斎藤妙純 ~妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ

斎藤妙純 ~妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ

 斎藤妙純とは室町時代から戦国時代にかけての武将。
 斎藤妙椿の養子にして後継ぎ。
 徳川家康の愛刀として知られる革柄蝋色鞘刀の持ち主であったともいわれている。 

斎藤妙純(さいとう みょうじゅん)
撫子
生年不詳
没年1497年(明応5年12月7日)
改名利国⇒妙純
別名新四郎(通称) 右馬丞 妙純
主君土岐成頼⇒土岐政房
氏族美濃斎藤氏
家紋撫子(なでしこ)
父:斎藤利永
母:赤松氏女
養父:斎藤妙椿
兄弟利藤 典明 妙純 利安 利綱
女(土岐成頼室)
野間入道の娘・利貞尼(甘露寺親長の養女)
利親 又四郎 彦四郎 娘(朝倉貞景室)
娘(京極高清室) 利胤

斎藤妙純とは

由羅
由羅
斎藤妙純って名前からすると、斎藤妙椿の関係者?
うん。同じ美濃斎藤氏であることは当然として、妙椿の養子となる人物のことだよ
イリス
イリス
由羅
由羅
実子、ではないんだ?
妙椿には男子がいなかったみたいだから。妙椿は甥であった妙純を養子にとったわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
妙椿って、幼い頃から僧をしていたわけだし、仕方ないよね
まあ妙椿にも正室もいたみたいだけれど、子はできなかったみたいだね
イリス
イリス

来歴

 斎藤妙純は美濃守護代であった斎藤利永の子として誕生した。生年は伝わっていない。

 本名は利国。妙純の名は法名である。
 のちに叔父である斎藤妙椿の養子となっている。

応仁の乱

 応仁に乱が勃発すると、養父・妙椿は各地に出兵するが、1473年(文明5年)には伊勢国の長野氏救援のため兵を出しており、この時妙純は大将となって、妙純と共に東軍方であった梅戸城を落としたという。

 そして1480年(文明12年)、養父であった妙椿が死去。
 持是院家を継承した。

由羅
由羅
持是院家?
妙椿のことを持是院妙椿ともいったの。妙椿は嫡流ではなくて、美濃斎藤家は妙純の父親だった利永が家督を継いでいたから、そちらの惣領家に対して持是院家と称して区別したわけだね
イリス
イリス
由羅
由羅
区別するくらい、力を持っていたというわけなんだ
そのせいで、妙椿の死後に問題が発生するの
イリス
イリス

美濃文明の乱

 妙椿は死に際して美濃守護で主君であった土岐成頼に対し、妙純を重用するようにと遺言を残していた。

 そういう事情もあって、同年の5月になると、妙椿が応仁の乱のどさくさで横領していた荘園の扱いを巡り、妙純は美濃斎藤氏惣領家で美濃守護代であった異母兄の斎藤利藤と対立し、争うようになる。
 そして同年8月には合戦に及んだ。

由羅
由羅
兄弟なのにねえ……
まあよくあることかな
イリス
イリス
 兄弟の争いは、主君・成頼が妙椿の遺言に従い、妙純を支援したことで勝敗がついた。
由羅
由羅
妙純の勝利、っていうわけだね
そういうこと
イリス
イリス
由羅
由羅
妙椿の遺言のたまものだね
その遺言のせいで、争いが勃発したともいえるけれどね
イリス
イリス
 敗北した利藤は近江の六角氏に亡命。
 しかし妙純は重臣であった石丸利光を派遣して追討。
 利藤は京に逃れて室町幕府の庇護を受けたという。
石丸利光という武将は斎藤氏の家宰を務めたひとで、のちに斎藤氏の名乗りを許されて、小守護代とまでいわれたそうだよ
イリス
イリス

朝倉氏との関係

 1481年(文明13年)、妙純は越前国の朝倉氏景に対して斯波義俊を名目上の主人として推戴することを提案し、氏景も同意。
 これによって斎藤氏と朝倉氏の連携が強化されている。

 一方で1487年(長享元年5月)、幕府の朝廷により妙純・成頼方と利藤方の間において和議が成立。
 利藤は美濃守護代に返り咲いたものの、実権は妙純が握ったままになったという。

 1491年(延徳3年)には13歳になる娘を朝倉氏景の嫡男・朝倉貞景の元へと嫁がせ、両家の連携をさらに強固なものとした。

由羅
由羅
ということは、越前朝倉氏にも美濃斎藤氏の血が入っている、ということになるんだね
だから戦国時代で戦国大名化した美濃斎藤氏が織田信長の侵攻により滅亡した際、最後の当主だった斎藤龍興朝倉義景を頼ったのだろうね
イリス
イリス
由羅
由羅
そういうわけなんだ
もっとも龍興は斎藤道三の孫だから、妙純の頃の美濃斎藤氏とは血縁関係はないはずだけど……ね
イリス
イリス
由羅
由羅
微妙だったんだね
でももっと言うならば、妙純の主君だった土岐成頼には妙純の妹が嫁いでいて、その孫が土岐頼芸なんだけれど、その側室に深芳野という人物がいて、これが後に道三に下賜されて側室になったといわれているの。そして道三が深芳野を側室に迎えた時にはすでに身ごもっていたという噂もあって、生まれたのが斎藤義龍……つまり義龍は道三の子ではなく、土岐頼芸のご落胤だ、なんて説もあるんだよ。そしてその子が龍興だから……
イリス
イリス
由羅
由羅
龍興が最後に頼った義景とは血縁関係があるかもってこと?
そういうことだよ
イリス
イリス

