終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第98話
/真斗
「何よそれ!」
案の定、由羅は怒った。
朝になり、茜が戻ってくるのを待って、昨夜のことをざっと皆に説明したところで、一番に声を上げたのが由羅だったわけである。
事務所にいるのは、俺と由羅に、黎と茜、そしてイリスと所長である。
「茜、別に何も悪いことしないのに!」
「落ち着けって」
「そんなの無理に決まってるじゃない! ねえイリス!?」
俺がなだめたところで、焼け石に水だったようだ。
一方、ずっと黙したままのイリスは、由羅とは対照的に静かだった。
きっと夜のうちに、茜からだいたいの事情は聞いていたのだろう。
しかしその表情は、明らかにいつもと違う。
そんなイリスが、ぽつりと茜へと尋ねていた。
「わたしの……せい?」
茜が狙われた理由ははっきりしている。
その理由の一つがイリスであることは、間違い無い。
「違う」
茜はきっぱりと否定した。
「私自身の判断の結果だ。イリスは関係ない」
「……うん。でも、茜に何かあったら、わたしは絶対に許さない」
「そんなことにはならない。心配するな」
そう言う茜だったが、イリスのどこか剣呑な様子は変わらない。
怒ってるな……これは。
「しっかしこれからどーするんだ? 茜、お前ももう戻れないだろうし……」
「いいじゃない。ずっとここにいればいいんだから」
それはそれで嬉しいことだと、由羅は言う。
「そんな簡単にすむ問題じゃない」
「ど、どうして?」
「私一人ならばまだいい。しかしここにい続ければ、柴城さんにも迷惑をかけることになる」
まあ……そうだろう。
ここにいればこの事務所に出入りする者も、茜の仲間――異端とされる可能性も出てくる。
そうなれば、色々と困ったことにもなるだろう。
「確かになあ……。あんなとこに異端認定されるのは、おれもちと困る」
「何よ定の馬鹿! いいじゃないそんなの!」
腕組みして困った顔で言う所長に、ぐああと怒る由羅。
うーん、相変わらず無茶なこと言ってるよな、あいつ。
「落ち着きなさい、ユラ」
そんな由羅へと、口を挟んだのは黎だった。
「だ、だって……」
「いいから。それよりも茜、真斗。あなたたちを襲ったのは、本当にアトラ・ハシース?」
「俺にはよくわからんけど、茜はそう言ってるぞ」
「間違いない。マスター・ローレッドのことは私も知っているし、他にもいくらか見た顔があったからな」
「そう……」
茜の言葉に、考え込む黎。
「それにしても妙な話ね。アトラ・ハシースが、そんな多数の人員を一箇所に派遣するなんて」
「そうだな。アトラ・ハシースは少数精鋭。大人数を送り込んだりすることなど、まず無いはずだけど……」
そういえばそうだなと、俺も思った。
茜は由羅を追ってここまで来たわけだけど、誰と組むわけでもなく、あいつは一人でここまでやってきていた。
「ふうむ。しかしそれは、お嬢ちゃん達がいるとわかっていたからじゃないのか?」
イリスと由羅を指して、所長は言う。
確かにどっちも物騒な奴である。
それに茜を含め、万全を期して例外的に、ということかもしれない。
「どうかしら。アトラ・ハシースも馬鹿じゃないわ。どうにかなるような相手ではないのなら、初めから手は出さないと思うけれど」
なるほど。
黎の言うことももっともだ。
「でも……どうにかなるかどうか、そういうのがわかっていなかったら?」
由羅の質問に、黎は微笑する。
「それならば、まず調べようとするはずよ。小数でね。大人数なんて、ありえないわ」
「そっか……」
納得する由羅。
「じゃあ何か? 何か変ってことなのか」
「それはわからないわ……。茜が言うように、確かにその彼らはアトラ・ハシースなのでしょうから」
「ふーむ……」
「とにかくこのままではよくないわ。何か手を打たないと」
「そうだな……」
さすがに沈んだ様子で、茜は頷く。
「やれることは少ないが、そのやれることをやっていくしかないだろう」
その言葉に、視線が所長に集まる。
「というと?」
「大きくは二つだな。一つはこちらから調べる。いったい現状がどうなっているのか、それを正確に掴むことだろう。黎君の話だと、少し妙なところもあるようだしな。もう一つは、相手の出方にうまく対処することだ。昨夜の一件で終わりということはありえない。今後も何らかの接触があるだろう。それを対処しつつ、引き出せるのならば情報も引き出す。つまり用意は怠るなということか」
なるほどな。
ごく当然のことではあるけど、だからこそしっかりやっておかないといけないことでもあるか。
「アトラ・ハシースのことならば、わたしとエルオードとで調べてみるわ」
「ま、適材か」
俺は頷く。
黎は元々アトラ・ハシースを創設した張本人だ。
