終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第110話
/真斗
「いったいどこ行ってたのよ!?」
事務所に戻るなり、かんかんに怒った由羅が待っていた。
「色々だ」
素っ気無い茜の返答。
俺はもうちょっと具体的に答えてやる。
「学校だよ」
「嘘! 行ったけどいなかったもの!」
そりゃあずっといたわけじゃねえし。
飯食った後、エクセリアと茜を連れて、ぷらぷらと町中を歩いてきたのだ。
「それに――」
何か言いかけた由羅の声が、不意に止まった。
「あ……あ、あ――――!?」
突然の悲鳴。
「なんだ――?」
思わず俺までも驚いてしまう。
そんな俺の目の前で、ぱたん、と腰を抜かす由羅。
「いや……来ないで…………っ!」
俺の背後に釘付けになりながら、由羅が子供のように叫ぶ。
「おい! いったいどうした!?」
「――私のせいであろう」
後ろにいたエクセリアが、ぽつりと洩らした。
確かに由羅は、エクセリアを見て完全に怯えてしまっている。
エクセリアの姿は、まだ大人のままだ。
由羅も驚くだろうとは思っていたけど、こんな風に怖がりだすとは……。
「真斗……っ」
駆け寄った俺の腕を、由羅はぎゅっと掴んでくる。
「おい落ち着け。どうしたんだよ。エクセリアだろ?」
「あ、え……? で、でも………!」
「真斗の言う通りだ。私はレネスティアではない」
「だ、だって……」
「よく見てみろよ? ちっとばかり大きくなってるけど、エクセリアだろ?」
「……あ。え、でもなんで……!?」
今度はぽかん、となる。
「…………うそ。本当、エクセリアだ」
「いったいどういうことだ?」
由羅の様子を見ていた茜が、隣のエクセリアに尋ねる。
「恐らく、私をレネスティア……私の妹と見間違えたのだろう」
妹って……そういや言ってたっけかな。
妹の姿を参考にしたとか何とか。
「うん……その、ごめんなさい」
しゅん、となって、由羅は立ち上がる。
「私が悪いの。その、レネスティアを怒らせてしまって、ずっと酷い目に遭わされてきたから……。だから今も怖くて怖くて……」
確かにそんな話は聞いたことがある。
ずっと昔の話だけど、由羅は千年ドラゴンの狂気に耐え切れず、一人の魔王を殺してしまっているとか。
その魔王を見出したというエクセリアの妹は、由羅を許さず責め続けたという。
それがつい最近まで氷漬けになっていた理由でもあるらしいけど。
……それにしても、今の由羅の怯えようから察するに、相当な目に遭わされたのは間違いない。
完全にトラウマになってやがる、な……。
「……気にせずとも良い。こうなる可能性は、ある程度予測できていた」
エクセリア自身も気にした様子も無く、そう言う。
「うん……。でも、どうしたの? 突然そんな姿になって。それに、なに……?」
不思議そうに、由羅は俺達が手に持っているものを覗き込んだ。
俺はもちろん茜もエクセリアまで、両手に買い物袋を下げている。
「いや、実はだな……」
「由羅」
俺が説明しようとするよりも早く、茜は由羅の横を通り過ぎながら言う。
「今から食事の用意をする。手伝え」
「え?」
「早くしろ!」
「う、うん!」
どたばたと、茜の後を追いかける由羅。
「荷物持ちも早く来い!」
「へいへい」
適当に頷きながら、俺はエクセリアの方を見返す。
「由羅のやつ、最近……っていうか、一年前から茜に料理習ってるんだよ。時々な」
「知っている」
「そっか、そうだよな」
俺もこれまでに何度かあいつが作ったものを食べさせられている。
同席はしていないが、見えないだけでエクセリアもその時に近くにいたのだろう。
「あんまり器用じゃなくて、下手くそだったけどな」
今でも下手くそには違いないが、それでも確実に努力の跡が見られるようになってきている。
最近では茜に怒鳴られることも少なくなった。
「さあて、いったい何作るんだか」
エクセリアがカップメンを食べていたことに立腹した茜が、自分が作ると言い出したのが昼前のこと。
で、三人で京都を歩き回った後、食料品店に向かった俺達は、茜に言われるままの材料を買い揃えてここまで帰ってきたという次第である。
「ちなみにお前が主賓なんだからな。しっかり食べろよ?」
俺の言葉に、エクセリアは小さく頷くのだった。
◇
「ほお……これはこれは」
出てきた料理に目を丸くしたのは、所長を初め他全員だった。
「おれ、こんなもの食べたことがないぞ……!?」
目をキラキラさせたとは、興信所の所員の一人である東堂さん。
いや、俺もだけどさ。
ずらりと並べられたのは、どこぞのレストランのコース料理かと見紛うほどの代物だった。
そこそこの食器までもが用意されていたのには驚いたが、おかげでかなり様になって見えるし。
ていうか材料もそんな大したものを買ったわけでもないのに、料理次第でここまでのものができるとは……!
