斎藤利永 ~美濃斎藤氏第3代当主

斎藤利永 ~美濃斎藤氏第3代当主

 斎藤利永とは室町時代の武将であり、美濃守護代。
 美濃斎藤氏第3代当主であり、斎藤妙椿の兄として知られる。

斎藤利永(さいとう としなが)
撫子
生年不詳
没年1460年(長禄4年5月27日)
主君土岐持益
氏族美濃斎藤氏
家紋撫子(なでしこ)
父:斎藤宗円
兄弟利永 妙椿 利任 周倫
継室:赤松氏娘
利藤 典明 利国(妙純) 利安(敬仲元粛) 利綱

斎藤利永とは

由羅
由羅
斎藤利永って……あまり聞かない武将だよね?
美濃守護代を務めた人物だから、それなりに名は知られているはずだよ。でもまだ室町時代のひとだから、どうしても、ね
イリス
イリス
由羅
由羅
まだ応仁の乱も始まっていないしね
そうだね。利永自身はともかく、父親の斎藤宗円は下克上によって守護代職を得て、美濃斎藤氏の勢力拡大の礎を築いた人物で、弟の斎藤妙椿は完全に美濃国を牛耳った有名人。利永の子はその妙椿の養子となってその跡を継いだりと、利永はそういった重要人物の間に位置する存在だから
イリス
イリス
由羅
由羅
つまりちゃんと知っておかないと駄目、ということよね
そういうこと
イリス
イリス

来歴

美濃守護代へ

 斎藤利永は斎藤宗円の嫡男。生年は不明。

 1444年(文安元年閏6月19日)、父・宗円が美濃守護代冨島氏を殺害したことに端を発した美濃国の内乱において、利永もこれに参加した。

由羅
由羅
宗円が下克上をやってのけた事件だよね
そう。これで美濃は守護代方と守護方に分かれた内乱になってしまうの
イリス
イリス
 翌1445年(文安2年8月)に、美濃における斎藤氏の拠点として加納城を築城している。
冨島氏との合戦は時折起こったようだけど、利永は京に在ることが多くて、和歌を嗜み禅宗にも帰依していたらしいよ
イリス
イリス
 宗円は冨島氏に代わって美濃守護代職についたが、1450年(宝徳2年9月)に暗殺。

 利永は暗殺に関わった冨島氏を討ち滅ぼすと、父の後を継いで美濃守護代になったという。

土岐氏の後継者問題

 1455年(康正元年)、主君であった美濃守護・土岐持益の嫡子であった土岐持兼が早世。
 これにより後継者問題が勃発する。

由羅
由羅
子が親より早死にしたり、親が早死にしたりすると必ずと言っていいほどお家騒動になるよね
特にこの時代はね
イリス
イリス
 持益の孫にあたり、死去した持兼の庶子であった亀寿丸を後継者ととすることを持益は望んだが、幼君であるとして利永はこれを拒否。
 代わりに一色義遠の子の成頼を擁立して争いになったという。
亀寿丸はこの時3歳だからね
イリス
イリス
由羅
由羅
さすがに幼過ぎるよねえ
 1456年(康正2年)、利永はこれに勝利してまだ壮年であった持益を隠居させ、新たに土岐成頼を守護職に据えることとなった。
これは室町時代の中頃から見られるようになった、守護代が守護の力を上回るという事例の一つだよ。徐々に美濃国において斎藤氏が実権を握りつつあった証左でもあるかな
イリス
イリス
 そして1460年(長禄4年)、中風を患い死去。
利永は武勇に優れて清廉な武将だったそうで、その死は惜しまれたそうだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
父親の宗円の死の際は、評判が悪くて誰も悼んでくれなかったのに、正反対だね