舩田合戦

 当初、妙椿の遺言に従って妙純と結んだ土岐成頼だったが、嫡男であった政房よりも末子であった元頼に家督を譲ろうと考えて、政房や妙純を打倒するために、守護代であった利藤と結んだという。

由羅
由羅
騒乱の予感だよねえ……。というかいつもいつも家督継承というのはこうもスムーズにいかないんだろう?
家督継承なんていうものは基本、一生に一回のことだから、経験で学ぶ、なんてことはできないし、やっぱり感情が優先するからじゃないかな?
イリス
イリス
由羅
由羅
先人には学ばないんだね
学べるようなら基本、戦なんて起きないよ
イリス
イリス
 成頼はそれだけではなく、妙純の家臣にも調略の手を伸ばした。
 斎藤家の重臣であった石丸利光が同じく重臣であった西尾直教と対立していることを知り、利光に斎藤姓を名乗ることを許して妙純から離反させ、これとも協調する。
 これにより周辺諸国を巻き込んだ戦が勃発。
 いわゆる舩田合戦である。
この合戦は基本的に斎藤妙純勢VS石丸利光勢、という構図だね
イリス
イリス
 1494年(明応3年12月)、西尾直教による策謀を知った利光は船田城に兵を集め、機先を制して妙純を奇襲しようとするものの失敗。
 成頼を通して一旦和議としつつも、妙純方も居城であった加納城に兵を集めて今後の事態に備えたという。

 1495年(明応4年)になると、妙純方に尾張の織田寛広の援軍が到着。

由羅
由羅
尾張からいきなり出てきた織田寛広って?
寛広の養父・敏広の妻は妙椿の養女だったから、血縁関係はともかくとして一応は縁戚、って関係だよ
イリス
イリス
 同年7月には合戦に及んだが、妙純方の勝利となった。
 形勢不利をみて利光は舩田城を放火して近江へと亡命。

 事態をみた土岐成頼は隠居し、政房に家督を守護職を譲ったという。

由羅
由羅
これで終わったわけじゃないんだよね?
利光はまだあきらめていなかったからね
イリス
イリス
 1496年(明応5年5月)、妙純が織田寛広支援のために出陣している隙を狙い、利光が挙兵。
 近江の六角高頼、尾張の織田寛村、伊勢の梅戸貞実らの援軍を得、4,000の兵をもって美濃への侵攻する。

 これに対し、近江の京極高清、尾張の織田寛広、越前の朝倉貞景らが援軍として妙純方につき、5月27日には合戦となった。
 利光方は不利で、30日には自害に及ぶ。
 また翌6月20日には土岐元頼が自害し、戦は終結。
 斎藤利藤も隠居させられたという。

 この年の8月に、妙純は子の利親に家督を譲っている。

由羅
由羅
舩田合戦にも勝利して、政敵も排除。妙純は順風満帆だね
でも最期はあっという間に、なんだよ
イリス
イリス

妙純の死

 同年の9月、妙純は味方してくれていた京極高清の要請に応じて、敵対していた六角高頼討伐のために近江へと侵攻。
 緒戦では京極政経に対して大勝するも、その後合戦は膠着。
 結局和議となって美濃へと撤収することになったが、美濃勢による長期の侵攻に対して不満を募らせていた郷民らの土一揆が蜂起。
 不意を突かれたことで美濃勢は具足や太刀を奪われ、妙純を始めとする将兵1,000余りが討死した。

由羅
由羅
凄いどんでん返しだね
こういう事態になるとは想定していなかったのかもね。ただこの敗戦では妙純の嫡男だった利親も戦死していて、いわゆる持是院家は相当な打撃を受けることになってしまったの
イリス
イリス
由羅
由羅
後を継いだばかりの当主もろとも、だとねえ
だからせっかく落ち着いたかに見えた美濃国の混乱は、この後も続いていくことになるんだよ
イリス
イリス

妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリ

由羅
由羅
妙純傳持ソハヤノツルキウツスナリって?
鎌倉時代の筑後国の刀工・三池典太光世作と伝えられる日本刀で、徳川家康の愛刀だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
それと斎藤妙純が何の関係があるの?
この刀のナカゴの指裏に「妙純傳持」と「ソハヤノツルキ」と2行に彫られていて、指表に「ウツスナリ」と刻まれているの。つまり「妙純という人物が伝え持つソハヤノツルキを模して鋳造」って意味だよ
イリス
イリス
由羅
由羅
妙純が持っていた刀が、のちに家康の手に渡った、ってことなんだ。意外なところで関係があったんだね
家康は名刀の類はたくさん所持していただろうけど、この刀を最も好んだとされているよ。常に身に付け、夜は枕刀にするほどだったそうだから。死の場際に振るったことでも知られているかな
イリス
イリス
由羅
由羅
現存しているの?
もちろん。久能山東照宮内陣に祀られているから
イリス
イリス