終ノ刻印

第93話 準備万端のはずが

終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第93話

     /黎

「おはようございます」
「おう」

 わたしが事務所へと来た時には、定が座っているだけだった。
 しかし室内の空気は暖かい。
 誰かがつい最近までいたのだろう。
 柴城定――この興信所の所長である。

「……真斗は学校に?」
「ああ。たぶん、密会中だろ」

 定は事情を知っているので、あっさりとそんなことを言ってくる。
 ユラやイリス様の前ではとても言えないことだ。

「由羅君やイリス君も、さっきまでいたんだけどな。真斗が学校に行った後、二人して出ていった」

 わたしは首を傾げる。

「つけられた……ということは?」
「大丈夫だろう。真斗も学校に行くとは言ってなかったしな」

 真斗の密会相手といえば、間違いなく茜である。
 内容はこれまで失敗し続けてきた国外脱出のことだろう。

 とはいえ今回はうまくいくはずだ。今まで茜は単独でやろうとして失敗してきたが、今回は真斗やわたし、そして定のバックアップまである。
 ついでにエルオードもいるから、いくらイリス様とはいえ煙にまくことができるはずだ。

「多分、今夜だな」
「そうね」

 わたしは頷く。

「それはともかく、だ。結局アトラ・ハシースの方は大丈夫なのか? 行ったはいいが、茜君に何かあると、いろいろ大変なことになるぞ?」
「でしょうね」

 もし何かあれば、イリス様は決してアトラ・ハシースを許さないだろう。
 わたし自身、あの組織そのものに思い入れは無いが、騒ぎが大きくなることは望まない。

「エルオードにも行かすから、大丈夫だとは思う。わたしよりも、彼の方があそこでは顔も利くしね」
「それならいいんだけれどな。……にしても、あの上田がアトラ・ハシースだったとはなあ。すっかり騙されたぞ」
「一応、人畜無害な顔をしているものね」

 興信所の所員の一人であり、ここで上田と名乗っているエルオードの素性は、すでに定に話してある。
 無論、彼のことだけでなく、ユラやわたし自身のことも。

「けれど、見かけによらないといえば、定だってそうでしょう? 最遠寺の凄腕の咒法士だったと聞いているわ」
「さて何のことだかな」

 わたしの言葉に、定はとぼけてみせた。
 柴城定――こんなところで興信所の所長などをやって、裏では九曜家との繋がりの深い対異端の出先機関をやっているが、元々は最遠寺家に連なる血筋の人間らしい。

「それにしても不思議。あなたなら、わたしが最遠寺を名乗って現れた時に、偽者だとわかっていたはずでしょう? 最遠寺に黎なんていう者はいないと。だというのにどうして受け入れたのかしら」
「別に、百パーセント偽者だとわかっていたわけでもないけどな。あの家も分家は多い。最遠寺の姓を名乗る連中だって、たくさんいるんだ。それにあれは正式な要請だったしな。本家からの。あれは上田の仕事か? だとしたら大したものだが」

 わたしは首を横に振る。

「偽造はしていないわ。あれは確かに正式なものだったはずよ。わたし自身、ここに来る前に、最遠寺本家にも行ったしね」
「ほう? というと、アトラ・ハシースと最遠寺は、元々繋がりがあってそれを利用した……ってことかな?」
「さあ……よくは知らないの。わたしはずっと、組織の運営には興味無かったしね。けれどエルオードがなぜか最遠寺のことを知っていて、ここに来るにあたって奨めてくれたのよ。最遠寺や九曜の名前があれば、何かと便利ということでね」
「ふうむ。しかし……そうすると、ここを奨めたのも上田ってことか」
「ええ。この興信所を奨めたのも彼ね。彼自身、先に所員として潜入して」
「……ふうむ」
「……? どうかしたの?」

 定のどこか思案する様子に、わたしは首を傾げた。

「いや……。別に大したことでもないんだがな。っと、それよりも黎君。コーヒーを一杯お願いできるかな? 上田なんぞに入れてもらうより、ずっとうまい」
「お安い御用よ」

 定の様子に多少引っかかるものは感じたものの、その時はそれ以上は気にしなかった。

     /真斗

 深夜。
 公園にて、俺達は落ち合っていた。

「時間通りだな」
「当たり前だろう」

 身軽な俺とは対照的に、茜はそれなりの荷物を身につけている。
 帰る準備は万端らしい。
 ちなみに俺は、途中まで茜を送り、その後は囮になる予定だ。意味があるかどうかは知らないが、多少の気休めにはなる。

「……確認しておくが、由羅あたりにつけられていないだろうな?」
「大丈夫だろ」

 念には念をということで、一旦茜と大学で別れて以来、自分のマンションには戻っていない。

「それにあいつ、そんな器用なことができる性格じゃないしな。近くにいたら、絶対気づく」

 俺の言葉に、茜は苦笑する。

「確かにな」
「俺よりお前の方はどーなんだよ? 大丈夫なのか?」
「手落ちはない」

 と言い切るが、すでに何度かイリスに掴まっている前科があるのだ。
 いかに茜とはいえ、相手が相手だし、完全に信用するわけにもいかない。

「どうだ?」

 俺は背後へと視線を送って、闇に声をかける。
 返事はあった。

「――周囲に気配はない」

 静かな声が返ってくる。

「……エクセリアか」

 不意に現れた小柄な少女を見て、茜はその名を呼ぶ。
 身長に匹敵するほど髪を長く伸ばしており、その銀髪と紅い瞳が印象的な少女だ。
 名前をエクセリア・ミルセナルディスという。

「いつものこととはいえ、ほとんど背後霊だな」
「そう言うなって。俺はこいつのおかげで命があるんだし、それにけっこう役に立つからな」

 人前にはあまり姿を現さないエクセリアだが、茜はすでにその存在を知っている。
 エクセリアに対して黎はやたらと腰が低いし、由羅はどうしてだか物怖じしているようだったが、茜はというと、いつもの態度を崩してはいない。

「それにいつもかも近くにいるってわけじゃないらしいし」

 俺としても、四六時中張り付かれているのはちょっと困る。
 それで普段は適度に距離をとってもらっていた。

「知覚、ということに関しては、一番信用できるだろ? 探知機代わりに近くにいてもらえれば、安全に行けるって」
「そうでもないが」

 見上げて、エクセリアは言う。

「そうなのか?」
「完全ではない。偽る方法はいくらでもある。それに相手があの死神であるのならば、自身の存在を支配し、この町の有象無象の中に紛れることなど――」

 言いかけたエクセリアの声が、不意に途切れた。
 眉をひそめ、周囲を見渡す。

「……どうしたんだ?」

 エクセリアの様子に、俺が怪訝に思ったところで。

「囲まれている」

 その一言だけを残して、エクセリアの姿は掻き消えてしまった。


 次の話 >>
第94話 ザイン・ローレッド終ノ刻印 第三章 帰する刻印編 第94話 「おい、こら!?」 『私はここにいる。ただ、気をつけた方がいい。あまりいい感情は感じない』...

 目次に戻る >>
終ノ刻印【Thousand Testament Ⅹ】 『終ノ刻印』とはたれたれをによる小説作品。  『Thousand Testament』シリーズの一つ。エピソードⅩに当たる。 ...