終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第119話
/真斗
隣の部屋から聞こえる話し声で、俺は目を覚ました。
窓の外を見るが、すでに薄暗い。
夕方といったところか。
ちょっと寝すぎたな……。
欠伸をしながら起き上がり、背伸びをする。
ちゃんとした寝床では無かったとはいえ、これだけ寝ておけば多少は身体の疲れも取れているだろう。
「……エクセリア?」
名を呼べば、当たり前のように現れる。
「事務所、誰か来てるのか?」
「イリスが来ている」
「それじゃあ楓さんは?」
「恐らく、まだ。正確なことは聞いてはいない。いくら姿が無いとはいえ、あの者に近づきすぎれば感づかれる」
「ふむ……」
本当、イリスからは距離を取るよなあ……エクセリアは。
「茜は?」
「もう起きている。イリスと話しているはずだ」
「まあ、そうだろうな」
さっきから聞こえてくる話し声は、主に茜とイリスのものだ。
それに時々混じる、由羅の声。
そーいや所長の声はしないな。
まだ戻ってきていないのだろうか。
「とりあえず、顔出してくる。お前は……行くわけないか」
こくりと頷くエクセリア。
俺はもう一度伸びをすると、部屋の外へと出た。
◇
「あ、真斗起きたの?」
事務兼応接室へと入った俺を見て、由羅が声を上げる。
「ああ、おかげさんでな」
「……ずいぶんゆっくりとしていたな」
「寝れる時に寝とかなきゃな。茜、お前はもういいのか?」
「お前のように、惰眠をむさぼるつもりはない」
相変わらずの物言いである。
ともあれそういうことなら、それなりに早く起きていたということだろう。
「んで? 俺が寝てる間に何か進展は?」
「うん。少し」
「そっか。もう茜には話しちまったとは思うけど、もう一度聞かせてもらえるか?」
俺の言葉に、由羅はこくりと頷いた。
◇
ふうむ………。
俺が寝ている間に、いくつかはっきりしたことが分かったらしい。
一つは黎からの連絡だ。
アトラ・ハシースは正式には動いていないということ。
つまり、例えイリスがアトラ・ハシースに乗り込んでいったとしても、根本的な解決にはならないということだ。
これが一つはっきりしただけでもありがたい。
もう一つ、それに付随して泪の言っていたことの嘘が、明らかになった。
それが泪個人の行動なのか、最遠寺全体の行動なのかは、今のところ分かってはいないが。
そこんとこをはっきりさせておかないと、今度は最遠寺に乗り込むってイリスが言い出しそうだしなあ……。
「……もしもの時は、最遠寺に乗り込んでやる」
おいこら。
お前が率先して物騒なこと言ってどうするんだ茜。
「もちろん、わたしも行くから」
と、イリス。
茜に同調してしまっているせいか、非常に気配が剣呑になっている。
「私だって!」
負けじと由羅も言う。
しかし、今の俺に適当なことを言うことはできなかった。
今のところ、楓さんは見つかっていない。
由羅が連絡を取って、イリスはこっちにやってきたけど、凛と和泉さんは未だ捜索してくれているらしい。
ああくそ、早く黎のやつ帰ってこねえかな……。
年長者の貫禄というのか何というのか、由羅はもちろん茜も、黎の話はよく聞くのだ。
イリスに関しては、和泉さんに頼めば何とかなるし。
あと所長もいてくれると助かる。
多分、一番冷静だしな。
「そういや……所長はどうしたんだ? まだ何も?」
「まだ戻ってきていないらしい」
茜が言う。
「そうか……」
何か成果があればいいんだけどな。
成果といっても、泪のことだが。
「それで、どうする気なんだ? もし泪を見つけたら」
「もちろん叩きのめす。弁解など聞かない」
「楓さんのことは?」
「聞き出す。たとえ、どんな手段を使ってでも」
