終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第126話
/エクセリア
なぜ、あんなことをしてしまったのか。
理由は簡単で、考える必要のないこと。
それでも、なぜ、と思わずにはおれない。
そうすることの弊害が、分かっていなかったはずもない。
死神に見られる危険まで冒し、しかも真斗を裏切るような行為ですらあった。
しかし、そんなことをあの一瞬に考えたわけではない。
気づいたら、彼を庇ってしまっていた……。
『――実をいうとですね。当てにはしていたんです。きっと一度だけ、僕を庇ってくれるだろうと』
あの後、エルオードはそう言っていた。
私自身が分からないことを、彼は分かっている。
なぜかと聞けば、答えはあった。
『あなたが真斗君を選んだからですよ。それが理由です』
真斗を選んだことが、理由……?
『そうです。自由の代償。そして、乗り越えねばならないものの一つ、ですかね』
それは、どういう意味だったのか。
私はまた、悩む……。
/真斗
目が覚めた時はもう、昼近くになっていた。
窓から差し込む光が眩しく、また時計の針もそれを証明している。
身を起こそうとして、起き上がらなかった。
「…………?」
はて?
もう一度やってみるが、やはり動かない。
……何やらおかしい。
どうも身体がいうことを聞いてくれない。
しかもおかしいのは身体だけでなく、部屋も変だった。
いつも見ている、自分の部屋の天井じゃない。
ここは事務所の一室で、そういや昨日もここで……。
「!?」
一瞬にして昨夜の記憶が蘇り、飛び起きた。
「つあっ……!?」
身体は動いた。
しかし極大の筋肉痛のようなものが、全身を襲う。
「く――――あ」
ばたん、と再び倒れ込んだ。
くそ、これは……!
「――真斗」
驚いたような声が耳に届いた。
見れば、黎がこっちを覗き込んでいる。
「目が、覚めたのね」
少しほっとしたように、黎は言う。
「……ちょっと、起こしてくれ」
「ええ」
何も聞かず、黎は上半身を起こすのを手伝ってくれた。
やはり身体は痛いが、とりあえず何とか動かせそうだった。
「身体、思うように動かせないのね」
「……ああ」
原因は――まあ、あいつなんだろう。
「いないんだろ? エクセリア」
「…………」
明確な返事は無かったが、そういうことのはずだ。
つくづく実感する。
やはり俺の身体は、あいつ無しじゃどうにもならないと。
「しっかし……本当なんだな。死体を無理に動かしてるってのは。エクセリアがいないと、油の切れた機械みたいになっちまう……」
「みたいね」
苦笑して、黎は俺を眺めた。
「でも良かったわ。もう目が覚めないのかと思ったから……」
「俺がぶっ倒れてから、ずっと寝てたってわけか」
「ええ」
きっとあの時は、混乱の極みだったのだろう。
思い返す。
泪をあと一歩というところまで追い詰めておきながら、全ては瓦解した。
まずアルティージェがやられ、茜がさらわれて、俺は俺でその場でいきなりぶっ倒れれば、あの場は相当混乱したはずだ。
少し、昨夜のことを思い出してみる。
俺は所長と戦った。
ところが所長は泪に支配されている振りをしたにすぎず、楓さんとも示し合わせて一芝居うったのだ。
それは泪にとって不意打ちとなり、完全にあいつを包囲することができた。
だというのに、思わぬ人物が俺達を不意打ちした。
それが上田さん――いや、エルオードってのが本当の名前か。
それだけが、さっぱり分からない。
俺の知っているエルオードの素性は、黎にその身体を人形に作り変えてもらったことを代償に、ずっと黎に仕えていたというもの。
しかしそうしたのには理由があった。元々はあのアルティージェの臣下をやっていて、ある日突然追っ払われてしまったにも関わらず、忠臣らしくずっとその行方を追っていたのだ。
それこそ、千年単位で。
そこまでしていた相手に対し、どうしてあんなことをしたのか。
