を?」
「そなたの証を。誰の手にでもなく、私が欲しい」
証……?
「かつて由羅は、それがあったゆえに、そなたに惹かれた。もはやそれは、あの者の手には無く、必要も無いが、だからこそ今度は私が欲しい」
由羅の手にあったって……。
「おい……それってもしかして」
思い当たるものなど、一つしかない。
「――二度と、迷わぬために」
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