斎藤利治 ~天下に輝かせ忠志を全うした、道三の末子

斎藤利治 ~天下に輝かせ忠志を全うした、道三の末子

 斎藤利治とは戦国時代の武将。織田家家臣。
 斎藤道三の末子とされ、織田家中にあって織田信長・信忠父子の信頼厚く、天下統一戦に奔走した将として知られる。
 本能寺の変において、同族であった美濃斎藤氏の斎藤利三に二条城を攻められ、忠死した。

斎藤利治(さいとう としはる)
撫子
生年1541年(天文10年)?
没年1582年(天正10年6月2日)
別名別名:長龍 利興 利宣 政興 治隆 長竜 忠次
通称:新五郎 新五(又は新吾)
主君斎藤道三織田信長⇒織田信忠
氏族美濃斎藤氏
家紋撫子(なでしこ)
父:斎藤道三
母:小見の方
養父:佐藤忠能
兄弟義龍、孫四郎 喜平次 利堯 濃姫(土岐頼純室、後に織田信長室) 女(斎藤利三正室) 女(姉小路頼綱正室) 女(稲葉貞通正室) 利治
義兄弟:斎藤正義
正室院(源妙覚大姉、佐藤忠能の娘)
義興、斎藤市郎左衛門(通称市右衛門) 蓮与(速水時久室)

斎藤利治とは

由羅
由羅
斎藤利治って、実は斎藤道三の子どもなんだよね
そうだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
道三の子って言えば、反逆した義龍とか織田信長の正室になった帰蝶とかが有名だけど
利治は織田家中にあってかなり評価が高かったんだよ。何となく利治は信長、というよりは織田信忠の家臣、というイメージが強いけれどね
イリス
イリス
由羅
由羅
どうして?
利治はのちに帰蝶の養子になっているのだけど、その辺りから信忠尽きの側近となったから、だね
イリス
イリス
由羅
由羅
後継ぎの傍付きにしたということは、信長にかなり認められていたってことだよね?
そうだよ。各地を転戦して武功をあげた有能な人物だった上に、忠誠も抜群なのはその最期で実証されているしね
イリス
イリス

斎藤家臣時代

 斎藤利治は1541年(天文10年)に、美濃の戦国大名であった斎藤道三の末子として誕生した。
 生年に関してはこの頃であると考えられているが、正確ではない。

 父・道三は兄である斎藤義龍と対立し、1556年(弘治2年)に長良川の戦いが勃発。
 この義龍による謀反の際に、利治は尾張に逃れたとされる。

一説によると、道三が信長に対して美濃を譲ると書いた書状があるのだけど、これを手渡したのが利治であるかもとされているんだよ
イリス
イリス
 信長にとっても利治は義弟であり、これを助けて道三亡き後の斎藤家を継がせようとしたという。

 元服して利治と名乗り、武功を重ねていったという。

加治田城主

 1565年(永禄8年8月)、佐藤忠能らと共に岸信周の堂洞城を攻め、同年9月には、長井道利の関城を攻めて落としている。

由羅
由羅
佐藤忠能?
佐藤忠能は利治の養父であり、その娘が利治の正室になっているから完全に身内だね。ただ長良川の戦いでは義龍方について功を上げていて、のちの信長による美濃侵攻に際してこれに内通し、織田方の将になった経緯があるの
イリス
イリス
 この堂洞城攻めにおいて佐藤忠能の子であった忠康が戦死したこともあり、利治は忠能の養子となったとされている。
 そして1567年(永禄10年)に忠能が隠居したことで、利治が加治田城主となった。
ちなみに……利治は側室を迎え入れず、佐藤忠能の娘であった正室院のみを妻として、死ぬまで夫婦の契りを行ったとされているよ
イリス
イリス
由羅
由羅
この時代では珍しいけれど、時々そういうひとっているよね。あのひとなんかもそうだけど
有名な話だよね。まあそのひとは、側室はもしかしたらいたかも、っていう説もあるけどね
イリス
イリス

転戦

上洛戦

 1568年(永禄11年)には近江の六角氏攻めに参陣。

 1569年(永禄12年)には伊勢国において大河内城の戦いに参加している。

第一次信長包囲網

 1570年(元亀元年6月)、近江小谷城攻めに参加。
 同年6月には姉川の戦いに従軍。
 同年9月の石山合戦勃発時には楼の岸の砦にて稲葉一鉄や中川重政にてこれを死守し、武勇を重ねていく。