「……アルティージェは?」
「無事よ。だけど意識を失ったままね」
「……ちょっと驚きだな」
あの傲岸不遜のアルティージェが、しおらしく意識不明、とはな。
本人が聞いたらさぞ怒るだろうけど。
「……仕方ないわ。あの時エルオードが持っていたのは逢魔十戒の剣……。シュレストの遺産である上に、千年普遍の効力まで得た武器だもの。いかに千年ドラゴンとはいえ、傷つかずにはいられないものなのよ」
「ま、けっこう深くやられてたしな……。あれで生きてる方が、本当は不思議なわけか」
身体を串刺しにされた挙句、更にもうひと太刀浴びたのだ。
以前同じようにぶっ倒したのに、あっさり現れやがったものだから、いまひとつ実感が湧きにくいけど。
あと、由羅とか見てるとな……。
「まあそれでも、アルティージェの蘇生の遅さにには多少、違和感を覚えるけれどもね……」
「違和感?」
「ええ。ユラに比べ、千年近く後に生まれている以上、彼女の不死性はユラには及ばない。そもそも完全に千年禁咒をうけている時点で、完全ゆえの制約も受けるわ。だから不思議ではないのかもしれないけれど……らしくない、というか。まあその程度のこと」
らしくない、ね。
そういやそうなのだ。
なるほど俺が感じているのもそんなところなのかもしれないな。
あいつがぶっ倒れていること以前に、いかに不意打ちとはいえエルオードの剣の二度も受けたことこそが、らしくないのである。
「それよりも真斗、エルオードのこと、聞きたいのでしょ?」
アルティージェの話を出したことで、察したらしい。
「まあ、な」
素直に認める。
「わたしも思いもよらなかったわ。まさか、彼があんなことをするなんて」
「やっぱ、原因はわからない、か」
「アルティージェ本人に聞くのが一番なんでしょうけど、想像程度ならば、話せるわ」
「それでいい」
少しでも、納得できる理由を知りたい。
でなければ、どうして茜をさらったのか――そしてどうする気なのか、それを考えることもできない。
茜か……くそ!
結局俺は最後の最後で役に立たなかった。
「……エクセリア様から、こんな話を聞いたことはない? エクセリア様が、アルティージェを殺そうとしたことがる、と」
「ん……?」
言われて、思い出してみる。
そういや……。
「あった、気がするぞ。自分はあいつを殺そうとしたことがあるって……でもって嫌われてるんだって」
「その時の刺客がね。エルオードだったの」
「な!?」
さすがに驚いた。
「ネレアという契約があるわ。魔王という契約はあなたが知る通り、悪魔――つまりレネスティア様との間で結ばれるもの。ネレアの契約は、エクセリア様が為したものよ。ただし魔王とは違い、あくまで知識を与えるのみのもの。その知識を活かし、どう強くなるかは本人次第……。その最初の一人目が、エルオードだったのよ」
「じゃあ何か? あいつはエクセリアと契約を結んでいて、それでアルティージェを殺そうとした過去があるっていうわけか」
「ええ。ちょうどそれが、継承戦争が終わった後のことね。アルティージェは王位を継承し、その力は増していたものの、エルオードを前に相当苦戦したらしいわ」
「けどしくじったんだろ?」
エクセリアはそう言っていたし、何よりアルティージェが今もぴんぴんしてるのが証拠だ。
「そう。エルオードは負けたわ。千絲封と呼ばれる禁咒を用いながら、それを逆手に取られてね」
「千絲封……?」
「けっこう有名な禁咒よ? あのイリス様を千年も封印していたという、いわくつきのね」
「――あのイリスを!?」
「ええ。その原型となるものなのだけど……まあ、それはまた別の話になってしまうわね。とにかく彼は敗れ、ネレアの知識をも奪われ、またアルティージェは強くなってしまったわ」
魔王であって千年ドラゴンでもあり、ネレアの知識も有すって……あいつ、ここまでやるかっていうくらいの最強ぶりだよな。
「……そんだけ強けりゃ、くそ偉そうにもなるわな」
「ふふ。彼女の性格は生まれつきのはずよ?」
