終ノ刻印 第二章 最強の王編 第61話
「それはユラのことを、という意味?」
「それもあるけどな。今聞きたいのはその先のことだよ。もし、お前の目的通りあいつをどうにかして……その後は」
こいつが今まで生きてきた理由は、由羅への私怨だ。
それだけのために、馬鹿みたいに長い年月を生きてきた。
ならば、それを果たしてしまったら、黎はどうするのだろうか。
「なるようになるだけでしょう」
あっさりと、黎は答える。
「どういうことだよ?」
「だから、なりゆきのままに。あの子が死ねば……もしくはわたしが想いを果たせたと感じ、納得してしまったら。恐らく、生きてはいられない」
死ぬ、と。
それが何でもないことのように、黎は言った。
そのせいか、俺も冷静に受け止めてしまう。
あまりに実感を覚えなかったからか。
「満足したから、もう死ぬってか?」
黎は首を横に振る。
「そう思ってもらっても構わないけれど、そこにわたしの意思は関係ないの。もっと、必然的なことだから」
「だから――」
「どういうことなのか、と言うのでしょ?」
黎は微笑する。
「真斗。人はね、長くは生きられないものなの」
「普通はな」
俺は頷いたが、そうでないやつだっているのだ。
あくまで今までの話を信じるのならば、だけど、由羅や今目の前にいる黎だって、生まれはずっとずっと昔である。しかも、千年単位の。
「せいぜい二百年。少なくともそれが、人間として生まれてきた存在の限界だと、わたしは今まで見てきて悟ったわ」
「二百年……?」
その数字は、俺から見ればもちろん長いものだが、黎たちからみれば決して長くはない。むしろ、短すぎる。
「たとえ肉体的には老いることがなくても、老いるものはあるの。ここがね」
右手で自分の胸を指す黎。
「心……精神。これはどんなに肉体が若々しくても、どうしても時間と共に老化していってしまうわ。だからまず心が、存在していられなくなる」
「そういうものなのか?」
「そうだと思う。今まで見てきてね」
俺は頭を掻いて、素朴な疑問を口にした。
「じゃあ何で……お前や由羅は、生きてられるんだ?」
「確かにわたしもユラも、人間であったことには違いないわ。けれどあの子は生まれ変わっている。千年ドラゴンというものにね」
「そうなると、大丈夫……っていうことか」
「違うわ。逆よ」
否定されて、俺は顔をしかめる。
「ああなって、肉体的には信じられないほどに強靭なものとはなった。けれど、精神的にはその逆。人間であった頃より、遥かに脆弱になったのよ」
「そう……なのか?」
「ええ。言ったでしょう? あの子は今、何かに依存しなければ己を保てないわ。しかもその相手は、自分を支配できるほどの強い存在でなければならない。自分の精神を、誰かに守ってもらわなければならないほどに、自身は弱いのよ」
また、黎が笑う。哀れむように。
「もしそれができなければ、あっという間に心は乱れ、精神は崩壊する。それを何とか防ごうとするために防衛本能が働くけれど、それは他者――主に弱者を嬲り、殺すことで、自身の存在を強いものであると認識させ、また自分もそうして、己を保つというもの。けれどそんな殺戮程度では、長くはもちはしない。徐々に壊れていくことになる。かつてのユラがそうだったように」
「でも、あいつは今も生きてるだろ?」
それに初めて出会った時のあいつは、確かに普通ではなかったが、それでもそこまで常軌を逸しているようには見えなかった。
壊れかけた人間――にはとても見えない。
「それはあの子が完全に壊れてしまう前に、レネスティア様に支配されてしまったからよ」
「誰だよそれ?」
「魔王の契約者。三人目の魔王であるクリーンセスの時、ユラは目覚め、そしてクリーンセスを殺してしまったの。そのせいでユラはレネスティア様の怒りを買い、二百年もの間、あの方に苦しめられることになったわ。けれど皮肉なことに、その二百年の間自分以上の存在者に縛られ続けたことで、崩壊寸前までいっていたユラの精神は回復してしまったのよ。そして封印されて――目覚めて。あなたと出会った時のあの子は、まだその症状が軽度だったということね……」
