終ノ刻印 第二章 最強の王編 第63話
◇
まず放たれる一撃。
氷の剣の刃が、空を切る。
その剣の脅威を充分に理解しているからか、由羅は受けようともせず、黎からの攻撃をかわし、間合いを取りつつ地面を駆けていく。
それを追う黎。
黎の一方的な攻撃に対し、由羅は後手後手に回り、反撃の機会を掴みかねているかのように、見える。
一見不利に見える由羅だったが、それだけが全てではないようにも思えた。
冷静に闘っている。
少なくとも俺は、そう感じた。
あいつの表情に真剣そのもので余裕など見えなかったが、焦りも見えない。
何かを狙っている。
俺がそれを察するよりも早く、黎は気づいていたようだった。
ブンッ! と剣が舞い、しかしそれが捉えたのは僅かな髪の毛のみ。
さらさらと毛が風に飛ばされる向こうで、由羅が地面に着地する。
再び、二人の間に距離が生まれる。
「ふん、らしくないわね」
面白くもなさそうに、黎は言う。
「持久戦とは」
「…………」
黎の指摘に、由羅は何も答えない。
しかし当たっているのだろう。
「まあ間違っているとは言わないわ。お互い深手を負ったのだもの。けれどあなたに比べ、わたしはそこまで回復していない。元々体力勝負では、あなたのような化物には敵うはずもないのだから」
由羅の奴がどこまで回復しているのかは分からないが、体力という点では黎の方が分は悪いのだろう。
だからこそ、改めて俺に協力を求めてきたのだから。
「……私はジュリィほど、強くないもの」
「そうね。技術ではあなたはわたしに敵わない。例えあなたの方が力があっても、当たらなければ意味はないものね」
「…………」
「だからわたしの疲れを誘う持久戦は、悪くないわ。疲れれば、わたしも鈍る。けれどこれじゃあ……つまらない。これも、彼女の入れ知恵?」
どこか嘲るように言われ、由羅はキッと睨み返した。
「……私は負けないもの! 確実な方法があるのなら、どんなに大変でもやってみせる!」
「ふん、それはどうかしらね? 確かに悪くはないとはいえ、それが確実というわけでもないでしょう? わたしの手数はあなたに比べるべくもないわ。その全てをかわし、あるいは受けきることができるのかしら。――それに」
すっと、黎は剣先を由羅の左手へと定めた。
「片手が使えなさそうだけど、大丈夫かしらね?」
そう言われ、由羅は思わず左手を庇うように、右手で押さえる。
図星なのだろう。
例の刻印が原因なのか何なのか、確かに由羅は左手を庇っているように――使わないようにしていた。
「……ジュリィなんて、片腕で充分だもの」
「よく言うわ……。逃げ回ることしかできないくせに!」
再び始まる両者の闘いを視界に入れつつ、俺は少しずつその場を後ずさった。
持久戦ならば、それはそれで好都合だ。
そう思いながら。
俺は戦場を後にした。
◇
二人のいる場所より少し距離を置いたところで、俺は足を止めた。
すでに太陽は沈んでしまっており、周囲は暗く、不気味なほどに静かだ。
「おい。話があるから出て来い」
俺はまず、どこにともなくそう言い放った。
「どうせどっか近くで高みの見物してるんだろ。エクセリア……って言ったっけか」
それだけ言ってから、俺はその場に座り込む。
……黎と由羅をけしかけたとはいえ、別段本当に二人が決着をつけるのを望んでいるわけではなかった。
ただし、俺がどう足掻いたところでどうにかできる可能性も低い。
だったらと、俺は考えた。
そこで思い出したのが、エクセリアとかいう奴だ。
あの二人とは因縁があり、黎へと協力しているらしく、しかも俺を生かしているとかいう……。
昨日会ったが、わけの分からんことを一方的にだけ言って、消えてしまった。
ともあれ、そいつがあっさり出てくるかどうかは賭けだった。
俺はあいつがどんな奴なのか知らない。
そんな奴が、ここで成り行きを見守っているかどうかなど知る由もなかったし、更に俺に応えて姿を現すかなど、分かるわけも無かった。
それでも、もう俺にはそいつしか糸口を見出すことはできていない。
ここで現れなかったら……全て終わりだろう。
◇
――どれくらい、待っただろうか。
