斎藤宗円 ~下克上により美濃守護代へ

斎藤宗円 ~下克上により美濃守護代へ

 斎藤宗円とは室町時代の武将。
 下克上により美濃守護代の地位を手にしたことで知られる。
 斎藤妙椿の父。

斎藤宗円(さいとう そうえん)
撫子
生年1389年(康応元年)
没年1450年(宝徳2年9月1日)
改名利明⇒宗円
主君土岐持益
氏族美濃斎藤氏
家紋撫子(なでしこ)
父:斎藤祐具
利永 妙椿 利任 周倫

斎藤宗円とは

由羅
由羅
斎藤宗円って……生まれが1300年代じゃない。これって戦国時代じゃないよ
室町時代だね
イリス
イリス
由羅
由羅
没年を見ても、応仁の乱にかすりもしていないし
応仁の乱を戦国時代の開始の目安とするのならば、戦国武将とはいえないね
イリス
イリス
由羅
由羅
しかもマイナーだし
それは由羅が知らないだけ。斎藤宗円は下克上により美濃守護代職を得た人物で、下克上型の戦国大名ではないけれど、その走りをしたような人だから。それにこれがのちの戦国大名、斎藤道三に繋がっていくんだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
あ、斎藤道三は有名だよね。美濃の蝮!
まあ、道三とは血縁的な繋がりはないとはいえ、斎藤氏の名跡を戦国時代に残したことは事実だし
イリス
イリス
由羅
由羅
道三のご先祖、というわけじゃないんだ?
違うよ。美濃斎藤氏でも色々あった、むしろこれから起こる、ということかな
イリス
イリス

来歴

父・斎藤祐具

 斎藤宗円は1389年(康応元年)に美濃国守護土岐氏の重臣であった、斎藤経永(斎藤祐具)の子として誕生した。

当時の美濃守護は土岐持益で、また守護代だった富島氏も若かったことから、家中での祐具の発言力が高まっていったそうだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
ということは、宗円の親の代から美濃守護代の座を狙えるような雰囲気があったわけだね
実現はしなかったけれど、恐らく祐具も守護代職を目指していたと考えられているから
イリス
イリス

宗円の下克上

 1444年(文安元年閏6月19日)、宗円は京の土岐屋形において、美濃守護代であった富島氏を殺害に及んだ。

由羅
由羅
直接殺っちゃったんだね
うん。宗円も晩年に近かったし、やるなら今しかないって感じだったのかもしれない。ただちょっと手緩かったみたいで……
イリス
イリス
由羅
由羅
どういうこと?
 この事件のおり、冨島氏一門の富島八郎左衛門が逃亡に成功。
 土岐氏の家臣ら3名を捕らえて殺害し、守護代邸に放火。
 その上で時の管領・畠山持国に訴え出たという。
由羅
由羅
逃がしちゃったんだね。それで騒動が飛び火した、と
もっとも畠山持国には相手にしてもらえなくて、ならばと八郎左衛門は一族郎党引き連れて美濃に下国し、垂井で土岐勢と戦って勝利したの
イリス
イリス
由羅
由羅
要するに、守護代VS守護って構図になってきたわけだね
これは戦国時代ではよくある構図だね
イリス
イリス
由羅
由羅
まだ戦国時代じゃないけどね
 冨島勢は緒戦に勝利したものの、美濃守護・土岐持益や宗円が駆け付けたことで、戦闘は膠着状態になった。
 そしてこの状況下において、宗円が冨島氏に代わって美濃守護代となったという。
由羅
由羅
宗円と土岐持益はぐるになって冨島氏を排斥しようとしたってことだね
だとしても、宗円が主導していたと思うよ。この美濃錯乱と呼ばれる内乱において、土岐持益は指導力を発揮できなかったと言われているし。そもそも発狂していたんじゃないかっていう説もあるくらいだから
イリス
イリス
由羅
由羅
うわあ。それじゃあ宗円の思うがまま、だね
実際そうなっていくしね
イリス
イリス
 1446年(文安3年7月5日)、宗円は土岐勢を率いて垂井付近にあった冨島勢の陣を攻撃。
 これは激戦となって、数百人が討死したという。

 1449年(宝徳元年9月10日)にも戦となったが、勝敗はつかなかったとされる。

 そのような中の1450年(宝徳2年9月1日)、宗円は京にあって山名邸から守護代邸へと帰る最中、近衛油小路で富島氏の手の者により暗殺された。享年62。

由羅
由羅
最期は暗殺されてたんだ
当時としては、宗円の行った下克上は快く思われていなかったみたい。それは京の民の間でも同様で、宗円の死が知られても悼む者はあまりいなかったといわれているよ
イリス
イリス
由羅
由羅
下克上といえば戦国時代って感じだけど、決して簡単に受け入れられるものでもなかったんだね
そうだね。これと似たようなことは、同じく下克上で戦国大名になった斎藤道三にもいえることだから。歴史は繰り返す……ということかな
イリス
イリス