「……簡単にしゃべるか? 第一、簡単に叩きのめされてくれるような相手じゃないだろう。もしかすると、あのザインより強いかもしれねえんだぞ?」
あのおっさん一人を相手に、俺と茜でずいぶん苦労したのだ。
そして仕留めることはできなかった。
泪を求めていけば、ザインも障害として現れるだろう。もしかしたら、他にもいるかもしれない。
「……しっかしな。気にならないか?」
俺は頭を掻きながら、茜に聞いてみる。
「何がだ?」
「目的だよ、目的」
そう。
黎からの連絡で、泪やザインの目的がよく分からなくなってきている。
これまでなら、茜を異端と見なして――ということですんだだろう。だからこそ、楓さんも狙われたのかも知れない。
しかし、直接アトラ・ハシースとは関係無いという。
ならば、茜を狙う理由とは何なのだろうか。
「そんなの、そのザインってやつが、狂信的な信者とか、そういうのじゃないの?」
茜の代わりに由羅が答える。
「つまり、あいつら二人が個人的に暴走してる、ってか?」
「違うの?」
「うーん……」
そういう可能性は、もちろんある。
あるのだが……どうもしっくりこない。
「そんじゃ、どうしてアルティージェがしゃしゃり出てきたりしたんだ?」
「それは……」
困った顔になる由羅。
「……アルティージェ?」
聞きなれない名だったのか、イリスがきょとん、となった。
そういやイリスにはまだ話してなかったっけか。
「何ていうか……天上天下唯我独尊野郎、って感じの奴だな」
野郎っていっても、女だけど。
「なにそれ?」
この説明では分からなかったらしい。
「とにかく、何かもうむっちゃくちゃ偉そうな奴でさ。由羅と同じ千年ドラゴンで、しかも魔王とか」
その説明には、さすがにイリスも驚いたようだった。
「レダと同じ……?」
「まあ、そーなるな」
「ふうん、まだいたんだ……。でも、そのひとがどうしたの?」
聞かれて、俺は掻い摘んで説明することにする。
「一年くらい前のことだけど、そいつが俺たちにちょっかいをかけてきてだな、しかしこの俺の活躍でどどーんとぶっ倒したはずだったんだけど、何を迷ったのかまた出てきたんだよ。どうしてだか泪とザインを追っ払って、変な剣まで寄越してくれたんだ」
「えー、真斗だけじゃないもの。私だって頑張ったんだから」
実際には俺とエクセリアに由羅と黎、これだけ揃ってようやく倒した相手だった。
それを思えば、でたらめに強かったってことだよな……あいつ。
とはいえ由羅は、途中までは敵になってたんだけど。
ちょっと意地悪して、そのことを指摘してやる。
「お前、あいつにいいように操られてたじゃねーか」
「そ、それは……」
びくり、となって、由羅はイリスを横目でそおっと見る。
「?」
「な、なんでもないから! 気にしないで、イリス」
「よくわからないけど……」
首を傾げるイリスの横で、茜が一人苦笑していた。
アルティージェに操られた由羅は、一年前に茜に大怪我を負わせているのだ。
詳しい事情は話してなかったものの、茜の怪我の原因が由羅ということで、由羅はイリスにこっぴどく怒られたことがある。
そのことを思い出して、思わず首をすくめる心境になったのだろう。
「しかし、確かに真斗の言う通りだな。あいつらの目的は、気にはなる」
由羅の言うように、本当に狂信者で茜を含めた九曜家の抹殺を考えているのか。
それとも、他に何か目的があるのか。
と、その時だった。
『――真斗!』
声、がした。
エクセリアの声が頭に直接響く。
「…………?」
しかし俺よりも早く、イリスが反応していた。
怪訝そうに、俺の方を見ている。
やばい――イリスの奴、エクセリアの気配に気づいたんじゃ――
しかし、そんなことはエクセリアにも分かっているはず。わざわざ知られるかもしれない危険を冒してまで、どうして名を呼んだりしたんだ?