そんなに長くはなかったと思う。
せいぜい一、二分ほど。
それでも俺には、何時間も待っていたような気がした。
それだけに緊張していた証拠だろうか。
「よう」
目の前に、何の脈絡も無く現れたそいつに向かって、俺は軽く声をかけた。
そいつはただ無表情で、何を考えてこっちを見ているのか、少しも分かりはしない。
「私を呼んだのか?」
冷たい声が響く。
相変わらず、気圧されそうになる雰囲気。
「ああ。会いたかった」
そう答えると、そいつ――エクセリアは、僅かに顎を引いて顔を傾けさせる。
どうやらその理由を求めているらしい。
「話したいことがある。色々な。昨日会った時に話せれば良かったんだけど、お前あっさり消えちまったからな」
「……昨日?」
俺の言葉を不審に思ったかのように、エクセリアは微かに表情を変える。
「私が、そなたに?」
「夜に由羅のマンションの前で会っただろ? 人のことをじろじろ見回すだけ見回して、どっか行っちまっただろうが」
そう答えながら、俺も引っかかるものを感じた。
印象が違う。
昨日の奴と、今目の前にいる奴とでは。
そういや昨日も印象が違うって……。でも一昨日と今日のとでは、同じに思える。
「……その者は、何かそなたに語ったのか?」
「その者って、お前なんだけどな」
見間違うなんてことは無い。どう見ても、容姿は同じだ。
「何も言わなかったのか?」
俺の言葉など無視するかのように、エクセリアは質問を繰り返す。
「言ってた……と思うぞ。いい機会だとか、自分に応えろとか……」
「…………」
エクセリアはしばし考え込むかのように視線を逸らしていたが、やがて視線を戻してきた。
「それで、話したいこととは?」
「決まってるだろ。今あっちでやらかしてる……あの二人のことだよ」
「…………。それについては、私も聞きたい」
すっと、こちらを見据えてエクセリアは言う。
「なぜ、そなたはジュリィを選ぼうとしない。この期に及んで、未だにユラスティーグに意識を傾けるのは、何故だ?」
それはまるで、糾弾でもされているようだった。
「不満、なのか?」
「不満?」
「ああ。お前は黎に協力してるんだろう? でもって、俺が生きてられるのもお前のおかげらしいな。――だっていうのに、俺は全面的に黎に協力していない。今この瞬間だって。だから不満……なんじゃないのか?」
そう言ってやると、エクセリアは戸惑ったような表情を浮かべる。
「不満に……思っているのだろうか、私は。そなたには、そう見えるのか?」
「さてな。けど多分、今の俺と似たような顔してるんだと思うぜ」
「そなたにも、不満があると?」
「無いわけないだろ」
思わず苦笑いして、俺は頷く。
あいつら二人のこともそうだし、自分自身の生死についてだって。
「……そなたはユラスティーグに殺されている。生きているように見えるが、それも私がそう認識しているからに過ぎない。だが記憶は全て戻ったはずだ。私が考える人間の感情というものでは、自分を殺そうとする相手に対して、普通好感は抱かぬものではないのか?」
「だから俺が由羅のことを気にする理由がわからない、か?」
エクセリアは頷く。
本当にそう思っているのだろう。
そんなエクセリアへと、俺は答える。
「普通はそうだろ。ただ俺の場合、順番が入れ代わったせいで、そんなふうに単純にはいかなくなったんだよ」
多分、それが頭を悩ませてくれた原因。
「順番……?」
「ああ。俺、記憶無くしてただろ? あいつに殺された時の。だから今の俺にとって初めてあいつにあったのはあの夜じゃなくて、次の日の朝ってわけだ。しかもその後俺は何も知らずにあいつのことをかまってたからな……。そんなことしてるうちに、そこそこあいつのことを気に入ってしまったんだろうさ。だからその後に記憶が戻っても――まあ何だ。そういうことになったんだよ」
俺は軽く肩をすくめて言ってやる。
「…………そうか。原因は、私自身か」
目を伏せて、エクセリアはぽつりとつぶやいた。
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