朝倉氏景(大功宗勲) ~一城谷に最初の縁を作った、朝倉氏第3代当主

朝倉氏景(大功宗勲) ~一城谷に最初の縁を作った、朝倉氏第3代当主

 朝倉氏景とは南北朝時代の武将。
 越前朝倉氏の歴代当主の中には氏景の名を持つ者が二人おり、こちらではその中で第2代当主・朝倉高景の子にあたる第3代当主について記す。

朝倉氏景(あさくら うじかげ)
三盛木瓜
生年1339年(暦応2年/延元4年)
没年1405年(応永11年12月28日)
改名孫次郎⇒氏景
別名孫右衛門
家紋三盛木瓜(みつもりもっこう)
父:朝倉高景
兄弟氏景 阿波賀茂景 向久景 三段崎弼景
貞景 東郷正景 中島景康

朝倉氏景とは

由羅
由羅
朝倉氏の歴代当主って、同じ名前のひとがいてややこしいよね
よくあることではあるけれど、ここでは3代目当主・氏景のことは戒名である大功宗勲をつけて区別するね
イリス
イリス
由羅
由羅
それで? このひとはどんなことをして朝倉氏を発展させていったの?
そこまで史料は多くないんだけれど、朝倉氏といえば一乗谷、でしょう? その最初の縁を作った人物として知られてるよ
イリス
イリス

偏諱を賜る

 1339年(暦応2年/延元4年)に朝倉高景の子として誕生。

 1355年(文和4年)の東寺南大門での合戦においては父と共に功績を挙げ、足利尊氏より偏諱を賜って氏景と名乗ったとされている。

由羅
由羅
あれ……? この話、どこかで聞いたような……?
高景の時と同じで、眉唾な逸話だよ
イリス
イリス
 この偏諱を賜ったことに関しては事実かどうか怪しいとされており、その理由はこの時朝倉氏は南朝側に属しており、尊氏と敵対していたからである。
ちなみに余談だけど、氏景は名刀・相州貞宗を持っていて、奮戦したといわれているよ
イリス
イリス

 1366年(正平21年/貞治5年)に貞治の変が起こると、朝倉家の主家であった斯波氏の斯波高経らが討伐の対象となる。

由羅
由羅
そういえば貞治の変って、なに?
室町幕府の執事……後の管領のことだけど、その執事だった斯波義将と、その父で2代将軍足利義詮側近の有力守護大名であった斯波高経が失脚した事件のことだよ
イリス
イリス
 この時に父・高景は斯波氏から離れ幕府側につき、所領を安堵。越前国における朝倉氏の基礎を得ることとなった。

 その後、一度没落した斯波氏は再び越前守護に復帰することになり、朝倉氏もまた斯波氏の家臣に復帰することになる。

朝倉氏の冷遇

 『朝倉始末記』によると、摂津の合戦などで氏景は戦功を挙げ、足利義満から「大功」の法名を賜ったが、その後、幕府や斯波氏から冷遇されることになったという。

『相国寺供養記』には明徳年間の斯波氏の重臣が記されているのだけど、そこに朝倉氏や氏景の名前が見当たらないことからも、その冷遇ぶりを伺うことができるんだよ
イリス
イリス
 1401年(応永8年)に、弘祥寺に仏殿を建立。一乗谷に熊野権現を勧請したとされている。
由羅
由羅
これが朝倉氏と一乗谷と関係する最初の事例として知られているんだよね。のちに一乗谷を朝倉氏の本拠とするきっかけになったのかも
そうかもしれないね
イリス
イリス
 1404年(応永11年)に死去。享年66。

 その家督は子の貞景(大心宗忠)が継承することになる。

朝倉家歴代当主

 第1代 朝倉広景 1255年~1352年
 第2代 朝倉高景 1314年~1372年
 第3代 朝倉氏景(大功宗勲) 1339年~1405年
 第4代 朝倉貞景(大心宗忠) 1358年~1436年
 第5代 朝倉教景(心月宗覚) 1380年~1463年
 第6代 朝倉家景 1402年~1451年
 第7代 朝倉孝景(英林孝景) 1428年~1481年
 第8代 朝倉氏景 1449年~1486年
 第9代 朝倉貞景 1473年~1512年
 第10代 朝倉孝景 1493年~1548年
 第11代 朝倉義景 1533年~1573年