今でこそ組織から離れてしまい、干渉力も僅かだが、それでも知らない場所ではない。
何より日本にやってくるまでは、ずっとそこにいたのだろうから。
「ならおれは、日本でのアトラ・ハシースの影響を調べてみよう。今回のことに関して、九曜や最遠寺に何らかの干渉があったかもしれんからな」
「じゃあ私は――」
次は自分、とばかりに声を上げた由羅は、茜と俺をきょろきょろと見返して、うーんと悩み込む。
「悩むな。お前は茜についとけ」
「え、でも……?」
「俺のことはいい。まず狙われてるのは茜だからな。俺なんぞは二の次だって」
「けど、少し心配」
「大丈夫だよ。一人で無闇に出歩いたりはしねーから。それに俺にはエク……っと」
エクセリアもいるし、と言おうとして、思わず口を噤む。
イリスを前に、その存在を口外しないで欲しいと、エクセリア自身に強く頼まれていたことを思い出したからだ。
理由はよく分からんけど、とにかくあいつはイリスを避ける。
「とにかく、基本的にはここにいるようにするから問題ないだろ」
「うん……それなら」
こくり、と由羅は頷く。
「んで、イリスは絶対茜だろ?」
「うん」
返ってきたのは、淀み無い返事。
この中にいる面々で、イリスが一番気にしているのは茜だから、当然の反応だ。
「というわけだ。茜、ちゃんと二人と一緒にいろよ?」
「……ふん」
不本意そうに、茜はそっぽを向く。
誰かに守られるなんてことは、あいつの性格からして本当なら願い下げなのだろう。
とはいえ昨日一戦交えて、自分一人ではどうにもならない相手だっていうことは自覚したはずだ。
茜も馬鹿じゃないし、大人しくはしているだろう。
「とりあえずは、こんなところか」
「そうね」
黎も頷く。
「それじゃあ……」
「茜、行くよ?」
話がまとまったところを見計らって、イリスが立ち上がる。
「――ああ。頼む」
茜も続いて立ち上がった。
……どうやらあの二人、事前に何やらこの後の予定を立てていたらしい。
「由羅。貴女も来る?」
「う、うん」
置いていかれてはたまらない、といった感じで、由羅も慌てて二人の元へと歩み寄る。
「ってお前ら、いきなりどこ行くんだ?」
「ちょっとそこまでだ」
ちょっとって……まあ、あいつら二人が傍にいれば、万が一の時でも大丈夫だろうけど。
「一応気をつけろよ? 暗くなるまでには……」
「わかってる。いちいち子供扱いするな」
うるさい、と茜は煙たそうにしながら、二人と事務所から出ていってしまう。
「ったく……。まーた遊びにでも行ったな」
あの三人が一緒に行動する時は、だいたいが遊び歩く時である。
とはいえ、ここで適当にストレス発散でもするのは悪くないかもしれない。
みんなぴりぴりしてたし、連中も真昼間から襲ってきたりはしないだろう。
「ふふ、心配なの?」
いつの間にか隣にやってきていた黎が、悪戯っぽく笑う。
「ああ」
素直に、俺は頷く。
「あいつら三人とも、俺よかずっと強いはずなんだけどさ。それでもどーしてか心配でな」
頭をぽりぽり掻きながら、しみじみそう思う。
本当、何でなのかねえ……?
「それはね。どんなに強くても、みんな幼いからよ」
ふむ。
幼い、ねえ……。
「ユラもイリス様も、とても純粋な反面、まだまだ幼いわ。茜は大人びて見えるけど、それでも真斗より年下。そう見えてしまうのは仕方のないことよ」
「茜にまだガキだとか言ったら、そりゃあもう怒るだろーなあ」
「そうね。目に浮かぶわ」
くわばらくわばら、だ。
とはいえ、黎の言っていることは、ある意味で納得できた。
まだ幼い、か……。
なるほどな。
こういう指摘ができるあたり、さすがは黎ってとこか。
「真斗。あなたはこれからどうするの?」
「そーだなあ……。とりあえず学校だな。授業もあるし」
「真面目なことね」
「まさかな」
こんな事態になったとはいえ、俺としてはこれといってできることもない。
授業をサボってまでするべきこともないし、ここは大人しく大学にでも行っていた方がいいだろう。
ここからも近いし、何かあってもすぐ戻ってこれるしな。
それに何より腹が減ったし。
「目的は学食だよ。腹が減っては何とやら、さ」
「そう。でも気をつけてね。あなたも昨日、茜と一緒にいたのだから」
「――そうだな。黎君の言う通りだ」
話を聞いていた所長が、口を挟んでくる。
「お前も油断はするな。無論、おれらもだがな」
「ああ」
一応、頷いておく。
まあ、大丈夫だとは思うけどな。
学校なんて人の多いところだし、そんな所で騒ぎを起こすほど、非常識な奴らではないだろうし。
とはいえ、所長の言うように警戒しておくに越したことはない、か。
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