新発田綱貞とは戦国時代の武将。北越後の国人。
のちに上杉家に対して反旗を翻すことになる、新発田重家の父である。
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生年 | 1512年(永正9年) |
没年 | 1561年(永禄4年) |
別名 | 伯耆守 |
主君 | 長尾為景⇒上杉謙信 |
親 | 父:新発田長綱 |
子 | 長敦 重家 |
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新発田綱貞とは

由羅

新発田長敦や新発田重家はそれなりに名は知られているけれど、その父親ってあまり知られていないよね

新発田重家ですら、歴史ドラマなんかでは尺の都合で端折られたりするくらいだから、その父親まではとても、というわけだね

イリス

由羅

だからここで紹介しよう! ってことなんでしょ?

といっても、あまり事跡は残っていないんだけど、ね

イリス
来歴
新発田綱貞は新発田長綱の子として1512年(永正9年)に誕生した。

由羅

確か新発田氏って、北越後に根を張っていた国人で、揚北衆の一員だったよね?

そうだよ。佐々木盛綱を祖としていることから、佐々木党などとも呼ばれているの。ちなみに加地氏の庶流

イリス

由羅

うーん。そういわれても、佐々木盛綱ってひとのことからわかんないかな

佐々木盛綱は平安時代末期から鎌倉時代初期の武将だよ。近江の宇多源氏佐々木氏棟梁である佐々木秀義の三男で、いわゆる源平合戦の時代のひとだよ

イリス

由羅

つまり、由緒正しい源氏の末裔、ってことだね

そういうこと

イリス
綱貞は越後国蒲原郡にあった五十公野城を領しており、越後国の守護代・長尾為景が主君であり越後守護であった上杉家を打倒し、越後平定に乗り出した際にはこれに従ったとされる。

由羅

長尾為景っていうと、上杉謙信の父親だね

うん

イリス
しかしその後、上条の乱が勃発し、綱貞はこれに呼応したという。

この時、綱貞の他にも本庄房長、鮎川清長、水原政家、黒川清実、中条藤資、五十公野景家、加地春綱、竹俣昌綱といった錚々たる面子と一緒に為景に背いたそうだよ

イリス

由羅

ちなみに、上条の乱って?

上条上杉家の当主だった上条定憲の反長尾活動のことだね

イリス
しかし最終的に綱貞は長尾景虎(上杉謙信)に臣従することになったという。