終ノ刻印 第一章 血染めの千年ドラゴン編 第13話
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食堂。
二時間目終了後――つまり昼時の学校食堂というのは、凄まじいまでの混雑を極める。
そんな人ゴミの中で、我ながら惚れ惚れする観察眼で席を確保して、俺は日替わり定食を食べていた。慣れたもんだ。
で、その横で、不機嫌そうな面持ちの少女は俺を眺めている。
その容姿のせいで、周囲から少なからず注目を浴びていたが、まったく気にする風はない。
「……やっぱり私のこと恨んでるの?」
さっきからもそうだが、言ってることがよく分からん。
「わけのわかんねーこと言って、付きまとわれるのは迷惑だけどな」
けど恨むって何だよ、と言うと、そいつはムッとなる。
「……こんな人の多い所にわざわざつれてきて。私、人間見てると――」
「勝手についてきたのはそっちだろーが」
少女が言いかけていた言葉を遮るように、俺も不機嫌そうに言ってやる。
「俺はお前のことなんて知らないの。そういうわけだから人違い。あっち行けって」
ひらひらと手を振る彼へと、少女は更に機嫌を損ねたようだった。
「この馬鹿っ。どうして一日もたってないこと忘れちゃうのよ! 人間ってそんなに馬鹿なの? それともあなたが特別馬鹿?」
……初対面に相手に向かって、よくもまあ。
「ばかばか言いやがって……」
思わず表情を引きつらせながらも、俺は昨日のことを思い出してみる。
昨日といえば、学校に行って、途中で授業を抜け出して事務所に行って、それから一旦下宿先に戻って仮眠した後、深夜を待って出かけたのだ。結局収穫は無く、帰った後はすぐに眠ってしまったが。
そんな昨日のことをつぶさに思い出してみても、妙な因縁をつけてきている少女との接点は見出せない。
しかも何があったかは知らないが、許してくれときたものだ。
恐らく人違いなのだろうけど、相手の少女は信じて疑ってないらしく、そんな彼女を追い返すのは苦労しそうな気がして、少々憂鬱になってしまう。
少し思案してから、俺は聞いてみた。
「まず、だ。お前は俺のことちゃんと知って言ってるのか?」
「え?」
意表を突かれた質問に、少女は小首を傾げる。
「だーかーら。例えば……そうだ、俺の名前とか。ちなみに俺はお前の名前なんて知らねえぞ」
「なまえ……」
なぜだか少女は、その言葉にしばし黙り込んでしまう。
「?」
なんだ?
何か俺、変なことでも言ったか?
そんな少女の反応に、俺は眉をひそめてそいつを見返す。その俺へと、少女はどこか自信なさげな声で、小さくその名を告げた。
「ユ……、ユ……ラ」
「は?」
「……だから。私の名前……たぶん、そういう名前だったと思う」
「なんだよそれ」
当然のごとく、怪訝な顔になる俺。
「だった、ってのは何なんだ? 自分の名前だろうが」
「うるさい……。だって、名前を聞かれたの初めてだったんだもの。私は気にしてなかったから……」
何なんだ、そりゃ。
「お前、俺のことからかってるだろ」
半眼で言ってやると、そいつはむかむかっとなったようだった。
おお、分かりやすい性格。
「せっかく頑張って思い出したのに!」
……頑張って思い出さなきゃならん自分の名前ってのは何なんだよ。
「ま、いいけど」
む~となっている少女を横目に、俺はぱくぱくと食事を喉に通していく。
「それで? お前の名前はわかったけど、俺のことは知ってるのか?」
「知るわけないじゃない」
そんな偉そうに言うなって。
「……じゃあやっぱり人違いだろ。俺はお前の顔も名前も知らないし、お前も俺の名前すら知らないんだから、どっかで会ったってことはないだろうさ。人違いったら人違い」
至極まっとうなことを言ってやったのだが、こいつは納得してくれないようだった。
「そんなわけないでしょ。あなたは記憶力ないのかもしれないけど、私はちゃんと覚えてるんだから」
「しつこい奴だな。落ち着いて飯も食えやしないぜ」
ちゃんと食べてるじゃない――との少女の言は、この際無視。
無視されて、うう、と歯噛みしたようだった。
「じゃ、じゃあ食べ終わるまで待つから。……終わったらちゃんと、話してよね」
……反応は、そこそこ可愛いんだけどなあ。
何だかんだいってこいつ、けっこう律儀っぽいし。
何て思っていたら、早速口を開いてくる。
「……ねえ」
「なんだよ」
つい反射で答えてしまってから、しまったと思った。食べ終わるまで待つんじゃなかったのかと、皮肉の一つでも言ってやれば良かったのだが。
「あなたにも名前、あるんでしょ?」
「そりゃああるさ」
「じゃあ教えてよ」
「……なんで?」
「なんでって……」
思いもよらない返答だったのか、少女は一瞬返す言葉につまったようだった。
ま、いいか。
別に教えたからって呪われるわけでもねえし。
「桐生だよ。桐生真斗」
「ふうん……。確かこの国って、固体を表す名前って、下の方だったよね?」
固体って……また妙な表現を。
「……まあ名字じゃない方はな」
「じゃあマサトでいいってことね。どういう文字を当てるの?」
先程からずいぶん妙な言い回しをするものだと、俺は胡乱げに思う。日本語は遜色無く使ってはいるが、容姿といい、物言いといい、やはり日本人ではないらしい。外国人となると、その方面に知り合いのいない俺としては、ますます人違いじゃないかと思ってしまう。
「文字って、漢字のことか?」
「さあよく知らないけど……私の名前も、それで書けるといいなあって思って」
「ふうん……」
外国人って、そんな風に思ったりするのだろうか。
俺にはよく分からんけど。
頷いて、とりあえず俺は人差し指でテーブルに、『真斗』と漢字で書いた。
「じゃあ私のは?」
それだけで分かったのか、今度は自分のを書いてみてくれと、興味津々な様子で促してくる。まったく何なんだろうな、と思いながらも、俺は考えてみる。
「ゆら……だったよな。どっちもあんまり思いつかねえけど……」
ぶつぶつと洩らしつつ、俺はいくつか書いてみた。
「へえ……。けっこうたくさんあるのね」
「そりゃあな。同名の奴なんてけっこういるんだ。せめて使ってる漢字くらい違いがないと、つまらんだろ?」
「うーん……そうかもしれないね」
同意しながら、彼女も真似するように人差し指で文字を書く。書いたのは、『由羅』という漢字の組み合わせだった。
「私、これが一番いいかな。何となく気に入ったから」
「まあお前のことだからな。好きにすりゃいいけど」
嬉しそうに言う少女――由羅へと。
狐にでも化かされているような気分を味わいながら。
俺はそっと、その表情を見つめてしまっていた。
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