話の詳しいことは分からなかったが、初めて会った時のあいつは、まだマシな状態だったというわけか。
もっともそのマシな状態の時ですら、俺はきっちり殺されてしまったけどな。
「まあ……あいつのことはわかったけど、じゃあお前はどうなんだ?」
話を聞く限り、黎は千年ドラゴンではない。
けれど実際、今まで生きている。
「わたしはね、そのレネスティア様に縋って、何とか肉体的な不老を得ることはできた。けれど精神は人間の時のまま……。言ったように、長くはもちはしない。老い過ぎた精神は生きることをやめようとする。それに抗えば、狂ってしまう……。それを防ぐには、精神を老いないようにするか、もしくは何かに依存して心を保護するしかないわ。わたしは二つとも実践したの」
「どうやって」
「一番簡単なのは、思考をゼロにすること。眠ることね。長時間、封印に近い形で身を凍結させるの。けれどずっと眠っているわけにはいかない……。わたしの体力が無限ではない以上、補う必要があったから。それに、眠っている間にユラを……見失わないためにも」
俺にはピンとこないが、よくSFなどに出てくる冷凍睡眠……みたいなものだろうか。
代謝を低下させて、長時間の宇宙旅行に耐えれるようにする技術、のような。
ともあれ黎の話からすると、あまり活用はできなかったらしいけど。
「……だから、どうしても徐々にわたしの精神は老いていったわ。だから、それを回復させる方法も試してみたの」
老いた精神を回復させる方法?
そんなことが可能なのあろうか。
というか俺には、精神が老いる、ということ自体がいまひとつ分からないが、それはまだ二十年も生きていないからだろう。
「無理やりね、精神を幼児化させるのよ」
「そんなことができるのか?」
俺は驚いて、聞き返す。
「だから無理やりなの。精神は磨耗しないから、元に戻すことができれば、時間を稼ぐことはできるのよ」
「だからどうやって?」
「方法としては、他者との接触を避けて、一人になること。長期間外部からの干渉がなく、孤独でいれば、精神の成長は停滞……もしくは逆行する。幼いものへとね」
そういうことってあるものなんだろうか。
分からないが、それでもそんな方法をわざとやるのだとしたら、ひどく危険なことのような気がした。
「……こんなことを言うのは不敬なのかもしれないけれど、エクセリア様やレネスティア様は、外面とは裏腹に、きっと未だ幼い精神を持ち続けているのだと思う。だから、いつまでたっても純粋で無垢。羨むほどにね」
「……それはそれとして、そんなことしてお前は大丈夫だったのか?」
「まさか」
首を横に振る、黎。
「狂いそうになら、何度もなったわ。けれど狂ってしまうわけにはいかなかったし、狂うこともなかった。目的があったから。そして目的そのものに、依存して精神の安定を得ていたから」
「目的そのもの……?」
それは、もしかして――
「笑ってくれても結構よ。わたしはね、間違いなくユラに依存してしまっているわ」
そう告白する黎は、笑ってはいなかった。
ただただ、哀しげに。
「だからきっと、今まで生きてこれたのだと思う。でも……それならばわかるでしょう?」
逆に聞かれ、俺は考えて。
……何となく、理解する。
「あいつを殺しても、諦めても……結果は同じということか」
「ええ」
「…………」
つまり、こういうことだろう。
もし由羅を殺すことができれば、今まで依存していたものがなくなってしまうということ。
そうなれば、精神の老いから黎は遅からず死ぬことになる。
一方で、もし由羅への復讐を諦めたとしても。
諦めた瞬間から、あいつに依存できなくなってしまう。諦めるということは、依存することすらやめてしまうということなのだから。
そうなれば、結果は同じ……。
「必然っていうのは、そういうことか」
「そうよ」
黎は、頷く。
「ったく……」
俺は構わず大きくため息をついた。
「救いようがないな」
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