終ノ刻印

第37話 記憶が戻りて

終ノ刻印 第一章 血染めの千年ドラゴン編 第37話

「な……」

 俺は再び由羅を見る。
 由羅は、もう俺を見ていなかった。誰も見ず、ただ視線を下に向けている。

「おい由羅! いきなりこんなこと言われて……俺は信じてないぞ」

 突然そんなことを言われて、はいそうですかと頷けるわけもない。
 だっていうのにどうして……お前は黙ったまま、何も否定しないんだよ。

「最遠寺……それに茜も。何を根拠にそんなこと言うんだ。わかるように説明してくれよ」
「説明なんて、本当は不要なのだけれどね」

 最遠寺はくすりと笑う。

「その女の左手……それこそが、全ての証拠なのだから」

 その一言が。
 由羅を、びくりと震わせた。

「左手……?」

 俺は眉をひそめ、思い至る。
 あいつの左手にあるのは、刻印咒。
 誰かに刻まれたという、呪われたもの。

「その刻印は、いったいどうして刻まれたのかしら。そして誰に……ね?」
「これ……は……」

 目に見えて、うろたえる由羅。そして、俺を見る。信じられないくらい、哀しげな瞳で。

「それは、あなたが殺した人間に、最期の力でもって刻まれたもの。そう……桐生くんに、ね」

 は……?
 俺が、だって?

「おい……何言ってるんだ? 俺がいつそんなことをしたって言うんだよ。第一俺は死んでなんか……」
「死んだのよ」

 あっさりと最遠寺は告げる。
 冷たく、はっきりと。

「まあ正確には……命の灯火が消える寸前だった。わたしが見つけた時にはね。それを、助けてあげたの。どうやらその時に、記憶の混乱を起こしてしまったようね。あなたはその女に出会ったこと……殺されそうになったことを、次の日目覚めた時には忘れてしまっていた。朝、とても身体が痛かったでしょう? 心臓を握り潰されていたんだから、当然だけれど」

 何だって……?
 そんな、そんな――ことが。

 確かにあの日、調子は悪かった。
 そして、由羅と出会って。

 そういやあいつ、何度も言っていた。
 あの刻印咒を刻んだのは俺、だと。
 だから俺の所へ来た、と……。

『そ、その……あの時のことは謝るから、許してよ……』
『……やっぱり私のこと恨んでるの?』
『この馬鹿っ。どうして一日もたってないこと忘れちゃうのよ!』
『――これしたの、あなただもの』

 あの日のことを思い出せば、そんな会話が確かにあった。
 どれもが、聞いていた俺にしてみれば、よく分からなかったこと。
 しかし最遠寺の言うことが本当だったとしたら、どれもが説明がつく。……ついてしまう。

「自分が手にかけた相手に、何とかしてもらおうと頼るなんて、本当に呆れた女ね。彼が忘れていることをいいことに」
「なによ――なんなのよ!」

 たまらなくなったように、由羅が叫ぶ。

「どうして壊すの!? 私、今の生活がとても気に入っていたの! ずっとこのままでいたかった! それをどうして……! なんなのよ……あなたたちはっ!」
「相変わらず我侭なことね。しかも都合よくできているようだし……」

 由羅の言葉に、最遠寺の表情に憎悪が満ちる。

「他人の忘却に付け込んだだけではなく、自分のことすら忘れているなんて」
「自分……? 私のこと、知ってるって言うの」
「もちろん――知らないわけがないわ。ユラスティーグ・レディストア」

 言われて。
 由羅の表情が固まる。
 そして。
 あいつは小さく搾り出すように口を開いた。

「……………………ジュリィ・ミルセナルディス……」

 長い沈黙の後に紡ぎ出された名に、最遠寺は笑う。

「そう――ようやく思い出してくれたかしら。ユラ」
「…………っ」

 歯を噛み締めて、由羅は最遠寺を睨みつける。
 俺には少しも理解できない、会話。
 だが二人にとってはそれだけで、お互いを認識してしまったらしい。

「こんな……ところまで……」
「長かったわ。けれどもう終わりにしたくなったの」
「そう……」

 由羅は、頷いて。

「じゃあ、そうすればいい」

 そう言った後、俺へと視線を送ってくる。
 哀しげで、申し訳ないような、そんな顔。

「……ごめんね」

 それだけの言葉を残して――由羅は地面を蹴り、その場から大きく跳躍した。
 闇へと舞い、消える姿。
 おまえ――何か。

「――――」

 それを追う、最遠寺。
 何が、ごめんね――だ!

「待て――待てよお前らっ!!」

 俺はあらんばかりの大声で叫ぶ。
 しかし止まったのは、由羅を追おうとしていた最遠寺だけだった。
 最遠寺はこちらを見返して――ふうと、息をつく。
 由羅の姿はもう、どこにも無い。

「……わたしとしたことが、少し感情に流されてしまったようね」

 自嘲するような笑みを浮かべて、小さくつぶやく最遠寺。

「いいわ。どうせだから、はっきりさせておきましょう」

 そんな風に言う最遠寺の声が、やけに空しく響き渡った……。


 次の話 >>


 目次に戻る >>