「それもまあ、納得か」
だってアルティージェだしな。
理由になってないけど、それで納得できてしまうのは不思議なところだ。
それはさておき、
「負けて、その後はどうなったんだ?」
続きを聞いてみる。
「変わり者だったから。二人とも」
そりゃ認めるけど。
「さすがに詳しくは知らないわ……でもどうやら二人は意気投合して、エルオードはその時にアルティージェの臣下になったらしいのよ。そしてそれは、千年ほど前まで続いたわ。最後の魔王の時代ね。そしてその頃に、わたしに仕えるようになったの」
「…………」
まさか、と思う。
「あいつ……もしかして、本当はずっとエクセリアの臣下のつもりでいたんじゃないのか?」
エルオードの忠臣振りは、話を聞いても普段を見ても、よく分かる。しかしあいつが本当に忠誠を誓っていたのは一人だけで、それは一番最初のエクセリアだったのではないか。
「アルティージェに下ったのは、いつかエクセリアのために使命を果たすためで……」
「わたしもそう思ったわ。正面から挑んでも勝てないと考えて、彼はずっと、彼女が油断する機会を待っていたのよ」
そしてそれが、昨夜だったってわけか。
「じゃあ……エクセリアが庇ったのは……」
「きっと咄嗟のことだったのでしょうね。エルオードはエクセリア様にとって、契約を結ぶほどの相手だったのだから」
……なるほどな。
「……俺の身体がやばそうなのは、エクセリアがあっちについたからって考えるのは、早すぎるか?」
「もちろんよ」
黎は即答した。
「もしエクセリア様がその気ならば、真斗は生きてなどいられない。それがこうして存在していられるのは、エクセリア様はまだあなたのことを見ているということ。ただ今は、きっと心が揺らいでいるのよ……。自分の行動に、戸惑っているのね」
「……相変わらず、難儀なやつだな」
そう思うけど、いかにもあいつらしいといえば、あいつらしい。
「今回は、色々と騙されてばかりだな」
「そう?」
「そうだろ。最初は泪、次は所長と楓さん、今度はエルオード。もう誰も、化けねえよな……」
ま、考えても仕方ない。
今は茜のことだけでいいだろう。
「よっ……と」
痛む身体を我慢しながら、何とか起き上がる。
「動いていいの?」
「動かなきゃ、どうにもならんしな。みんな、いるんだろ?」
所長にも、聞きたいことはある。
「いるけど……。イリス様には気をつけてね」
「なんで?」
聞き返すと、黎は嘆息した。
「今ちょっと、精神的に不安定になっているのよ。目の前で茜を奪われたことが、よほどショックだったみたいで……」
「まあ……不思議じゃないな。あいつ、相当茜のことを気にしてたし」
それにしても、あのイリスが不安定、か……。
「あなたが倒れた後、大変だったのだから。本当、ユラがいてくれて助かったわ」
「由羅が?」
「ええ。暴れるイリス様を抑えてくれたの。あとはずっとなだめてくれて……。だから今は一応落ち着いているけれど、だからって油断はできない。特にあなたは……」
「エクセリア、だろ」
黎の言わんとしていることは、分かるつもりだ。
イリスを邪魔したのはエクセリアで、あいつのことをずっと隠していたのは俺だ。
とばっちりといえばそうだが、仕方無いだろう。
「だからって、このまま会わないわけにもいかないしな。で、イリスは?」
「ここにいるわ」
「和泉さんのとこには戻らなかったのか」
「戻れないって……そう言っているわ」
イリスのことを一番何とかできそうな人物といえば、和泉さんしかいない。
そしてイリスが一番懐いている相手でもある。
「戻れない?」
「裄也に会わす顔がないって、そんな感じでね」
「……なるほどな」
和泉さんと茜は、けっこう親しい間柄だ。
そのことをイリスも知っていて、そんなことを言うのだろう。
「ま、ちゃんと話すさ」
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