終ノ刻印

第39話 記憶を求めて①

終ノ刻印 第一章 血染めの千年ドラゴン編 第39話

     /真斗

 今日はとうとう目覚ましが鳴らなくなった。
 針はしっかりと動いているところを見ると、その程度にはまだ電池は残っているらしい。
 まあおかげさまで、授業には完全に遅刻してしまいそうだが。

「まあ……いいか」

 俺は布団の中で、ぼんやりとした頭のままつぶやいた。
 授業、か。行った方がいいんだろうけど、今日はどうにも行く気になれない。
 寝過ごしたばかりが原因でないことくらい、分かっている。
 俺はもぞもぞと布団から這い出すと、適当に服を着替え、外へと出た。

     ◇

 一つ息を吐くと、とたんに視界が白くなる。
 今日の朝はかなり冷え込んだせいか、昼近くになってもまだ寒い。
 俺は何をするでもなく、近くの公園のベンチに座って呆けたように景色を眺めていた。

 もし昨夜のことが無ければ、今朝には茜と一緒にあいつの所に行くはずだった。
 ずいぶんと厄介な頼み事をされて、引き受けてしまって……それが何とかなるかもしれないと思った矢先の出来事。それが昨夜のこと。

 実はあいつがここ連日の殺人犯で、しかも俺が追っていた奴だった。そしてアトラ・ハシースの茜までもが追っていた異端種。
 あいつは俺を殺そうとしていて、俺はあいつに刻印を刻み付けて――だからこそあいつは、また俺の前に現れた。けど俺にとってはそれが初めての出会い。それ以降のあいつしか、知らないのだ。

 とてもじゃないが、信じられはしない。
 信じられはしないが、状況証拠はあいつの正体を裏付けてしまっている。否定できる根拠といえば、当事者である俺が何も覚えていないことだけ……。

「――やはり、記憶は必要だったのか」

 その声は。
 不意に背後からした。

 怪訝に見返した俺の目に映ったのは、ずいぶん小柄な少女だった。
 歳は十歳前後だろうか。
 ぱっと見た感じでは幼い顔も、よくよく見ればひどく冷めていて、大人びている。

 そして自分の身長一杯に伸ばした髪は銀色で、瞳は見たことのないような紅い色に染まっていた。
 あまりにも、異彩を放つ少女。
 そいつが、俺を見つめていた。

「…………?」

 眉をひそめる俺を、そいつは硝子玉のような瞳で見続ける。
 なんだこいつ……?
 その容姿に驚きはしたものの、それ以上に気になったのは、ほんの今そいつが言った言葉。

 記憶。
 確かにそう言った。
 俺がそのことについて考えていた、まさにその時に。
 再び、その少女が口を開く。

「……もし望むのなら、あの時の記憶を返してもよい。それが自然である以上は」
「おい……ちょっと待てって!」

 俺は思わずベンチから立ち上がり、そいつを凝視する。

「お前一体何の話をしてるんだ? まさか――」
「四日前の、夜のことだ」

 あっさりと、そいつは頷いた。
 俺の動揺などまったく意に介した様子も無く、無表情のまま。

「そなたが思い悩んでいるのは、その日の記憶のことであろう? それを思い出せないがゆえに、そなたは進むべき道を決めかねている」

 こいつ。
 いや……待てよ……?

「お前……どこかで見たことあるような気がするぞ。そんな目立つ目やら髪やらして……」

 何となく――何となくではあるが、俺はこいつを見たことがあるような気がする。
 わりと最近のはずだが。

「……そうか」

 俺よりも先に、そいつの方が納得したように頷いてしまう。

「そなたを復元したあとの記憶だろう。意識があったのだな」

 復元……?
 そいつが何を言っているかは分からなかったけど、とりあえず少しでも思い出そうと俺は自分の頭を精一杯働かせた。

 相手だけ納得して、俺だけ分からないというのは何か癪だし、何より喉元まで出かかっているようなもどかしさを何とかしてしまいたい。
 何度か俺は首を捻って考え、やがてぼんやりと……記憶が戻ってくる。

「夢……だったような気がするぞ……。ちょっと前に見た」

 確かあの朝のことだ。身体の調子がおかしかった、あの日。あの時に見た夢に、こいつがいたような気がする。

「恐らく夢ではなく、実際に私を見た際の記憶だろう」
「……それっていつだ?」
「そなたが持っていない記憶の、すぐ後のことだ。だから、思い出すことができた」

 持っていない……?
 少しひっかかる、妙な言い方。

「どういうことだよ? 持っていないっていうのは」
「そなたがいくら思い出そうとしたところで、持っていないものを思い出すことはできぬということだ」

 あっさりと、そう言う少女。
 俺は顔をしかめた。

「だからわけが分からねえって。もう少しわかりやすく言ってくれよ」
「――そなたは本当にその記憶を望むのか?」

 俺の問いには答えず、そいつはそんな風に改めて聞いてくる。

「……当然だろ。今のままじゃ、納得することすらできない」

 この女が何者なのかは知らない。しかし、覚えていないだけかもしれないのだ。俺が失っている記憶の中に、出てくるのかもしれない。
 しかし何であれ、このままではどうにもならないのは事実だ。
 最遠寺と茜は、共に由羅を殺す気でいる。そして由羅もまた反撃するだろう。あいつが話通りの奴なら、あの二人でも充分に厄介な相手なのだ。結果は考えたくもない……が、その時は近い。
 俺はどうすればいいのか分からない。悩むのは、あの記憶が無いからだ。由羅が何者なのか、知らないから。

「……そうか。ならば、教えよう」

 俺の答えに、少女は頷いて。
 そして足音も立てずに俺の前まで歩み、俺の額へと手を伸ばした。


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