終ノ刻印 第一章 血染めの千年ドラゴン編 第17話
◇
「く――ぁ」
帰ってくるなり、俺はベッドの上に突っ伏す。
……何だかもの凄く、疲れた。
身体が重い。
時間を確認しようとして、俺はポケットに入ったままになっていた携帯を取り出した。そこで気づく、メール受信の表示。……どうやらバイクで走っている間に、届いていたらしい。
「……ああ」
相手は所長からだった。
内容は今日の歓迎会の時間と場所。どうやら皆で持ち寄って、事務所でするらしい。時間は午後六時から。
それまでかなり時間が残っている。とりあえずは寝よう――そう決めて、俺は目覚し時計のセットをした。
五時半、と。
「ふあぁ……」
眠くないつもりだったが、いざ布団に包まると、じわじわと睡魔に意識が覆われていくのが分かる。
そのぼんやりした頭で、あの少女のことを思い出していた。
――刻印咒を刻まれていた、少女。
わりと正体不明。
くそ、と毒づく。
これで余計な仕事が一つ増えてしまった。しかも多分、無報酬。
……とはいえ、放っておくこともできそうもなかった。あの刻印を見た限り、しばらくどうってこともなさそうだが、あのまま放っておくと確実に由羅の命を蝕む。誰が仕掛けたのかは知らないが、相当な念が篭っているのは間違い無い。なるべく早く手を打った方がいいだろう。つまり、その分俺が頑張らなきゃいけないということで……。
ここはやはり、所長に相談するのが一番かもしれない。あれでなかなかその筋の世界では顔が広いらしいし、何より信用できる。地元に戻って九曜家の門を叩くという方法もあったが、それは最後にしておきたかった。絶対に、厄介なことになるに決まってる。
――ったく、どうしたもんだか……。
ぼやきながら。
俺はいつの間にか眠っていった。
◇
ぴぴぴ……ぴ、ぴぴ……ぴー………。
何ともやる気の無い目覚ましの音で、俺は目を覚ました。
そーいや電池換えようと思ってたんだっけか……。
ふああと欠伸し、時計を見れば、五時半。
身体がだるいのは、寝起きのせいかそれとも朝から続いているやつのせいか。
とにかく俺は起きて、身体を軽く動かしてみる。
「……お?」
何だかすうっと、身体が軽くなったような気がした。少しだるかったのは、やはり寝起きのせいらしい。
目が覚めてくると、体調はずいぶんいい感じだった。うむ、やはり身体の様子が変だったのは、寝不足のせいか。
ばしゃばしゃと顔を洗い、大してすることも無い身支度を整えて。
俺は歩いて十分とかからない柴城興信所へと向かった。
◇
「ちわー」
事務所のドアを開けて入ると、何やらすでに陽気な雰囲気が漂っていた。
「お、来たか」
「まあ義理ってことで」
机に座って何やらやってる所長へと、俺は軽く手を上げて挨拶する。
「……もう来てるのか?」
「ん、ああ。東堂が相手してる」
「そんじゃ俺もちと見てくるかな……」
「――真斗」
行きかけた俺を、不意に所長は呼び止めた。そして小声でそっと話しかけてくる。
「……昨日は行ったのか?」
昨日受けた、仕事の話だろう。
「まあ一応。結局駄目だったけど」
空振りだった、と言う俺を見て、なぜか怪訝な顔をする所長。
「お前、ニュース見てないのか?」
「見てねえけど……」
今日は朝早く帰ってきて、少し寝た後学校に行って――あの変な少女と出会い、帰ってきてからはずっと寝ていたのだ。テレビなどつけている時間などあるわけがない。
所長の様子に嫌な予感を覚えて、表情を硬くした。
「まさか……またなのか?」
「ああ。市内で殺人があった」
溜め息を一つついて、所長は頷く。
「同じ奴か」
「さて……それはわからん」
所長は肩をすくめると、簡単に事件のことを話してくれた。
「現場は上京区。最近の事件の現場に近い。殺されたのは女で、死因は胸部圧迫による内臓破裂。……どうやら背中から思い切り踏み潰されたらしい」
俺がこの時浮かんだのは、倒れている被害者へと、犯人が何度も何度も踏みつけるというシーンだった。まあそういうのもあり得るかもしれない。
「――それだけ?」
「ああ……。まあ何だ、ホトケさんには失礼だが、今までの事件に比べると、派手じゃないな」
確かに所長の言う通りだ。
今回の死体は原型を保っていたということ――今までのものだと、元が何であったかわからないくらいに惨殺されている。
「別件ってことか?」
「さてな。だからわからんって言ってるんだ。お前が昨日出てたんなら何か見てるかとも思ったが……何も見ていないんじゃ仕方無いな」
「上京区っていってもずいぶん広いからな。一応昨日はその辺もうろついてみたけど、人一人で隅々まで歩けるわけもないし……」
「そりゃそうだ」
所長はいかにも、と頷く。
「まあもしかすると別件かもしれん。しかしなあ……物騒になったもんだな、この町も」
所長の言いたいことはよく分かる。
今回の事件が一連のものと同一であろうとなかろうと、こう立て続けに殺人が起こってはたまったもんじゃないぞ。近くに住んでいる者にとっちゃ。
――などと、所長と話しているその時だった。
視線に気づいて、俺は横を向いた。
そこにいたのは、短い髪の女。
「……何の話をしていたの?」
そんな風に声をかけてきたのは――俺の知ってるやつだった。
「あ」
思わずそんな声を出してしまった俺へと、女は軽く頭をさげる。
「さっきはどうもありがとう。おかげで助かったわ」
「あ、ああ」
そう。そいつはさっき、俺に道を尋ねてきた女。
ここに案内したのだから、ここにいてもおかしくないのだが……何だかお客っぽくないぞ?
