終ノ刻印 第二章 最強の王編 第83話
◇
結界内の校内は、それこそ何の音もしなかった。
風すら、消えている。
雨さえも、届かないようだった。
「来たわね」
涼しげな声が、響く。
校内にあるベンチに腰掛けていた人影が動き、こちらへと振り返った。
間違い無く、あの時俺とエクセリアの前に現れた少女だ。
そして値踏みするように、こちらを眺めやる。
「三人、か。別に真斗だけで良かったのにね」
「そっちの都合なんざ知るか。由羅は?」
「そんなにあの子が大事?」
アルティージェが小首を傾げる。
「お前こそ、何のつもりでこんなことをしてやがる」
「あなたこそ。あの子が大事なら、どうして黎を殺さなかったの? 由羅を、自由にしてあげなかったの?」
「そーいうのを、手前勝手な意見って言うんだよ」
そう言ってやれば、アルティージェはくすりと笑ってみせた。
「そうかもね」
いとも簡単に、認める。
「――それで? どうするつもりなのかしら」
「由羅を返してもらう。それだけだ」
「ふうん……。だったらあなたがこっちに来ればいいじゃない。由羅もそれを望んでいるし、ちょうどいいわ」
「馬鹿言え。あいつを掻っ攫っておいて、黎や茜にあんなことをして、よくそんなことを言えるな」
「死にはしなかったでしょ? ならいいじゃない」
楽しげに、そう言い返してくる。
ち……こいつは……!
「挑発に乗っては駄目よ」
冷静に、黎が制する。
そんな黎を、アルティージェは目を細めて見返した。
「昨日の今日にしては、元気そうね? エクセリアに治してもらったの?」
「ユラを返しなさい。アルティージェ」
「……不愉快。勝手に人の名前を呼ばないでくれる?」
「知らないわそんなこと。仕掛けてきたのはあなたよ」
「無礼者。相変わらず、身の程を知らないようね」
ぞわりとした殺気が、滲み出す。
「いいわ……。返して欲しくば奪ってみるのね。――由羅」
空に向かって、アルティージェは呼びかけた。
それに応えるように、屋上から何かが飛び降りてくる。
金色の髪が舞った。
由羅は危なげなく着地し、アルティージェの横へと並ぶ。
「エクセリアまでいるんだもの。一人ではきついものね?」
少しもそうは思っていない口調で言う。
そして、由羅を前へと促した。
「由羅……!」
間違いなく、由羅だった。
しかしその表情に、いつもの感情は全く浮かんではいない。
ただ冷たく、こちらを見返している。
「ほら。由羅ならここにいるわ。好きにしてはどう?」
……できるわけがない。
由羅の様子から察するに、黎が言っていたように、アルティージェに支配されてしまっているのだろう。
このままでは、意味が無い。
何としても、刻印を。
「……真斗」
小声で、黎がささやいてくる。
「わたしがあの子の相手をするわ。刻印をさらけ出して、チャンスを作ってみせる。――その間、あなたはアルティージェを」
役割は決まっている。
「……ああ」
俺の返事を聞いて、黎は手にしていたものを差し出してきた。
氷の剣――アルレシアルとかいったか。
「あなたの銃よりは、役に立つわ。一応、悪魔の造りし魔剣には違いないから」
「けど、お前」
「……いいの。わたしはあの子を殺さない。ならば、こんなものはもういらないでしょう?」
そう……だけど。
「信じて」
もう、頷くしかない。
「……わかった。こっちは任せろ」
黎が微笑む。
その表情は、これまで由羅を相手にしてきた時とは明らかに違う。
信じられた。
「――どうしたの? こそこそして」
焦れたように、アルティージェが唇を尖らす。
それを見返しながら、俺は背後へと言った。
「――エクセリア。これからしばらくの間だけでいい。俺だけを見ていてくれ。他の、全てを無視してでも、俺だけを」
エクセリアの認識力を一身に受ける。
そんなことをして、どこまで俺がもつかは分からない。
肉体そのものは強化されて、問題無い。しかし、精神は別だ。あいつの存在力を受け入れるだけの許容量が、俺にはあるかどうか。
……これは、かなり危険なドーピングだ。
それでも……やるしかない。
無言で、エクセリアは頷く。
それをきっかけにして、心臓の鼓動が高まっていく。
「もう……。来ないのなら、こっちから行ってあげて。由羅」
その言葉が、開始。
由羅が地を蹴る。
黎が動く。
そして俺も、アルティージェへと向かった。
◇
由羅をすり抜け、目指すは一人。
かわされたことに由羅がこちらに注意を向けたが、それを黎が遮る。
これで、後顧に憂いはない。
まずはこいつを――黙らす!
アルティージェは動かず、こちらを見つめている。
どこまでも、余裕のある態度。
構わず、俺は剣を振り下ろした。
耳をつんざ劈くような空気の悲鳴。
「ち……!」
案の序、刃はアルティージェに届いてはいない。
その目前で、何も無い空間に遮られてしまっている。
強力な、防壁。
こちらを見るアルティージェの瞳が、その程度? と笑っているように見えた。
――力を込める。
借り物の力を、一気に叩き込む。
「くそったれ!」
「!」
アルティージェが後方へと跳んだ。
同時に、ガラスが砕けるような音と共に、障壁が弾け飛ぶ。
「ふうん? さすがね。ずいぶんエクセリアも素直になったこと」
皮肉げにそう言い、その手にいつか見た槍剣を現す。
「降魔九天の剣……。お父様がお創りになったものの中で、一番のお気に入り。たまには血を吸わせてあげないとね?」
その物々しい剣は、それだけで殺気を帯びている。
しかし恐れはしない。
こっちの一振りも、悪魔の怨念たっぷりの、いわくつきの一振りだ。
負けてなどいない。
迷わず、打ち据えた。
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