「フレンチにしてみた。何となくエクセリアに合ってそうな気がしたから」
さすがにちょっと疲れた様子で、茜が言う。
「確かに」
椅子に腰掛けて料理を眺めるエクセリアは、非常に似合っていた。
まるで王侯貴族って感じだ。
しかし茜も大したものだ。
何も見ずに、こんなものを作ってのけるとは。
事務机を合わせてクロスをかけ、急ごしらえのテーブルをしたてた上に並べられた料理の数々。
茜の隣では、由羅が満足そうに佇んでいた。
「……?」
そう思ったのだけど、違う。
確かに由羅のやつ、笑顔を浮かべているけれど、何か変だ。
ほんの少し残念そうな雰囲気が、どうしてだか漂っている。
何か失敗でもしか……?
「みんな、食べてくれ。マナーなんて気にしなくていいから」
「それはありがたい」
と、所長。
「マナーなんて知らないしなあ」
とは東堂さん。
「そんなに難しいものでもないんですけどね」
そう言うのは上田さんだ。
俺も由羅も席について、合掌。
「いただきま~す」
由羅の声が一番大きく響いて、早速食べ始めた。
「おお」
「むう……頬が落ちる」
「いやあ美味しいですね」
みんなが口々に感想らしきものを洩らす中、俺も口へと運んだ。
「……ぬう」
うまい。
そこまで派手な味でないけど、しっかりとしていて、素直においしいと思える。
「……どうだ?」
俺は隣のエクセリアへと聞いてみる。
「昨夜のとは違う……」
「当然だ」
胸を張る茜。
「これが料理というものだ。覚えておけ」
偉そうに言う茜に対して、素直に頷くエクセリア。
それにしても、様になってるよなあ……エクセリア。
明らかにこのメンバーの中では、一番品のある食べ方をしている。
口にあわないものも無いらしく、どんどん口に運んでは食べている。
一方で意外だったのは、由羅のマナーだ。
普段からでは考えられないほど、マナーにのっとって食べているような気がする。
俺自身がよく分からんからだけど、それでも由羅の作法は俺の見よう見まねよりも、ずっとうまかった。
「……お前、どっかでこういうの食べたことあるのか?」
「え?」
「だから、こういう格式ばった料理を」
由羅は小首を傾げる。
「どういうこと?」
「だからお前、何か知らんけど手馴れているような気がしてさ」
「――そうだな。私から見てもそう思う」
茜も気になったらしい。
「同じものは食べたことないけど、ご馳走ならずっと昔に食べてたことがあるから」
ずっと昔って……ああ、そうか。
まだ人間だった頃の話だ。
由羅はレイギルアっていう魔王に拾われて、そこで育ったのだった。
きっとその時に身につけたものなのだろう。
「なるほどな」
一応、お姫様だったのだ。由羅も。
「……それにしても、見違えたな」
せっせと手を動かしているエクセリアへと、所長がしみじみと声をかける。
「この、姿のことか?」
「ああ。どんな手品を使ったのかは知らんが、人間じゃないとこういうこともできるものなのか」
「えー、私はできないもの」
「そうか。それは残念だなあ」
何が残念なのかは知らないが、そんなことを言う東堂さん。
「特別なんですよ、きっと」
のほほんと、上田さんも会話に加わる。
それで納得してしまえる人間ばかりという辺り、この事務所も一般的じゃないよなあ。
「この姿は、どうだろうか?」
エクセリアは手を止めると、所長へそんな質問をした。
「む?」
突然の問いかけに、ちょっと戸惑う所長。
「最高だ! そしておれは幸せ者だ!」
最初に答えたのは、やはりというか東堂さんだった。
初めこそ驚いていた東堂さんだったけど、今じゃもう、完全にエクセリアに参ってしまっている。
確かに美人だけどさ。
「僕もそう思いますよ。素敵です」
にっこり笑顔でそう言う上田さん。
きっと上田さんだって、エクセリアのこんな姿を見るのは初めてだろう。
「そうだな。他のお嬢さん方には申し訳ないが、大したものだ」
所長も絶賛する。
「……私も認めよう。ただしあまり晒すと、馬鹿な男どもがいっぱい集まってきそうだけどな」
「こら茜。世間の男を何だと思ってるんだ」
「ケダモノー♪」
なぜか楽しそうに断言する由羅。
「……だってさ?」
「さて、それにおれは入っていないはずだが」
「当然おれも」
「もちろん僕も」
「あは。じゃあ真斗に決定ー」
「ったく……」
変に反論すると墓穴を掘りそうだったので、黙っておくことにした。
好きにしてくれ。
「……真斗」
「うん?」
エクセリアは未だ手を止めたまま、こっちをじっと見ている。
「まだ、真斗から聞いていない」
聞いてないって……。
ああ、なるほど。
さっきのは俺にも聞いていたわけか。
「最初に言っただろ。美人だって」
そう答えると、エクセリアはほんの一瞬だけ表情を固めて、また食事を再開し始める。
「えー、ちょっと真斗。私には言ってくれないの?」
「何をだよ?」
「だから、その、エクセリアに今言ったみたいに……」
「いや、そういう賛辞の相手は一人にしておくべきだろう。でないと重みが無いし」
「え~、いいじゃない。減るもんじゃないし、ね? ね?」
減るんだよ。
価値がな。
ま、お前らも充分な顔してるけどな。
由羅はもちろん、茜だって楓さんの妹だけに、人目を惹く容姿であることには違いない。
もうちょっと大人になれば、きっともっと良くなるんだろうしな。
とはいえ、俺は二度も三度も言ったりしないのだ。
「だめ」
「なによう……けち」
ぷうと頬を膨らませて、由羅は食事に戻るのだった。
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