第二次信長包囲網

 1572年(元亀3年4月)、三好義継が松永久秀父子と共謀して畠山昭高に敵対したことに対して、柴田勝家らと共に三好・松永方の交野城攻囲に参加。

 1573年(元亀4年)、高屋城攻めに参戦。

 同年7月、填島城の戦いに参加。安藤守就らと共に先手を務めている。

 1573年(天正元年8月)には朝倉討伐に参加し、兄・義龍の子で朝倉義景の客将となっていた甥の斎藤龍興を敗死させている。
 直後の小谷城攻めにも従軍。

 1574年(天正2年)には長島一向一揆攻めに参戦。
 同年2月には、武田勝頼による美濃侵攻を防衛するために従軍し、岩村城の戦いに参加している。

由羅
由羅
本当、あちこち転戦しているんだね
信長が関わっていた主要な戦にはだいたい参加している感じだね
イリス
イリス
由羅
由羅
あまり語られてはいないけれど、凄かったんだ
徐々に信長の信頼を厚くしていったのは確かだよ。現にこの頃に信長正室の帰蝶の養子となるんだけど、ほぼ同時期に嫡男・信忠付きになったわけだから。そして利治の転戦はまだまだ続くよ
イリス
イリス

第三次信長包囲網

 1577年(天正5年)、柴田勝家による北陸平定に従い、加賀国にて上杉謙信と対決した手取川の戦いに参加。

月岡野の戦い

 1578年(天正6年10月)、神保長住への援軍として越中国へ派遣。月岡野の戦いにおいて河田長親率いる上杉軍を撃破している。

これは重要な戦いでね、織田家が越中を攻略するために信長が新たに打った手で、それを利治が任されたの
イリス
イリス
由羅
由羅
どういうこと?
当時の北陸の情勢は、越前国が織田領で、越中・能登が上杉領だったの
イリス
イリス
由羅
由羅
加賀国は?
うん。柴田勝家が順路である加賀国の平定を目指していたんだけど、何しろこの国には一向一揆がいてこれに手こずっていたというわけ。そこで信長は飛騨から越中に攻め上る策を考え、それを神保長住が行っていたんだけれど成果を上げていた一方で依然上杉方優勢。そこで援軍として利治が赴くことになった、というわけだね
イリス
イリス
 この戦いで利治は巧みな戦術で上杉勢を撃破。大勝利を得ている。
とにかくこの勝利によって越中の勢力図は一気に塗り替わり、上杉方は劣勢にたたされることになったの
イリス
イリス
 その後、摂津の荒木村重が謀反したことにより、撤収を余儀無くされている。
 しかし上杉家に大勝したという月岡野の戦いは、後に大きな影響を与え、第三次信長包囲網の崩壊にも繋がったという。
これで信長や信忠の利治に対する信頼はうなぎ上り。ばっちり感状ももらえて、その信頼は絶大なものになったそうだよ
イリス
イリス

静養

 1579年(天正7年)に有岡城の戦いに参加して以降、利治の動向はよく分かっていない。

この後には織田信忠が総大将となって行った甲州征伐があるのだけど、これにも参加した様子が無いの
イリス
イリス
由羅
由羅
普通だったら考えられないよね
うん。ただ加治田城で静養するように、という休養命令が下っているから、その通りに静養していたものと思われるよ
イリス
イリス
由羅
由羅
働きづめだったものね。どこかの誰かさんみたいに過労で倒れちゃうよ

本能寺の変

本能寺焼討之図
『本能寺焼討之図』

 1582年(天正10年6月2日)、明智光秀による本能寺の変が勃発。
 この時、利治は信忠と共に京の妙覚寺に宿をとっていたが、変の発生を聞いて本能寺に向かおうとする信忠へと逃亡を進言。
 しかし信忠はすでに逃亡は難しいと判断し、守りの固い二条城へと移って防戦することを選んだ。

 僅かな兵ではあったものの、押し寄せる明智勢を三度撃退するが衆寡敵せず。
 信忠はついに自刃し、その間も利治は敵を防ぎ続けたが、最後には同族であり光秀の重臣であった斎藤利三に攻められて、討死した。

利三は利治が加治田城で静養しているものだと思っていたけど、二条城で奮戦していることを知ると降伏勧告を行ったそうだよ。でも利治は拒絶し、忠死を選んだとされるの
イリス
イリス
由羅
由羅
信頼されていた通り、忠義に厚い人物だったんだね
「天下に輝かせ、忠志を全うし、二条城中において潔く忠死して、恩君泉下に報じ、武名を天下に輝かせり」……利治を評した言葉だよ
イリス
イリス

斎藤利治画像

斎藤利治