終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第116話
「なんで、お前……!?」
「どういうことだ?」
隣で、茜が警戒しながら俺に尋ねてくる。
「あいつは、お前が倒したはずじゃなかったのか?」
「いや……そのつもりだったんだけど……」
「……もう。では本当にわたしが死んだとでも思っていたのね。まさかとは思っていたけれど、ちょっと不愉快な事実だわ。まあいいけれどね。……それより」
アルティージェは俺達を尻目に、今度は泪達の方を見やる。
「こちらもお久しぶりだと、そう言うべきかしら? 二人とも」
「……アルティージェ!」
泪の顔から一気に余裕が消し飛んでいた。
悪鬼のごとき形相で、アルティージェをねめつける。
「ふふ、元々あなたたちの目的は、わたしでしょう? どうする? 今ここで、再度決着をつけましょうか?」
「……勝てぬ勝負は挑みませんよ。ですが、それもあと僅かです」
「そう? それは愉しみね。オルディードお兄様にシャルティオーネお姉様」
「…………」
最後までアルティージェのことを睨みながら、泪とザインは闇へと消えていく。
「……逃げたのか?」
そうとしか思えない。
アルティージェが現れたことで、あの二人は引いた。
しかしなぜ、アルティージェがこんなところに現れたのか。
いやそれ以上に、あいつは一年前にぶっ倒したはずだ。
「もっと厄介なのが残ったようだけど」
俺も茜も、全く警戒を解けなかった。
一年前、アルティージェを相手に俺達は散々苦労させられている。
「確かにな……」
「そんなに気張らなくてもいいわ」
そう言うなり、アルティージェは俺達の方へと近づいてくる。
歩きながら、右手を横に伸ばした。
その手に現れる、一本の剣。
ずいぶんくたびれた長剣だった。
「お前……?」
アルティージェは、俺の目の前で意外な行動に出た。
その場に片膝をついて、あろうことか跪きやがったのだ。
そして、剣を両手に掲げて。
「――お父様の遺品よ。真斗、あなたにあげるわ」
「おい……いったい何の真似だ?」
「ふふ、光栄に思うことね。わたしが誰かに膝を折るなんてこと、この千年無かったのだから」
有無を言わさぬ迫力に圧されて、俺はその剣を受け取る。
やはり古びている長剣。
「……何だよこのぼろ剣は?」
「失礼ね」
俺が受け取ると、アルティージェは非の打ち所の無い優雅な一礼とともに、その場に立ち上がる。
「天魔三界の剣……お父様が使っていらした剣よ。お父様が残した最高のものは、紛れもなくこのわたしだけれど、まあその次の次くらいには価値があるのではない? 少なくとも、遺産と呼ばれるものの中では最高峰ね」
「そーは見えねえぞ」
ぼろぼろだし。
「節穴ね」
「む……」
「ま、見てくれの悪さは仕方ないわ。お父様が亡くなってから、ずうっと使っていなかったのだもの。わたしはそれよりも、降魔九天の剣の方が好みだったから」
お父様お父様って、そういやこいつの父親って……?
「いったい何の真似だ?」
不審を隠そうともせず、茜がアルティージェをねめつける。
「だって素手ではきついでしょう? わたしと戦った時に使っていた魔剣は、消えてしまったし。代わりといったらその剣くらいしかないわ。オルディードの持っていた逢魔十戒の剣は、ナウゼルお兄様の愛剣だもの。簡単には砕けないしね」
何のことだかさっぱり分からんぞ。
「だから、そうする理由は何なんだ?」
茜の問いに、アルティージェは笑ってみせた。
冷笑と微笑の入り混じった、こいつらしい笑み。
「打算と興味。そんなところね」
「またろくでもないこと考えてるんじゃねえだろーな……?」
「いったいいつ、わたしがろくでもないことを考えたのかなんて知らないけれど、今回のことはあなたたちのためにもなることよ? さっきだって助けてあげたのだし。ちゃんと恩に着なさいよ?」
何か恩の押し売りでもされているような気分だ。
こいつの高圧的な態度は相変わらずだし……。
「お前……まだ由羅のことを狙ってるのか?」
「狙っているなんて、人聞きが悪いわね。手に入れたいだけよ?」
「…………ま、いいけどな」
一年前にこいつと対峙して、最後に何となく分かったことがある。
恐らくあの行為のほとんどは、演出だったのだ。
アルティージェが口で語っていた以上の目的があったのだ。
それが何であるかは、別にどうでもいい。
「さてと。わたしは戻るわ。夜道には気をつけることね」
「ちょっと待てよ! さっきの二人のこと――」
何か知っている素振りだった。
それを聞こうと思ったものの、アルティージェは肩をすくめてみせただけで、その場から立ち去ってしまう。
「……とりあえず、助かったようだな」
「そうだな」
俺が頷くと、茜は銃を圧縮して、片付ける。
「見せてみろ」
「ん? ああ」
今しがた受け取った剣を、俺は茜へと手渡した。
鞘に収められたままのその剣は、長い年月の間放置され、朽ちかけているような印象さえ受ける。
もらった、というよりは押し付けられたような感があるけど。
「……物騒な剣だな」
茜は一目見てそう言うと、俺に返してくる。
「圧縮した後、ちゃんと封印しておけ。でないと持っているだけで疲労するぞ」
「何だよそれ? 呪われてでもいるのか?」
「そんなところだ」
「そんなところって……っておい、俺には封印も圧縮もできないんだぞ?」
情けない話ではあるが、俺は物質の圧縮解凍の咒法を使うことができないのだ。
物を持ち運ぶ時には非常に便利な咒法であるが、その効果は咒法士によってずいぶん違ってくる。
うまい奴はとことん小さくできるらしいけど、少なくとも俺にはできない。誰かがすでにかけた咒法を利用する程度なら、辛うじて何とかなるが。
「……相変わらず咒法は苦手なんだな」
「悪いかよ」
「別に。……わかった。私がやっておこう」
そう言ってくれたので、俺はもう一度剣を手渡した。
「それにしても、真斗。どうしてあのアルティージェがお前に跪いたりしたんだ?」
腑に落ちないといった表情で、茜が聞いてくる。
「さあな。そいつを渡すためだけのポーズ、ってわけでもなさそうだったけどな……」
第一あのくそ偉そーなアルティージェが、誰かに膝を折るということすら考えられないのだ。
一年前の時だって、最後まで膝を屈しなかったしな……。
「何か、意地の悪い意味でもあるんじゃないのか? あいつのことだし」
「かもしれないな」
あっさり頷く茜。
本人が聞いたら、さぞかし立腹しそうだ。
「何にせよ、あんなのまで出てきて……思っていた以上に厄介なのかもしれないな」
「……うん」
泪のやつが実は敵だと分かった途端に、今度はアルティージェだ。
いったいどうなってるのか……。
それにしても――
「お前、大丈夫か?」
茜に、元気が無い。
現状以上に、気になることがあるからだろう。
「大丈夫だよ。お前の姉貴って、お前より強いんだろ? あんな奴の戯言なんて、真に受けるなって」
「……そんなの、わかってる」
泪が言っていたこと。
すでに楓さんを始末したかのような口振りだった。
大丈夫だとは思いたいが、盲信するわけにはいかない。
「とりあえず戻ろう。それから確認すればいい」
「…………」
黙って頷く茜は。
なぜか、いつも以上に小さく見えた……。
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