終ノ刻印 第二章 最強の王編 第54話
「さて……と」
俺は時計を見ると、最遠寺へと口を開く。
「俺、そろそろ授業なんだけど、ちょっと学校行ってきていいか?」
「学校?」
わずかにきょとん、となる最遠寺。
「そう……そういえば桐生くんは、学生だったものね」
「そーだよ」
「休んではくれないの?」
「…………」
授業、サボれってかい。
「そりゃあお前がサボれって言うんだったら、いくらでもサボるけどさ」
休むことに対して抵抗は無いが、ここにいたからってそうそう話が進むとは思えない。
由羅だって、いきなり昼間に襲撃してこないだろうし。
けどまあ、ちょっとした気分転換には、授業をぼんやりと聞いてるのも悪くないと思った程度だから、どうってことでもないけど。
「……そうね」
何を思ったのか、最遠寺はしばし考え込んだ後、俺へと視線を戻した。
「休まなくていいわ。わたしも付き合うから」
ほう。
「付き合うって、あれか? 学校にくっついてくるってのか?」
「ええそう。せっかくこの国に来たのだから、その文化に触れておくのも悪くないでしょう? ちょうどいいわ」
「この国って……」
どういう意味だと怪訝に思った俺だったが、すぐに思い直す。
「……そういやお前って、日本人じゃなかったんだよな。いまひとつ実感無いけど」
名前も偽名だったっけか。
「最遠寺、っていう名前もにせものなんだよな。やっぱり本名で呼んだ方がいいのか?」
聞いてみるが、最遠寺は首を横に振る。
「せっかくつけた名なのだから、そのままで構わないわ。それに、この国のあなたにとっては、その方が呼びやすいでしょうし」
そりゃまあ確かに。
「でも……そうね。どうせだから、名前の方で呼んで欲しいわ」
「? どういうことだ?」
「だから。黎、と呼んで欲しいの。九曜さんにそう呼ばれて、仮の名前とはいえ良い響きに聞こえたから」
ああ、なるほど。
「別にかまわんけど」
「それと」
もう一つ、と最遠寺――黎は付け加える。
「真斗って、呼んではだめかしら?」
「む?」
「白状すれば、ちょっとした妬み。ユラですらそう呼んでいるのに、パートナーを相手に他人行儀というのもつまらないわ」
「パートナーって……」
そういや最初、そんなこと言ってたよな。
けど妬みってなあ……。
「別にいいけどさ。由羅のやつなんて、いきなり俺のこと真斗って呼んでたしな。ていうかあいつ、桐生って名前の方は知らないんじゃねえの」
「そう……。ではそうさせてもらうわ」
「ああ」
頷くと、俺は立ち上がった。
「で、俺行くけど……来るのか?」
「ええ」
あっさりと、黎は頷く。
「俺は一回部屋戻ってから行くから、ちょっと待ってくれるか?」
「そうするわ」
「そんじゃ、後で」
もう一度黎が頷いたのを確認して、俺達はいったん別れた。
/黎
「エルオード」
真斗の姿が見えなくなってから、わたしは誰にともなく声をかけた。
「ここに」
当然のように、返事が返ってくる。
「そういうわけだから。あなたはユラの行方を追って」
「……ジュリィは大丈夫なので?」
「き……真斗がいるわ」
そう答えるわたしの後ろに、音も無くエルオードは姿を現していた。
ここでは上田と名乗っているが、本名はエルオードという。
わたしに先立って、この国に来ていた者である。
……そういえば、真斗は昨日、エルオードのことを見たはず。何も聞かなかったのは、単に忘れていただけだろうけど、近いうちに彼のことを説明しておいた方がいいだろう。
もっとも真斗は、まだわたしのことについて半信半疑のようだから、説明したところで信じてもらえるかどうかは分からないけど。
「真斗くんですか」
少々意味ありげに、エルオードはそう洩らす。
まあ……何が言いたいのか、分からないわけじゃない。
「心配なの?」
「彼は全面的にあなたに協力すると、一言も言っていませんからね。敵となる可能性も」
