朝倉貞景とは室町時代の武将で、越前朝倉氏における第4代当主。
朝倉氏には9代目当主にも同名の人物がおり、そちらは越前国の支配と朝倉の氏全盛期の基礎を築いた人物として知られている。
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生年 | 1358年(正平13年/延文3年) |
没年 | 1436年(永享8年閏5月16日) |
別名 | 為景 |
家紋 | 三盛木瓜(みつもりもっこう) |
親 | 父:朝倉氏景 |
兄弟 | 貞景 東郷正景 中島景康 |
子 | 教景 頼景 |
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朝倉貞景とは

4代目当主である朝倉貞景については史料が乏しくて、あまり知れられていないの

イリス

由羅

つまり、何をやっていたかわからない人物ってこと?

そうなるね

イリス
1358年(正平13年/延文3年)に朝倉氏景(大功宗勲)の子として誕生。
幼名は又太郎といい、通称は孫右衛門、下野守であったとされる。為景とも名乗っていた。
先代・氏景の時に一乗谷と縁ができており、この貞景の頃からそれまでの朝倉氏の本拠地であった北庄黒丸から一乗谷に移したのでは、と考えられている。

由羅

一乗谷っていうと、7代目の孝景からのようなイメージがあるけれど、実際にはもっと前から移り住んでいたんだね
1411年(応永18年)には飛騨の乱が勃発し、越前国守護であった斯波氏の配下である朝倉氏も、幕府からの追討軍の一員として参加しているが、詳細は分かっていない。
1436年(永享8年)に79歳にて死去し、その家督は子の教景が継ぐことになる。
朝倉家歴代当主
第1代 朝倉広景 1255年~1352年
第2代 朝倉高景 1314年~1372年
第3代 朝倉氏景(大功宗勲) 1339年~1405年
第4代 朝倉貞景(大心宗忠) 1358年~1436年
第5代 朝倉教景(心月宗覚) 1380年~1463年
第6代 朝倉家景 1402年~1451年
第7代 朝倉孝景(英林孝景) 1428年~1481年
第8代 朝倉氏景 1449年~1486年
第9代 朝倉貞景 1473年~1512年
第10代 朝倉孝景 1493年~1548年
第11代 朝倉義景 1533年~1573年