終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第111話
◇
「あー、食った食った……」
よく食べた。
美味しかったし満足満足。
あらかた食べ尽くし、他愛も無い雑談で盛り上がっていたところで、どこからか携帯の着信音が響いた。
「誰かなってるぞ?」
「おれだな」
東堂さんの言葉に答えて所長は立ち上がる。
所長は棚に置いてあった携帯を掴むと、何事か話しながら奥へと行ってしまう。
「それにしてもなあ……」
俺はエクセリアを見ながらつぶやいた。
「エクセリアにちゃんとした飯食わすのはいいとしても、今日食ったやつこそが料理だって思い込まれたら、それはそれで困るんじゃないか?」
こんなご馳走など、滅多に食べれるもんじゃない。
時には――というかけっこう頻繁に、カップメンのようなものを口にせねばならん時もあるのだ。
「心配するな」
澄ました顔で、茜は言う。
「今日一回だけというわけじゃない。これから色んなものを食べさせてやる。エクセリアが気に入ったのならばな」
「って言ってるけど、どーなんだ?」
「次があるのなら……また」
控え目な返答ではあったけど、意思ははっきりしているようだった。
その言葉に、茜も満足そうな顔になる。
茜にしてみれば、その一言が聞きたかったんだろうしな。
と、所長が戻ってくる。
「悪いな。ちょっと出かけてくる」
「お仕事ですか?」
上田さんに聞かれて、ああと頷く所長。
「夜中までには帰ってこれるかな」
「えー、定行っちゃうの?」
「悪いな。あとはみんなで盛り上がってくれ」
そう言うと、所長はコートを羽織って出ていってしまった。
こんな夜になっても仕事とは、探偵とは大変なもんだよな。
しっかし盛り上がってくれって言われてもな。もうあらかた盛り上がりきったって感じなんだが。
「そろそろ片付けるか」
茜も俺と同じ感想だったのか、食器を重ねながらそう口を開く。
「そうですね。とりあえず、片付けてしまいますか」
頷いて、上田さんも立ち上がる。
「由羅」
「ん? なに茜」
「皿洗いをしておけ。私は用事があるから、真斗と出かけてくる」
用事って、俺も?
「えー……。いっぱいあるもの一人じゃ大変」
「ならば、私が手伝おう」
意外なことに、手伝いを名乗り出たのはエクセリアだった。
「ほんと?」
「この姿ならば、流し台にも手が届く」
……なるほど。
普段のエクセリアでも使えないことはないんだろうけど、あの身長じゃやりにくいのは確かだ。
「食べさせてもらった礼はしたい」
「うん! じゃあ一緒にしよっ」
エクセリアの言葉が嬉しかったのか、由羅はにっこり笑って皿を運び始める。
「仲良しさんですねえ」
「うーむ、ならばおれも……」
などと喋る上田さんと東堂さん。
……ま、いいか。
「で、用事って?」
俺は茜に聞いてみる。
そんな話だと、事前には何も聞いていない。
「外に行こう」
「ああ、いいけど」
茜に誘われるまま、俺は事務所の外へと出た。
◇
「ちょっと、相談があるんだ」
茜がようやく口を開いたのは、事務所から少し歩いたところでだった。
「俺に?」
「ああ。散歩ついでにでも聞いて欲しい」
そりゃ構わねえけど……珍しいな。改まって。
「――真斗は、この先どうするつもりなんだ?」
「この先っていうと?」
「そうだな。大学を卒業したら、でもいい」
将来、ってことか。
「残念ながら、まだ何も決まってないな。就活、しなきゃならんのだろーけど」
「地元に戻るのか?」
「さあな。それも決めてない」
いい加減、そろそろ決めなくてはいけないのかもしれないが、なかなかやろうという気にはなれない。
「実は、私もちょっと悩んでるんだ」
何でもないことのように、ぽつりと茜が言う。
「お前が?」
「悪いのか?」
「いや……そんなんじゃねえけど」
珍しいな。
何でも即断してそうな茜なのに。
「で、悩みって?」
どうやらそれが相談の内容らしい。
「今聞いたことと同じことだ。私の将来」
「将来っていっても……」
「私はもう、アトラ・ハシースに戻る気はないんだ」
「え?」