「あるわね」
確かに、それはある。
彼はきっと、一歩でも身を引いた方の味方になるだろう。
わたしかユラか、彼の意思に少しでも添う形で妥協した方に。
「ユラにつくかもしれない。いえ……昨日は実際、そうなりかけていたわ」
そうさせないためには、どうすればいいか。
一つは真斗の命――存在。
九曜さんも言っていたように、彼の存在そのものが、今は人質になっている。ユラにつくことでの身の危険は、嫌でも自覚しているだろう。
一度エクセリア様に会っていたせいか、意外に冷静だったけれど。
でも彼を代弁するかのように、九曜さんが怒っていた。まるで、我が身のことのように。
きっと……少なくとも彼女は味方にはならない。
下手をすれば、敵になる、か……。
「ユラを孤立させるには、あの子を感情的にさせること」
それが、もう一つの方法。
わたしを殺すよう挑発し、そう仕向ける。
昨日の挑発は、てきめん覿面だった。
「いっそのこと千年前のように暴れてくれれば、都合がいいのにね」
そうなれば、真斗にとっての完全な敵に――なったでしょうに。
「孤立、ですか」
何か引っかかったかのように、エルオードがつぶやき洩らす。
「なに?」
「確かにジュリィの言う通りですが……。彼女は今、恐らく一人ではないはず。昨夜のこと、覚えていないわけではないでしょう?」
言われて。
今更のように思い出す。
「……そうだったわね」
昨日、あの子を助けた者がいる。
全く予想外の、第三者の介入だった。
「ジュリィに心当たりは?」
「いえ……ないわ。あなたは?」
あの時は、わたしも傷の痛みと夜の闇のせいで、はっきりと相手を認識することはできなかった。
ユラを救った、あの男を。
「直接の面識はありませんけれどね」
しかしそう言うエルオードは、相手のことを知っているようだった。
そして、その口調には珍しく感情がこもっている。
「彼の名は、ブライゼン。覚えていませんか? かつて、彼によって異端が蜂起したことを」
ブライゼン……。
「……覚えてるわ」
確かに千年前に、その名を冠した異端裁定があった。
その異端裁定そのものに、わたしは関与などしていない。けれどそれが原因となったことで、その後わたしはあの子を――手に入れることができたのだ。
だから、覚えていた。
「でも」
わたしは首を傾げる。
「彼はあの異端裁定で、死神のあの方に殺されたのではなかったの?」
「おっしゃる通り、あの後彼の姿を見た者はいません。いません、が」
そこで、エルオードは苦笑した。
「噂というものは、どこからともなく耳に届くものでして。どうやら彼は、ある方の近くにあると」
ある方……。
エルオードはいつも礼儀正しく振舞ってはいるが、彼が敬意を示す相手というのは限られている。
残念――というわけではないが、それはわたしではない。
「まさか」
「ええ。もしかすると、あの方の介入があったのかもしれませんね」
「なぜ」
「さて……。ともあれ、今はジュリィの体力の回復を優先させるべきだと思いますよ。単に、彼女一人を相手にするだけではすまないかもしれませんから」
「……そうね」
今は、頷くしかない。
「今夜あたりにも、また。僕の方でも探ってみますので、ジュリィは気をつけておいて下さいね」
「……ええ。そうするわ」
答えながら、ふと思う。
「――エルオード」
「はい?」
いつもの、返事。
「……いえ、何でもないわ」
思い直して、わたしは聞くのをやめた。
それは、とても重要な質問のはずだったけど。
「では、また後で」
そう答えて、エルオードは姿を消す。
わたしは一つ、溜息をついた。
――もしそうならば、あなたはわたしの味方でいられるのか。
今は、聞けなかった。
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