終ノ刻印 第二章 最強の王編 第55話
/真斗
いつもと変わらない授業。
その講義をぼんやりと聞きながら、俺は内心溜息をついていた。
ちらりと横を見れば、さも当然のように黎の姿があったりする。
「……面白いか?」
小声でちょっと聞いてみる。
「そうね……どうかしら」
曖昧な返事。
まあ授業なんて、よほど興味でもない限り、そんなに面白いものでもない。ましてや部外者からすれば、尚更だろう。
「そういう真斗は?」
「別に」
俺だって、好き好んで授業を受けに来たわけじゃない。
ただの気分転換のつもりなのだ。
何かこう、日常から離れていくような気がして、思わずしがみ付きたくなった……というのが本音かもしれない。
ふう、と溜息をつく。
さてどうしたもんかと、俺はぼんやりと考えた。
由羅のこと。黎のこと。それに俺のこと……。
――特に、俺自身のこと。
俺は今、自分の命の人質に取られているようなものだ。いまひとつ実感は湧きにくいが、気になる程度には自覚がある。
じゃあもし自分の存在がしっかりしていれば、どうしただろうか。
黎ではなく、あいつの方をもっと気にかけていただろうか。
――たぶん、そうだろう。
俺はきっと、あいつのことを今すぐにでも捜しに行っていたはずだ。
あいつはとんでもなく強いのかもしれないが、どうしてだか心配に思ってしまう部分がある。
いや……部分というより、全面的にか。
思わず笑ってしまう。
あいつは何だか放っておけない――そう思ってしまうのは、事実。
それならどうして俺はこんな所にいる?
あいつの敵である黎なんかを傍にいさせている?
自分の命が人質になっているからか?
……それは、確かに一つの理由だ。
じゃあ他にも理由があるのだろうか。
「……わっかんねえ」
頭を抱えたくなる。
「どうしたの?」
難しい顔をしている俺に気づいて、声をかけてくる黎。
考え込んでるのは、一重にお前らのせいなんだけどな。
かといってそれをここで告白したところで、どうにもなるわけないし。
俺は適当にはぐらかすことにした。
「そういやさと思ってな。さっき聞きそびれたんだけど、結局上田さんって何者なんだ?」
適当に振った話題は、実はそれなりに気になっていたことでもある。
昨日の夜、あの時に現れたのは上田さんだった。
あれはどう見ても、気を利かせて助けに来た――という感じでは無かったと思う。
恐らく、黎と何らかな繋がりがある。
「察しの通り。彼は、わたしの協力者――のようなものよ」
「協力者?」
「ええ。今から千年以上前のことだけどね」
……どうも黎の話す昔話というのは、世間一般とその尺度が違うらしい。
千年以上、ってなあ……またかい。
「彼は彼なりの事情があって、わたしに助力を求めたことがあったの。わたしはそれに応えてあげて、その見返りのような形で、今までずっとわたしに仕えてくれているわ」
「仕えているのに、協力者、なのか?」
そういうのは普通、部下とか何とか言わないだろうか。
協力者というのは、対等な相手に使う言葉だと思うのだが……。
「見た目の事実と真実とは違うということよ。一応、彼はわたしの臣下のように今まで仕えてきたけれど、それが全てじゃない。あくまで便宜上だと、わたしは判断してるわ。だから」
だから、ねえ……。
どうやらそれなりに複雑な事情があるらしい。
「まあともかく要するに……上田さんも結局、お前みたいに偽名使ってて、この国に紛れ込んでる奴……ってことなのか?」
「そうなるわ」
「何だかなあ……」
所長のやつ、それを分かってて雇ったんだろーか。
そんなわけないだろうな……。
とは言えこんな得体の知れない奴を二人も雇う前に、しっかり身元確認して欲しいもんだ。一応探偵なんだし。
「ふーん……。ともあれ一応、上田さんはお前の味方ってことか。そんじゃあさ、昨日もう一人出てきただろ? あいつを……さらってった奴」
心当たりは無いのかと、聞いてみる。
黎は首を横に振った。
「それはわからないの。まさか第三者が関わってくるとは思わなかったから」
俺はさりげなく黎を見返しながら、その表情を観察してみる。
本当のことを言っているかどうかは分からないが、少なくとも表情からは、嘘を言っているようには見えなかった。
俺の観察なんぞ、大して役にも立たんだろうけど。
「ってことは、お前らにとっても予想外のことってわけか」
「そう……なるわね」
「何か余計に厄介なことになっていってるって感じだよな……」
そう簡単には解決してくれなさそうな気がして、気が重くなる。
それでも……やることは変わらない。
由羅を見つけ出して、もう一度確認する。
あいつの、意思を。
「真斗」
ぽつりと、黎が聞いてくる。
「ん?」
「後悔してる?」
「は?」
「いえ……後悔という言葉は、あまり適当じゃないわね。こんなことになって……わたしなんかに付き合わされて。嫌だとは……思わないの?」
嫌、か。
「どうかな」
俺は肩をすくめてみせる。
「本心から歓迎できる事態ではないのは確かだけどな。正直言って不安だし、厄介なことに巻き込まれてるっていう自覚もある」
「それなら……」
「お前さ」
思わず、俺は口を挟んだ。
「どうしてそんなこと気にするんだ? 一応、俺の命を人質に取ってるよーなやつが、人質の心証気にしてどうするんだよ」
そう言ってやると、
「……それもそうね」
少々自嘲気味に、黎は頷いた。
その表情を見ていると、意地悪なことを言って苛めてしまったように思えて、なぜだか罪悪感を覚えてしまう。
にしてもこいつ、普段は毅然としてとても大人っぽいのに、どうしてこんな表情するんだか……。
「……こんなことを言っても仕方無いけど、わたしは不器用だから」
「とてもそう見えねえけど」
「普段の努力の結果、ということかしらね、それは。でもそれは背伸び。爪先だけで立ち続けるというのは、やはり疲れるわ……」
いきなり何なんだと思いながらも、俺はとりあえず聞いてみる。
「何が背伸びなんだよ?」
「わたしぶることが、かしら」
「はあ?」
よくわからんぞ。おい。
「幸せだった頃からの話よ。わたしはわたしよりずっと凄いひとたちを相手に、姉でい続けなければならなかった。本当はただの妹でいたかったけれど、できなかった。肩肘張って、努力して。不器用なのに、器用なふりをして」
ほとんど独白のようになっていた自分に気づいてか、黎は苦笑する。
「ごめんなさい。つまらない言い訳なんて聞かせて」
「……言い訳だったのか? 今の」
「ええ。そんなところ」
そんなところって……言われてもなあ。
やっぱりよくわからん。
ただ。
もう一度黎がつぶやいた言葉は、どこか印象的に残った。
自分は、ただの妹でいたかったと――その言葉は。
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