終ノ刻印 第一章 血染めの千年ドラゴン編 第40話
「そなたにあの時の記憶を与えなかったのは、いくつか理由がある。しかしもっとも大きな理由は、その記憶にはそなたの死があるからだ。その瞬間の記憶のせいで、精神に支障をきたすのではないかと危惧した」
「……死? 俺は確かにやばかったのかもしれねえけど、それは最遠寺が助けたって……」
「死んだ者を、同じ形として蘇らせることは……あるいは可能なのかもしれないが、できる者を私は知らない。ジュリィ・ミルセナルディスとて同じこと……。そなたはすでに死んでいる」
な……。
いきなり、何を。
「馬鹿言うなよ。俺は現に」
「深く考えなくていい。ただそなたは確かに一度死んでいる。今から与える記憶には、その一部始終のものだ。多少は覚悟をしておいた方がよいだろう」
「……ああ」
正直理解できないことだらけではあったが、それでも記憶が戻るのであれば、すべて解決するはずだ。
俺はそう信じて頷いた。
そして――あまりにもあっさりと、あの夜の記憶は戻った。
「…………っ!」
別にどこかが痛かったわけではない。
だけど俺は胸を押さえて、まるでもがくようにその場に崩れ落ちた。
動悸が意味も無く激しく打って。
「ち……く、そ……っ」
痛さは幻覚だ。いや……記憶か。あの夜の……。
俺がようやく落ち着いた時には、あの少女の姿はすでに無く。
「く……はは」
何が本当のことで、何が幻なのか分からなくなって、苦笑した。
「―――確かに、あれじゃあ死ぬな」
自分のことを、他人のことのように思い出して、口にする。
記憶はきれいさっぱり戻っていた。
あの夜、俺はあいつと遭遇して、引き金を引いた。けどあいつはほとんど滅茶苦茶な強さで、俺は相手にもならず。
さんざん身体を痛めつけられ、そして最後に心臓を握り潰された。……即死だろう。助け様などあるわけがない。
ついでにあの刻印咒も、俺がしっかりとあいつに刻んでた。イタチの最後っ屁……まあそんな感じで。
この記憶が本物なのかどうか、信じるしか無い。
確かに最遠寺が言っていた通りで、俺はあいつにやられて、あいつは俺の前で人まで殺していた。人を殺すことなど何事でも無いように……愉しみとかぬかしてやがったし。
しかしこの記憶は、俺が意識を失うところまで、だ。
その後は、もう朝目覚めるシーン……。しかも朝起きた俺の身体は、確かに調子の悪さはあったものの、傷一つすら無かったはずだ。当然、今だって無い。
まったく……何か知らなねえけど、ちっとも解決してねえじゃねえか……。
どうして俺の身体は無事で、今も生きているのか。
さっきの少女は何者なのか。
「まあ……今は考えても仕方無いか」
さしあたっては、あいつらのこと。
しかし本当に……あいつに殺されていたとは。
「でもなあ……何かあいつ、笑えるよな」
確か謝るから――とか何とか言って、あの次の日に現れたわけなのだが。人を殺しておいて、謝って許してもらえるなんて、本気で考えてたんだろうか。……考えてたんだろうな。
俺は苦笑しながらそう思う。
もっともそういう事態がありえていることからして、滅茶苦茶だ。
それに何より。
殺された当の本人である俺が、あんまり怒る気になれない。あの夜の俺は、あいつを相手に相当キレていたはずなんだが……それも実感が無かった。
まあ、理由は何となく見当がつく。
「順番……ってとこか」
そう。順番だ。
俺があいつに酷い目に遭わされたという最も初めにくるべき出来事が、最初じゃなくなってしまったということが、全ての原因だろう。
多分、あのどちらもがあいつの本性なんだろうけど、俺はその悪い方を初めに見たにも関わらず、順番が狂って印象の良い方を初めとして認識してしまったわけだ。ここ数日のあいつが芝居だったとしたらともかく、しかしあいつにそんな芸当ができるわけもないだろう。
あの夜に見た由羅も本物で、ここ数日で見たあいつも本物ってわけか。
「もし記憶が消えてたりしなかったら、俺はあいつのことを殺人鬼としか見てなかったんだろうな……まったく何の因果だか」
おかげさまで俺は、俺を殺したあいつを助けるために、わざわざ刻み込んだ刻印を、またわざわざ消そうとしているという何とも間の抜けた、滑稽なことをしてきたというわけだ。笑わずにはいられない。
結論。
どうやら俺は、あいつに刻印咒を刻み付けた時のようには、あいつを憎んだりすることはできないということだ。
まったくどうかしている……が、これが現実。
「もっとも……それもあいつ次第か」
こうなってしまった状況で、あいつはどうするつもりなのだろうか。やはり殺し合うつもりなのか。
そしてもしその後があったとしたら、どちらのこれまで、を続けていくつもりなのか……。
「捜すか」
結局は、あいつに会って話さなければ始まらない。
そう決心して。
俺はあいつを見つけ出すことを、最優先にすることにした。
/エクセリア
あの人間を再構成した時に、恐らく不要だと思って初めから与えなかった記憶。しかしあの人間にとってみれば、必要なものだったらしい。
記憶を与えなかったのには、二つばかり理由があった。
一つは桐生真斗に語った通りのこと。
そしてもう一つは、よりジュリィ・ミルセナルディスの助けとなるように。
今回彼に記憶が戻ったことにより、目的を達しやすくなるのであれば、それもいい。しかし必ずしもそうならないことは、よくあることだ。だから今回もこのままどうなるのか、それはわからない。
特に人の心など、どんな存在であれ分からない。例え私であっても。
いや……私に何かを見通せたことなど、果たして一度でもあったのだろうか。
妹……そう認識しているあれならば、ここで苦笑の一つでも交えたのかもしれないが、私は笑うことすらできなかった。
次の話 >>
目次に戻る >>