武田義信 ~武田氏混乱の序曲か、義信事件

武田義信 ~武田氏混乱の序曲か、義信事件

 武田義信とは戦国時代の武将であり、甲斐国の守護大名・武田信玄の嫡男。
 義信事件によって廃嫡され、甲府東光寺に幽閉されてその後死去した。

武田義信 (たけだ よしのぶ)
武田菱
生年1538年(天文7年)
没年1567年(永禄10年11月19日)
改名太郎⇒義信
主君武田信玄
家紋武田菱(たけだびし)
父:武田信玄
母:三条の方
兄弟義信 海野信親 信之 黄梅院 見性院 勝頼 真竜院 仁科盛信 葛山信貞 信清 松姫 菊姫

武田義信とは

由羅
由羅
あの武田信玄の嫡男、だね
そうだよ。この人物は二つのことで比較的知名度があるかな
イリス
イリス
由羅
由羅
信玄の子、ということと、その信玄に対して謀反を画策した義信事件のため、でしょ?
うん。この武田義信を語る上で外せないのが義信事件。でもその詳細は謎のところも多いんだよ
イリス
イリス

来歴

 義信は1538年(天文7年)に、武田信玄の嫡男として誕生した。
 武田信虎の孫にあたる。

 母は三条の方で、公家の三条公頼の娘であり、父・信玄の正室となった経緯には、武田氏と同盟関係にあった今川氏の斡旋があったとされている。

 1550年(天文19年)に元服。

 この年、駿河の戦国大名・今川義元の娘である嶺松院を正室に迎え、今川氏との関係はより強固なものとなった。

由羅
由羅
この頃の今川家との関係はとても良好だったんだよね
今川義元が健在だったからね
イリス
イリス
 また傅は飯富虎昌が担ったとされている。

 1553年(天文22年)、名を義信に改める。
 これは甲斐武田氏の歴代の中で、初めて室町幕府将軍の通字であった「義」の字を受けたとされている。

通字の方をもらうことは珍しかったから
イリス
イリス
由羅
由羅
武田信玄……というか、武田晴信の「晴」も当時の足利将軍からもらった名前だものね。でも通字の「義」ではなかったし
うん。まあ他に例が無いわけじゃないよ。例えば朝倉義景、赤松義祐、足利義氏、尼子義久、大内義長、相良義陽、島津義虎(晴久→義俊→義虎)、島津義久、宗義調、武田義統、松永義久(久通、義輝殺害後に久通に戻す)、最上義光、六角義治……武田義信とか、他にもいたはずだし
イリス
イリス
由羅
由羅
うわあ……いっぱいいるし
当時の足利将軍は足利義輝だったんだけど、義輝はその名の他に義藤とも名乗っていたから、「藤」や「輝」の字を与えた人物までとなるも、もっともっとたくさんいるね
イリス
イリス
由羅
由羅
大バーゲンだね
 1554年(天文23年)には初陣。
 信濃国佐久郡の知久氏を攻めた。

 この初陣では知久氏の反乱を鎮圧し、さらには小諸城まで降伏させるなどの活躍をみせている。

 また1561年(永禄4年)に行われた第4次川中島の戦いにおいても従軍し、武功を挙げた。

第四次川中島の戦い
《第四次川中島の戦い》

 この時の川中島での戦いにおいて、義信は上杉謙信の本陣が休憩をとっているところに手勢800を率いて急襲し、不意を突かれた謙信の旗本の過半数は敗走、志田源四郎義時、大川駿河守高重が討死し、さらには謙信すら防戦一方になる有様であったといわれている。
由羅
由羅
謙信の本陣めがけて急襲して、一泡吹かせたんだ
ドラマなどでは血気盛んな感じで描かれているけれど、結果も出していたみたいだね
イリス
イリス
 その後1565年(永禄8年)、武田信玄暗殺を企てた謀反に関わり、甲府東光寺に幽閉。
 1567年(永禄10年)に、東光寺にて死去した。
由羅
由羅
そして義信事件かあ……

義信事件

 1564年(永禄7年)、義信の傅役であった飯富虎昌や、側近の長坂昌国、曽根虎盛らが武田信玄の暗殺を密談。

 しかしこの計画は虎昌の実弟であった、飯富三郎兵衛(山県昌景)によって発覚し、1565年(永禄8年)、虎昌をはじめとする首謀者は処刑され、その配下であった80騎の家臣団は追放となった。

 同年には義信は東光寺に幽閉。
 正室であった今川義元の娘とは離縁。
 さらには武田氏の家督を継ぐ、後継者としての地位をも失なった。

 代わりに信玄は義信の異母弟であった諏訪勝頼に、織田信長の養女であった龍勝院を迎えて、体外的には新たな誼を結ぶようになっていく。

由羅
由羅
どうして義信は謀反を起こそうとしたのかな?
詳しいことは分かっていないの。でも謀反を起こす、つまり現状を変えようと思ったということは、義信に信玄に対して何かしらの不満があったことは間違いないだろうね
イリス
イリス
 この義信事件に関して、詳しい背景や動機は不明であるものの、第4次川中島の戦いの顛末や、諏訪勝頼が高遠城の城主になったことを受けて、義信に何らかな不満が生じたから、とも考えられている。

 この事件により、今川氏との関係が悪化。
 川中島の戦い以後、北信は比較的安定するようになり、信玄は対外方針を北から南に転換して、のちに駿河侵攻が行われることになった。

 この対外方針の転換を巡って、今川派であった義信と、今川への侵攻を志向するようになった信玄との間に確執が生じた、とも考えられている。

由羅
由羅
結局、桶狭間で今川義元が討死した事件は、周辺諸国に大きな影響を与えた、というわけだね
義元の死と今川領国の混乱を見て、信玄が今川侵攻を計画し、それに対して今川家から妻を迎えている義信が反発する……というのは自然な流れだから。義理とか人情とか、そういう観点からみれば義信の行動は実に人間らしかった、ともいえるかもしれないかな
イリス
イリス
由羅
由羅
信玄は鬼だよねー
かもしれないけれど、時は戦国時代だし。そもそも為政者……それもトップに立つようなひとは、そういう感情を優先させると統治なんてできないよ。それがいいか悪いかは別として
イリス
イリス
由羅
由羅
大局的には信玄の方が正しかったと?
それもわからない。この後信玄は武田家の最大版図を築くに至るけど、その更に後では滅亡してしまうし、何がきっかけでどうなるかはわからないから
イリス
イリス
由羅
由羅
……少なくとも、義信の死が代わりに嫡男となった武田勝頼の運命を変えたことだけは、確かだろうね