「だから、あそこにはもう帰らない」
イリスや由羅に引き止められた、というのが原因ではないだろう。
「今回のことか?」
「それもある」
「でも黎が行ってくれてるだろ? うまくいけば、お咎め無しになるかもしれんのに?」
「例えそうでも……」
茜が苦笑する。
「戻る気は無いんだ。こっちに帰ってきて、それなりに楽しかったから」
「…………」
何か、初めて聞いたような気がする。
こっちにいるのが楽しかったなんてこと。
いつもイリスや由羅にくっつかれて、辟易してたっていうのに。
「それは……きっと由羅とかが喜ぶだろうな。俺も何かと助かるし」
「そうか」
茜の顔が、少し嬉しそうなものになる。
歳相応な感じの、表情。
「けどあっちにだって生活はあるんだろう? アトラ・ハシース云々は置いておいても、そっちはいいのか? 友達とかさ」
そう聞くと、茜の表情が曇った。
「……友人、か。このまま戻らなかったら、きっと怒るだろうな、あいつは」
つぶやくように、茜が洩らす。
どうやら未練が無いわけではないらしい。
「でもカリネにはあいつがいるし、それにどうせ元々私が二人の間に割り込んだようなものだったんだ。いなくなっても、元に戻るだけだ」
具体的なことは分からないが、どうやら向こうにも気になる相手はいるらしい。
だったら一度戻ってしっかり別れをすませるべきじゃないかって思うが、まあ俺がとやかく言うことでもないだろう。
戻ることで余計に未練が、ってこともあるしな……。
まあいい。そこは茜の判断だ。
「でもどうするんだ? 家に戻るのか?」
茜の実家はもちろん日本にあるけど、現在ただ今家出中だ。
「その気はない……。でも、帰ってきてしまったら、自活手段が無くなってしまう」
なるほど。
悩みどころはそこか。
「確かにな。今さらこっちで学校、ってわけにもいかんだろうし。かといって就職もなあ……」
難しいだろう。
家出しているだけあって、茜の履歴はちょっと普通と違う。
実家に頼れば何とでもなるのだろうけど、こいつの性格からしてそんなことはしないだろうし。
「だから、しばらくは柴城さんの所で働かせてもらおうって思ってる」
「ふむふむ」
所長が何て言うか分からねえけど、茜のこれまでの経験も活かせるし、所長とも馴染みだし、悪くはないかもしれない。
「いいんじゃねえの? お前実力あるし、俺なんか雇っておくよりずっと頼り甲斐もあるしな」
「――――。だから、真斗はどうするんだ?」
「どうって……?」
「だから! ……このまま、ここに残る気はないのか?」
ここって、京都にってことか。
「さっきも言ったけど、まだ決めてないって」
俺の言葉に、茜はしばらく何やら逡巡していたようだったが、やがて続きを話してきた。
「……お前みたいなやつでも、いないよりはマシだから。猫の手くらいの価値だけど。だから、残って助けてくれると嬉しい」
「…………」
貶されてるんだか期待されてるんだか……。
「私も、ずっと柴城さんに頼るつもりはない。どうせやるのなら、そのうちに独立したいとは思ってる。けど、一人じゃ難しいから……助手がいると助かる」
いつの間にか立ち止まって、茜はじっとこっちを見ていた。
ふうむ……。
「ここで所長と似たような稼業をやったら、きっと九曜家の連中が見逃さんと思うけど?」
「構わない。私も帰ってきた以上、あの家との縁は切れないと思っているから。干渉もされると思う。でも、その分こっちも利用してやるから、いいんだ」
「なるほどな」
俺が思っていた以上に、茜は視野が広くなっていた。
今すぐには無理だとも判断しているあたり、自分自身のこともしっかりと自覚しているようだし。
どうやら本当に、歳に似合わず大人になっていたらしい。
きっと俺なんかより、ずっと色んなことを考えているんだろうな。
「お前なら、うまくいくんじゃないか? 所長の方が上がったりになっちまうくらい、繁盛したりしてな」
「そんなのは当然だ」
この自信はいつも通りだよな。
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