「……真斗。何か、いる?」
くそ、やっぱり勘付きやがったか。
由羅と茜も、少し表情を変えて俺の方を見た。
エクセリアがイリスを避けているのは周知の事実だ。
ただ、イリスだけが知らない。
「……ああ。ちょっとした守り神みたいのが、俺にはついてるんだよ。ただ、詮索はしないでくれ」
完全に誤魔化して嘘をつくよりも、イリス相手の場合はこう言った方がいい。
「……いいけど」
気になるようではあったが、イリスは詮索することは無かった。
ほっとなる。
別に、口止めされているわけでもないんだけどな……。
それより、エクセリアは何を伝えようとして――――
その瞬間、がらりと事務所のドアが開く。
そしてそのまま、誰かが倒れ込んできた。
「!」
すぐに反応して立ち上がった茜は、入口を見て絶句した。
俺も驚く。
「――上田さん!?」
倒れ込んできたのは上田さんだった。
顔には生気が無く、衣服もずたぼろになっている。
酷い状態だ。
「おいどうしたんだ!?」
思わず駆け寄って抱き起こせば、俺の声に気づいたように、顔をしかめながら上田さんが目を開く。
「すみません……油断でした」
弱々しく洩れる声。
「真斗、手当てが先だ」
隣に来た茜が、上田さんの様子を見ながら言う。
「そうだな。話は後で――」
「……いえ。伝えておかねばならないことがあります……」
「けどその様子じゃ……」
どこからかは分からないが、身体の至る所から出血していて、衣服が血で滲んでしまっている。
「大丈夫ですよ。僕は生身の人間じゃありませんから……。それに、僕を修復できるのはジュリィだけですので」
そうだった。
上田さんの身体は人形で、それを作ったのは黎だったのだ。
「ね、ねえ……イリスは治せない?」
覗きこんでいた由羅が、心配そうにしながらイリスへと尋ねる。
しばらく上田さんの様子を見ていたイリスだったが、やがて首を横に振った。
「わたしに支配されてもいい、と言うのならできるかもしれないけど……。わたし、人形のことはよく知らないから」
「……ですから、心配しないで下さい。それより、伝えておくことが……所長のことです……」
「所長?」
思わぬ言葉に、ハッとなる。
それは皆同じだった。
「まさか――」
「……ええ。実は、お昼頃から……所長を手伝って、一緒にいたんですが……そこを、襲われました」
「誰に!?」
「泪、ですよ。最遠寺……泪。応戦したんですが、やられてしまって……所長が、さらわれてしまいました……。僕は、伝言をと……」
「…………!」
人質、ということか……!
「さ、定は大丈夫なの?」
由羅の問いに、上田さんは分からない、と首を振る。
「生きてはいると、思います……。それで、返して欲しくば今夜、指定の場所へと来いと……」
……罠、か。
すぐにそう思った。
だけど、そんなことはどうでもいい。
「それで場所と時間は?」
「それは――……」
指定された場所と時間を告げると、上田さんは力尽きたように気を失う。
上田さんが告げたのは、ここからずっと郊外の、山奥だ。
時間は深夜。
人気の無いところで、決着をつけるというわけか。
「ど、どうするの……?」
「行くに決まってるだろ」
由羅に聞かれ、即答する。
「……罠だとはわかっているな」
確認するように、茜が聞いてくる。
「ああ、もちろん」
普通に襲撃しただけでは簡単にはいかない、と考えたのだろう。
お互いに正体は知れているし、こっちも今まで以上に警戒する。同じ警戒をされるのなら、自分達にとって有利な場所で、ということか。
「悩む必要があるのか?」
「馬鹿にするな」
俺が聞けば、茜はふんと鼻をならす。
「向こうからわざわざ顔を出してきたんだ。この機会を逃すつもりはない。それに」
「ああ。所長には色々借りがあるしな。行かないわけがないだろ」
「わたしも行くよ」
当然のことのように、イリスも言う。
「……いいのか? 本当なら、お前には関係ないことなんだぞ?」
正直、イリスの戦力は頼もしい。
どれくらい強いのかは知らないが、それでも茜が頼りにするだけのことはあるはずだ。
「関係あるもの。ね、茜?」
聞かれ、茜は少し困ったような顔をしながらも、頷いた。
「真斗、私も行っていいよね?」
珍しく真剣な顔で、由羅が俺へと確認する。
「来るな、と言っても来るんだろ?」
「もちろん!」
ま、そうだろうな。
「なら、一年ぶりに大暴れするか」
「うん!」
「よし。――あと確認しとくけど、連中を叩きのめすのは二の次だ。まずは所長を無事に取り戻すこと。それから楓さんのことだ。いいな?」
「わかっている」
茜にしてみれば、言われるまでもないことだろう。
楓さんのことは、気になって仕方がないはずなのだから。
「……最遠寺泪、か」
あの女はいったい何を考えているのか。
行けば分かる。
今夜、か。
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