「何だ。もう知り合ってたのか」
と、俺たちの様子を見て、所長が口を挟んでくる。
「ええ。さきほどここに来る前に、道を教えていただいたの」
「なるほど。そいつは偶然だな。じゃあ、自己紹介の必要はないか」
「んなわけねーだろ」
普通、道を聞かれただけで、自己紹介なんぞしねーだろ。
「昨日話してただろ? 新人さんだ」
――ああ。そうか。
お客じゃなくて、そっちの方ね。
それじゃあ今日の主賓ってわけか。
「ちなみに今回お前に受けてもらっている仕事は、彼女にもやってもらう。というか、その為に派遣されてきたようなものだしな」
――なるほど。
所長がスカウトしたわけでもないのに、いきなり新人がやってくるなんて珍しいこともあるもんだと思っていたが、事情はそういうことらしい。
多分上の連中が、今回の事件に際してこの女を派遣したということだ。今回のことがそれほど厄介だと上が判断しているのか、それともこの新人の経験を積ませるために、ちょうどいい事件だと判断したからか――それは分からないが。
「どうも。俺は桐生真斗。ここでバイトやってる」
「バイト? 正所員ではないの?」
首を傾げる女。
「まあね。一応学生だからな。将来の就職先になるかどーかは微妙だけど」
実をいうと、今から就職のことなど考えたくないというのが、本音ではあるが。
「そう。わたしは最遠寺黎。しばらくの間だけど、よろしくお願いします」
ぺこり、と最遠寺は綺麗にお辞儀した。
つられて俺も頭を下げてしまう。
下げながら、ふと俺はあることに気づいた。
「……最遠寺?」
それは確か――
「ようやく気づいたか!」
ごつい声が、突然割り込んでくる。
見れば、いつの間にやら体格のいい男が、腕を組んでふっふっふと笑みを零しながら立っている。
東堂さんだ。
「最遠寺といえば、関東の名門! 由緒正しき家柄のお嬢さんだ」
「そんな、大したことないわ」
くすっ、と笑う最遠寺を見て、東堂さんはいやあ謙遜を、などと言って鼻の下を伸ばしている。
一目瞭然だったが、どうやら一目惚れしたらしい。まあ確かに美人さんだけどさ。
「それにしても最遠寺、か……」
と俺は珍しげに彼女を見た。
俺たちの社会の中で、九曜といえば西日本において筆頭の名門だが、同様に東においては最遠寺がある。この家も、九曜に負けず劣らずの名家だ。
「黎君は一級の咒法士だ。つまりお前らの中じゃ、一番腕が立つわけだな」
呑気に笑いながら、所長はそんなことを横から言ってくる。
東堂さんはそのことを知っていたのか、うんうんと我が事のように頷いていたりした。
一級咒法士。あくまでこの国の中だけで通じるランクだが、このランクにいる者はそんなに多くはない。
俺は大学に入るまで九曜家でほとんど死に物狂いで頑張ってきたが、結局二級止まりだった。その二級も、九曜本家で学んでおきながら三級は恥だということで、その実力も無いのにもらってしまった感が強い。あの時は屈辱だったが、仕方がないことだった。
東堂さんは三級だが、多分実力的には俺と大して違わないだろう。咒法に限っていえば、苦手な俺よりも上かもしれない。
所長はというと……よく分からない。そこそこの実力があることは間違いないのだろうけど。
「なーるほど。俺はバイトだからあまり関係ねえけど、所長はずいぶん助かるんじゃねえの?」
「ずっといてくれるんだったらな」
そりゃそうだ。
派遣である以上、一定期間が経過したら戻るってわけだし。
「何を言ってるんです!」
おもむろに声を上げたのは、東堂さん。
「このような得難き人材、みすみす見逃すつもりですか!?」
「そうは言ってもなあ」
困った顔で、ぽりぽりと頬を掻く所長。
そんな様子を、微笑んだまま最遠寺は見つめていた。
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